第49話 護るための力
日没前に《オルストリム》を飛び出したキョウヤは、月明かりだけを頼りにひたすら街道を歩き続けた。
金を使って馬車を利用することも考えたが、夜間も走り続けるのは無理だと何人かの御者に突っぱねられた。だったら自分の足を使った方がまだ早いという判断だ。
夜空に浮かぶ月の光に感謝しつつ、時折現れる魔物は《シェイドクローク》を使って避けて進む。
眠っていたおかげで体力は十分にある。街道とはいえ暗闇の中を歩き続けるのは困難だが、弱音を吐いている場合ではない。
ミレイは王都方面に向かったと聞いた。ならば、道中で《クラルミッド》の街に立ち寄るはずだ。
そこで情報を集め、必ず彼女を見つけ出し、もう一度やり直す。今はそれしか考えられなかった。
そして、歩み始めて――無論、最低限は休息を取りながら――半日近くが経った頃。
とっくに朝日は昇っており、街道では《オルストリム》方面へ向かう人や馬車とすれ違うようになった。
そんな中、妙な三人組をキョウヤの目は捉えた。一人は脚から血を流しており、残りの二人が治癒魔法を施しているようだった。
「……大丈夫ですか?」
「す、すみません! もし腕に覚えがあるなら、助けてください! 見覚えのない魔物が現れて、一人だけ囮になって逃げているんです!」
槍を持った女性が北の森林を指差すが、魔物の正体が分からない。逃げている人物というのも曖昧だ。
「いや、もう少し詳しく……」
「白い服の少女です。ミレイと名乗って――」
――刹那、キョウヤは《ウィンドブースト》を発動していた。
先を聞く必要はない。彼女がこの先にいる。その情報だけで十分だと思い、脇目も振らず駆け出した。
やがて森の中で目にしたのは、黒い霧に溶け込むような四足歩行の魔物だった。その姿を見た途端、この霧の発生源の正体も理解する。
漆黒の獣は、まるで獲物を追い詰めるように歩を進めていた。嫌な予感がしたキョウヤは、すぐさまそれに向かって駆ける。
次いでその目と耳は捉えた。白い少女が大木にもたれかかかり、この世を恨むかのように呟くのを。
「……最期はまた独り、か……やっぱり、寂しいな……」
次の瞬間、彼女が獣に押し倒された。
キョウヤは寸前ところで手を伸ばし、獣を引き剥がして地に叩きつける。そして馬乗りになると、その首を斬り刻んで息の根を止めた。
――間に合った。
剣を放り出し、少女を強く抱き締める。そこに一切の躊躇いはなかった。彼女の温もりが、全身に染み渡っていく。
「ミレイ」
「……あ、あれ……キョウ、ヤ……?」
抱擁を解くと、ミレイはおぼろげな様子でこちらを見ていた。今にも意識を失ってしまいそうだ。
この弱々しい姿には覚えがある。《ラスタ平原》で力を使い過ぎて倒れた時のそれだ。
「ごめん、遅くなった」
「どう、して……」
「話は後だ。動けるか?」
予想はしていたが、彼女は力なく首を横に振った。
街道で鉢合わせた冒険者を助けるために、たった一人で無茶をしたのだろう。
「分かった。俺が奴を排除する。必ず戻ってくるから、ここで待っていてくれ」
言うや否や、返答も待たずに剣を拾って歩き出す。
ミレイを救うため、黒い霧の元凶を倒す。もう、何も迷うことなどない。
森の木々の間を抜けていくと、少し先の開けた場所にそれは佇んでいた。
《ヘイズルーラー》という名の人狼。こんな場所に生息しているはずのないボスクラスの魔物だ。
適正ランク6の相手に対してキョウヤのランクは3。普通なら、単独で立ち向かったところでまず勝てる相手ではないだろう。
だとしても、そんな数字の差はもはや関係ない。己の全てを懸けて生き延びると決めている。
「……来いよ。お前だけは間違いなく殺す」
「グルルルルルッ!」
キョウヤの挑発に応えるように、人狼が唸り声を響かせる。すると、周囲に配下の魔物たちが呼び寄せられた。
先ほど一体倒していた《ヘイズハンター》だ。オオカミかジャッカルか、あるいはコヨーテか。霧と同化しているため定かではないが、その類の獣を模しているのだろう。
これらはボスを討伐するまで何度でも顕現する。真正面から戦えば、雑魚処理で手一杯になってしまう。
だから、手を出すのは最小限にとどめる。僥倖というべきか、キョウヤは対抗できる手段を持ち合わせていた。
闇属性下級魔法《グルームカーテン》を行使すると、獣たちに顔面に闇の帳が下りた。
《失明》の状態異常にかかったように、明後日の方向へ突進していく。
「ッ……行くぞ」
多少の苦痛と引き換えに邪魔者は排除した。ここからは一対一の勝負だが、奥の手はまだ使わない。
バスタードソードを両手持ちに切り替えると、人狼に向けて疾走する。
敵は迎え撃つように駆けてくるが、すぐに足を止めた。闇に紛れた剣士の姿を見失ったのだ。
「こっちだ、馬鹿が」
霧に紛れるようにして、キョウヤは背後に回り込んでいた。渾身の一撃を繰り出すと、敵の背に裂傷が走っていく。
「グルッ……グルァアアアアッ!」
「いちいち耳障りなんだよ」
振り向きざまの爪の一撃をバックステップで回避し、右から左へと剣をぶん回す。今度は下腹部に横一文字の傷が深く刻まれた。
続けざまに闇魔法で姿を隠し、脇をすり抜けつつ斬り上げる。怒涛の攻撃を受け、敵の鮮烈な悲鳴が響き渡った。
再使用待機時間が存在しない《シェイドクローク》はあまりにも強力だった。マナが残っている限り、キョウヤの姿が捉えられることはない。
打ち合う必要は一切なかった。己の速度と狡猾さを活かして、ただひたすら不意打ちを繰り返すのみ。
「……そろそろ時間か」
数十秒ほど戦闘を続けた頃、嫌な倦怠感がキョウヤの身体を襲った。闇の力による痛みではなく、マナの残量が少なくなった時の現象。
散っていた獣たちも戻ってくる頃合いだ。再度それらの視界を奪う余裕はない。
マナポーションを用意しておけばもう少し戦えたかもしれないが、夜間の移動で切らしている。とはいえ、ここまで削れば十分だろう。
「魔神でもなんでもいい。力を貸せ!」
――殺す。絶対に殺す。
初めて闇に呑まれた時のように、負の感情を眼前の人狼に向け続ける。
間もなくして、何かが弾ける感覚とともに倦怠感が消えていく。己の中で闇のエネルギーが駆け巡るのを理解する。
視界が暗くなる。思考が乱れていく。だが、仲間への想いだけは決して捨てはしない。
左の掌を上に向けると、そこに漆黒の揺らめきが発生する。やはり、《シャドウフレア》は問題なく使用できるようだ。
「消えろ!」
キョウヤの一言とともに、闇の炎が解き放たれる。
薄暗い森の一角に、冷たい火柱が上がった。




