第48話 孤独の果て
ミレイがキョウヤと決別してから一日が過ぎていた。
あの喧嘩の後、クロエやリベルたちに事情を説明し、すぐに都市を出立している。
独り《ストリム街道》を南西へと駆け、《クラルミッド》という街に到達したのは日没寸前のことだった。
やはり単独で知らない魔物と戦うのは難しく、道中では苦戦を強いられた。街道沿いだからまだ良かったものの、一人で僻地に足を運ぶのは自殺行為だ。
自分がいかにキョウヤに依存していたのかを実感する。彼の知識と機転が、これまでは危険を遠ざけてくれていた。
「はぁ……」
人の少ない早朝の冒険者ギルドは静かで、大きなため息が響いてしまった。
心にポッカリと穴が空いたような状態が、昨日からずっと収まらずにいる。これは孤独感というものだろうか。
キョウヤの提案を呑んで、《フリーダム》に所属するのが合理的だったのは間違いない。
それでも、言う通りにするのは癪だった。それは彼を見限るようなものだったからだ。
そして、なんとかキョウヤを奮い立たせようとした結果、暴言に近い発言をしてしまった。
せめてもの償いとして、再起した時に戦える環境を残している。意趣返しのようになってしまったけれども、「さよなら」と言っておいて戻る気になれるわけがなかった。
どうして人間関係はこんなにも難しいのだろうか。結局、この世界でもまた独りぼっちになってしまった。
やはり、自分の性格に問題があるのかもしれない。冷たい環境で育ってきたせいで、心まで冷え切ってしまっているのだろう。
それからしばらくの間、ミレイは隅のテーブルで頬杖をついて物思いに耽っていた。
《クラルミッド》北東部の森は草木が鬱蒼と生い茂り、陽の光が届かず薄暗い。そんな危険な雰囲気が漂う場所にミレイは立っている。
もちろん一人ではない。先ほどまで冒険者ギルドで佇んでいたところ、他の冒険者に声をかけられていた。
話しかけてきたのはトレイシーという若い女性。柔らかな笑みを浮かべ、革の鎧と長い槍を装備していた。
彼女は他に二人の仲間を連れており、パーティメンバーを募集しているところだったらしい。
初めは警戒したものの、三人が冒険者カードをテーブルの上に置くのを見て緊張を緩めた。
嘘は言っていなかったし、嫌な雰囲気も感じなかった。とりあえず、悪い人ではないと判断している。
ミレイとしても、このまま独りで動き続けるのは難しいと思っていたところだった。
しばらく生活には困らない程度には余裕があるとはいえ、街に閉じ籠り続けるのは本望ではない。
だから、勧誘は素直にありがたかった。お試しということで、彼女たちに協力するという結論に至った。
その三人は現在、森に生息する木のような姿の魔物を相手にしているところだ。
「ミレイさん、お願い!」
「はい!」
槍使いトレイシーの合図を受けて即座に魔法を撃ち込むと、ダメージが蓄積していた魔物が燃え尽きた。
マリウスが丁寧に手ほどきしてくれたおかげで、即席のパーティでも思った以上に戦えている。
「ミレイさん、やっぱり凄い……!」
「ランク3だなんて信じられないな」
「僕も、こんなに楽になるなんて思わなかった」
「あ、ありがとうございます……」
仲間の三人から次々に称賛され、ミレイはくすぐったい思いをしていた。
このまま誠実に役割をこなしていれば、やがては彼らとも打ち解けられる気がする。そうすれば、そのうちキョウヤのことも忘れてしまうのだろうか。
「な、何これ……!?」
しかし、トレイシーの不穏な叫び声を受けて、すぐに現実に引き戻される。
にわかに四人の周囲が黒い霧のようなものに包まれていく。というより、霧の方が移動してきたという方が正しい。
程なくして、その中から黒い影が現れる。嫌な気配に戦慄が走る。
「あれは……一体なんだ?」
「僕も見たことがない……。もしかしたら、噂の正体不明の魔物かも」
正体不明の魔物の話は、キョウヤから一度聞いたことがある。大陸中央では見たことがない魔物が現れるという噂があったはずだ。
霧を纏って悠々と近付いてくるそれは、亜人のような姿をしていた。二本の足で歩行しており、オオカミのような頭部と鋭利な爪が目を引く。
《オルストリム》で見かけたワーウルフに似ているものの、とても友好的とはいえなかった。その様子からして魔物に違いない。
その黒き人狼は、周囲に四足歩行の獣を何体か従えていた。漆黒の獣たちは、まるで周囲の霧に溶け込むように輪郭が安定していない。
「おいおい、冗談だろ!?」
「僕に言われても困るよ!」
この場所が大陸のどの辺りに位置しているのかはよく分かっていない。
けれども、あれを目にしていると廃坑の悪夢が垣間見える。おそらく、あの時の鎧と同じでここに現れてはいけない魔物だ。
「グルァアアアアッ!」
人狼が吠えると同時に、その配下たちが動き出す。前方で呆然と立ち竦んでいたトレイシー目がけて、一斉に飛びかかってきた。
「きゃああああああっ!」
彼女が悲鳴を上げるのを見て、ミレイは咄嗟に《フロストシールド》を展開した。
氷の障壁に体をぶつけた獣たちがよろめくと、その隙に他の二人が彼女の身体を引きずって後退させる。
「……ミレイさん、なんとか足止めを頼めないか?」
「トレイシーが落ち付いたら、全員で一緒に逃げよう」
「分かりました、やってみます……!」
その頼みを断る理由はなかった。《ゲイルトラップ》を放ち、風の渦に魔物たちを拘束する。
すかさず《サンダースピア》を落として撃破するが、全てを止めることはできなかった。離れた位置から一体の獣がすり抜けていく。
「一体そちらに行きます! 対処を……えっ!?」
ミレイは振り向いた瞬間、目を疑った。仲間であるはずの三人は、既に背を向けて駆け出していた。
態勢を整えて一緒に逃げるというのは、彼らだけが助かるための嘘だったと気付く。
「……ああ、そうなんだ」
あまりにも呆気ない、裏切りだった。
所詮、組んだばかりの仮のメンバーにすぎないし、護る義理などない。そういうことだ。
元々仲の良さそうな三人なのだから、自分たちの命を優先するのは当たり前。そんなことは分かっているはずなのに、どうしてこんなにも寂しい気持ちになるのだろうか。
「うああああっ! 助けてくれ!」
逃げていた青年が追っていった獣に噛みつかれた。悲痛な声は因果応報の証だ。
もう彼らは仲間ではない。勝手に消えてしまえば良い。どうなったところで自分には関係がない。
「キョウヤ……」
彼だったら、きっと立ち向かったはずだ。
いつだって本気で仲間を護ろうとしていた姿が目に浮かぶ。廃坑でもランドを含む大勢の人のために命懸けだったのだろう。
「ッ……! どうして今、そんなことを……!」
身体が、勝手に動いていた。強烈な光――《ルミナスレイ》が元仲間たちに粘着していた獣を撃ち抜く。
次いで人狼を目がけて光線を飛ばすと、それはミレイを標的に定めて距離を詰めてきた。
「あ……あ、ありがとう。私たちはどうすれば……」
「邪魔! もう助ける余裕はない。早く行って!」
冷淡な言葉をぶつけられたトレイシーは、怪我をした青年に肩を貸して去っていく。
もはやあの三人に期待などしていない。ミレイは魔物たちが追ってくるのを確認すると、彼らとは逆方向へと駆け出した。
やがて、森の奥で大きな木にもたれかかりながらミレイは嘆息した。
静寂に包まれる中、黒い霧は相変わらず漂っている。当然、魔物の気配も消えてはいない。
「やっちゃった……」
正義感など不要な場面だったのに、余計なことをした。そのせいでこの身に破滅を招いてしまっている。
人狼は配下の獣を従えながら執拗にミレイを追ってきた。移動速度が速い獣たちを追い払うために何度も魔法を使った結果、身体は酷い倦怠感に襲われている。
《ジャイアントボア》戦以来の意識がぼんやりとした感覚。おそらく、これ以上魔法を使えば眠りに落ちてしまう。
魔物はまだ近くにいる。助けは期待できない。このままでは間違いなく命を奪われる。
――全部、キョウヤのせいだ。
人の温かみを知ったのに、決別に至った。人を信用した結果、裏切りに遭った。
彼のような心優しい人に出会わなければ、もっと楽な終わりを迎えられたかもしれない。
「……最期はまた独り、か……やっぱり、寂しいな……」
そう呟いた直後、徘徊していた黒い影に強く押し倒される。現実は、どこまでも残酷だ。
――さよなら、キョウヤ……。
ミレイは目を固く瞑り、その命が尽きる瞬間を待った。信じていた幻想さえも呪って。




