第47話 一番大切な人
コンコンと部屋をノックする音が耳に入り、キョウヤは寝台から起き上がった。
不貞寝したのは朝だったのに、窓から差し込む光は既に薄ら赤く見える。
こんな時間に訪ねてくる人物は、ミレイでなければ一人しか思い当たらない。
「先輩、お邪魔します」
扉を開けると予想通りクロエが立っていた。やはり彼女も、去っていた少女と同じように気遣わしげな目を向けてくる。
「クロエ……どうかしたのか?」
「少しだけで構いません。お話させていただけませんか?」
「……ああ、大丈夫だよ」
クロエを中に招き入れると、ミレイが使っていた椅子に座らせる。
慕ってくれている少女と二人きりというのは、胸が高鳴ってしまってもおかしくないものだ。無論、こんな状況でなければの話だが。
「それで、話っていうのは?」
「……ミレイさんと何かありましたか?」
このタイミングでそんなことを聞くということは、当人から何かしら聞いたのだろう。問い詰めるつもりだろうか。
「喧嘩別れした。それだけだよ」
「それだけって……。どうしたんですか……先輩らしくないですよ」
「俺らしい……? クロエは俺の何を知っているんだ」
心配してくれる彼女をよそに、衝いて出た言葉は素っ気ないものだった。
つくづく罪深い人間だとは思うが、近付かれて不幸にさせるくらいなら突き放した方がマシだ。
「す、すみません。確かにゲームでも数か月程度の付き合いでしたが、先輩が心優しい人だとは知っているつもりです」
「買いかぶりすぎだ。俺は上辺だけの薄っぺらい人間でしかない」
頼りにされると断れないというだけ。何も知らない者にとっては、さぞかし都合の良い人間に見えたことだろう。
「いいえ。先輩には沢山お世話になりました。ゲームの指南もそうですが、現実のことも」
「頼られたから仕方なくだよ。それに現実の話なんて、俺はほとんど聞いているだけだったじゃないか」
「それだけでも私は救われました! だから、あなたがミレイさんを見捨てたことが信じられません!」
大人しく従順だと思っていたクロエが声を張り上げ、キョウヤの身体はビクリと跳ね上がる。
この少女も芯があるのだと実感するのと同時に、奇妙な一言が耳に残った。
「……見捨てた?」
第三者からはそう見えるのだろうか。こちらとしては見捨てたつもりなどない。
彼女の今後のために、より良い環境を提供したにすぎない。
「ミレイさんは《フリーダム》を抜けました。今は王都方面に向かわれているはずですよ」
「は……?」
「本当は伝えないように言われていたんです。先輩……いえ、キョウヤさん。この意味が分かりますか?」
「……分からない」
せっかく彼女の居場所を作ったのに。彼女を悲しませてまで別れる道を選んだのに。
それなのに自ら出ていくとは、どういう風の吹き回しだろうか。
「……キョウヤさんが再び立ち上がった時に支えられる人が必要。ミレイさんはそのように言っていましたよ。まだ分かりませんか……?」
「あ……」
仮に再起できたとして、アストラが復帰して《フリーダム》が満員だったら自分はどうするのか。
その答えは一つだ。ミレイの安全のために、黙って立ち去ることを選ぶ。
良かれと思って彼女のためにしたことを、そのまま返された。そう気付くまでに時間はかからなかった。
「……ミレイさんは、誰よりもキョウヤさんのことを大切に想っているんです! それなのに、あなたは彼女を見捨てたんですよ!」
「違う! 俺はただ、護りたかっただけだ……!」
「だったら、行ってあげてください。あなたにとって……一番大切な人の元へ」
「一番大切な、人……」
それはつまり、この世界で誰か一人を選ぶことを意味する。
クロエの好意に気付いているのに、そんなことを言わせるなど、本当に最低の男だ。
「……私にはキョウヤさんの苦しみは分かりません。でも、どうか一度の失敗で諦めないでください。独りで抱え込まないでください」
いつか、どこかで聞いたことがあるような台詞を彼女が口にした。
冷めていた心に熱が宿る感覚。もう一度頑張っても良いかもしれない――そんな思いが湧き上がる。
「ミレイさんも、きっとそう思っています。本当は、あなたと一緒に旅を続けたいんです」
「……そうだ。俺も、そうしたかったんだ……!」
ミレイと一緒に旅をして、その先を見届けたい。もう心は決まっていたはずだった。
だが、己の無力を理由にして逃げていた。誰かに託すことで保護した気になっていた。それは紛れもなく怠惰で、傲慢でもあった。
「今ならまだ、間に合います」
「……ああ、そうだな。決めたよ」
何かを成し遂げたいなら、己の手で掴み取らなければならない。そんな当たり前のことが抜け落ちていた。
彼女のことを本当に想っているのならば、こんな所で燻っていて良いわけがない。
「クロエ、ごめん……いや、ありがとう。リベルさんたちはいるか?」
「アストラさんの復帰に向けて、今は外に出ています。ミレイさんを追うのなら、私から伝えておきますよ」
「そうか……。じゃあ悪いけど、伝言を頼めるか」
彼らへの感謝と謝罪、そして再会への期待。それらを余すことなく伝えていく。
キョウヤがたどたどしく言葉を発すると、その度にクロエは大きく頷いていた。
「分かりました。間違いなく伝えておきます。先輩、また会えますよね……?」
「ああ、必ず。俺たちは絶対に死にはしない」
「……はい!」
「クロエ、本当にありがとう。俺にとっては、君も大切な友人だ」
「……! 私にとっても、先輩は大切な……友達です……! どうかお気を付けて、お元気で」
荷物を回収した後にクロエと握手し、一時の別れを告げて階段を下りていく。
カウンターにいた宿の主人に事情を話すと、キョウヤは急ぎ足で外へ飛び出した。
背後からは「いってらっしゃい」と、はつらつとした少女の声が響いた。




