第39話 何気ない時間
「疲れた……」
その日の夕方、キョウヤは宿屋の寝台に倒れていた。
木剣を購入した後はひたすらリベルと打ち合った。休憩を挟みながらとはいえ、それは想像以上に過酷だった。
この身体は丈夫だと思っていたが、ここまでの疲労感を覚えたのは初めてだ。
「キョウヤ、だらしないよ」
身体を起こすと、近くの椅子にミレイが座っていた。少し疲れた顔をしている。
彼女はマリウスに魔法を教わっていたはずだが、そこまで疲弊するような内容だったのだろうか。
「あのな……俺は直接身体を動かしてるんだから、仕方ないだろう」
「わたしだってマナを沢山使ってるから、倦怠感はあるんだけど」
その言葉を聞いて、ミレイがマナを使いすぎて意識を失った記憶が引き出される。
急に倒れてきた彼女を抱き留め、良からぬ念が浮かんでしまったことだけは、決して口外してはならない。
「……前はそれで倒れたけど、大丈夫か?」
「平気。マリウスさん、わたしに合わせてくれてたみたい」
「なら良かった」
あれ以来ミレイが倒れたことは一度もない。体調に異変を感じたら力をセーブすると約束しているし、彼女自身が成長しているというのもあるのだろう。
「懐かしい。あの時はキョウヤに迷惑かけてばかりだった」
「そうは言っても、まだ二週間前の話じゃないか」
初日の出来事は心に深く刻み込まれており、昨日のことのように甦ってくる。
野宿までする事態に陥ったのだが、別に恨んではいない。彼女も言っていたが、過ぎ去ってしまえば案外良い思い出になるものだ。
そして翌日の騒動は己が変わる契機になった。あの二日間があったからこそ、今の二人の関係がある。
「キョウヤ、変わったよね」
「ミレイもそう思うか?」
「うん。今はリベルさんたちとも打ち解けているけど、あの頃は凄く冷たい感じがした」
「……そうかもな。君と手を組んだのも、最初は保身のためだったし」
思い返せば、ミレイに納得してもらうため、あれこれと言葉を選んだものだ。
当初、彼女は明らかな拒絶の意思を見せていたが、キョウヤは友人に倣って手を差し出した。始まりはそこからだった。
「どうして、変われたの?」
「……半分はミレイのおかげだよ。もう半分は……元の世界の友人の言葉があったからだな。自己主張しろとか、気にしていたら駄目になる――そんなことを言われた」
もう手が届かない世界で、命を落とす前日にレオン、イーリスがくれた言葉。
リベルたちが善人であることは疑いようがなかったが、踏み込もうと思えたのはミレイや古い友人の後押しがあったからこそだ。
「そっか。一昨日の夜も言ってたけど、いい友達なんだね……」
「ああ。あいつらがいなければ、ミレイとも上手くやれていなかったかもしれない」
だから世界が違っても、あの二人への感謝の想いは永遠に消えることはない。
「もし元の世界に戻る方法が見つかったら、キョウヤは帰るんだよね?」
僅かな寂寞を纏うミレイに尋ねられる。その問いに偽りの回答はできない。
「前も言った通り、帰りたくないと言えば嘘になる。君はどうするんだ」
「わたしは帰らないよ」
分かり切っている質問だったが、即答だった。
危険が蔓延る世界に残りたいと思うほど、元の世界の彼女を取り巻く環境は悲惨だったのか。そう思うだけで心が苦しくなる。
現実を詮索する勇気はない。傷を癒す言葉など見つかるわけがない。だが、それでも――
「だったら、俺も帰らない」
「……どうして?」
「俺はミレイのガイドだから。君がこの世界でも安心して暮らせるように導く責任がある。帰るかどうかは、それを果たした後に考えるよ」
それでも、仲間として支え合うくらいはできる。
本当はミレイ、そしてクロエも連れて元の世界に帰り、レオンやイーリスとも再会できれば――そんな思いがキョウヤの心に募った。
しかし、その全てを掴み取ることはできないだろう。
「ありがとう、キョウヤ」
「どういたしまして」
ミレイが反論してくることはなかった。代わりに簡潔に感謝の意を伝えられ、自身も一言だけ返すにとどめた。
草原でも似たようなやり取りをした覚えがある。あの時は木の幹を挟んでいたが、今度は彼女の赤い瞳に直視されていた。
その表情に陰はない。ないのだが――
「……そうだ。明日の朝はどうする。二人で外に出るか?」
向けられた視線に耐えられず、キョウヤは話題を変えることにした。
剣の修行が思っていた以上に厳しかったのを察知されたのか、明日の午前は自由時間になっている。
「わたしは都市の中を回ってみようと思う。港の方にはまだ行ってないから。キョウヤはまた一人で修練?」
「いや、俺も一緒に行こうかな。……ミレイが嫌じゃなければ」
剣はしばらくリベルが指導してくれる。休息も兼ねて、都市を見て回るのも良いだろう。
「嫌なわけないでしょう。それに買い物をするならマジックケースがいた方がいい」
「相変わらず素直じゃないな」
「じゃあ、付き合って。一緒に回りたいから」
「……いや、その言い方もどうかと思うぞ」
キョウヤは胸の高鳴りを表に出さないよう堪えるのに必死だった。
おそらく素で言っているのだろう。そういう言葉が男の心臓に良くないのを理解していないようだ。
「めんどくさい……」
「悪かったな」
もう少し適切な距離を保ってほしいと思っているが、伝えたところで邪念が云々と返ってくるのが予測できてしまう。
彼女のペースに振り回されるのを避けるため、キョウヤは適当にはぐらかすことにした。
「腹が減ったな。そろそろ夕食にするか」
「そうだね。わたしもマナの使い過ぎでお腹空いた」
「……それ、関係あるのか?」
「どうだろう」
これが二人の日常。我ながら、癖が強い少女を相手に上手くやれている方だとは思う。
だが、何気ない日々がいつまでも続くことはない。いつか厳しい選択を迫られる日が訪れるかもしれない。
だから、共に過ごせるこの瞬間を大切にしたい。そんなことを考えながら、キョウヤはミレイを伴って部屋を後にした。




