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ティルナノーグの冒険者  作者: 有機エリー
二章 交易都市 オルストリム

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第26話 温かな夜

「――ッ!」


 とてつもない息苦しさを感じて、ミレイは身体を起こした。

 最初に目に映ったのは周囲を覆う天幕。中心にある一本の棒を支柱とした簡素な物で、その入口からは僅かにオレンジ色の光が差し込んでいる。

 地面には隙間なく麻布が敷かれており、自身を包むのはウールで作られたと思われる毛布だった。


 呼吸は異様に荒く、身体のあちこちが汗で湿っている。暑いどころか寒さを感じる夜であるにもかかわらず。

 そうさせたのが、己の中に潜む恐怖の感情であることは明白だった。


「……最悪」


 やけにリアルな夢を見ていた。二度と交わることのない世界の出来事なのに、どうして今になって出てきたのだろう。

 不快な光景を頭から振り払おうと勢いよく横たわると、後頭部に打ち付けられたような痛みが走った。


いたっ……!」


 すっかり失念していた。麻布で土を包んだだけの簡易的な枕が、衝撃を緩和してくれるはずがない。

 こんな失態を晒すのは野営に慣れていないのが原因の一つだ。しかしそれ以上に、夢のせいで現実との境界が曖昧になっていた。


「下らない……」


 この世界で自由で生きると決意したのに、未だ過去の束縛からは解放されていない。

 閉じ込めていた忌まわしい記憶が、光を当てられた氷のように溶け出ている気がする。


 もう一度眠りにつく気にもならず、ミレイは天幕から外に出た。

 離れた場所の地面に焚き火の炎が揺れている。漆黒の闇に包まれた空間の中で、それだけが温かな光を発していた。


 傍らには黒いロングコートを着用した大人びた雰囲気の男性が座っている。

 それは仮初めの姿であり、実際は同年代の少年だと聞いている。その割には妙に達観しているところがある不思議な人だ。

 この世界で初めて言葉を交わしたのが彼だった。なんの因果か分からないけれども、ミレイと同じ世界から来た転生者であり、現在は行動を共にしている仲間でもある。 


「随分早いな。もっと寝ておいた方がいいんじゃないか」


 見張りをしていた男性――キョウヤがこちらに気付き口を開く。淡々とした言葉の裏では様々な思考が巡っているに違いない。

 彼は不器用な人間だった。自分の気持ちを伝えるのが下手で、いつも思い悩んでいるように見える。

 一方で仲間思いな一面もあった。思い詰めたり危機に陥った時、何度も彼に救われている。要領が悪いことに変わりはないけれども。


「……眠れない」

「そうか。まあ、準備はしたけど粗末なものだしな」


 野営をするのは初めてというわけではない。この世界に生を受けた初日、やむを得ず街の外で一夜を明かす羽目になった。

 もっとも、ろくに備えもしていなかったため、それは野営ではなく野宿という方が正しい。

 その時の反省を踏まえているため、環境は幾分かまともになっている。それもキョウヤが主体となって考えてくれたのだから、文句を言える立場ではない。


「ううん。そうじゃなくて、ちょっと考え事をしてただけ」

「……それは君が見張りをしている時にするべきじゃないか?」


 適当に理由付けをしたつもりが、ごもっともな意見を返されてしまう。

 今回はミレイが先に睡眠をとっていた。後で交代する必要があるのだから、しっかり休まなければいけないのだ。


「ごめん……」

「謝らなくていい。とりあえず座ったらどうだ」


 淡泊ではあるものの、それが彼なりの気遣いであることは知っている。

 言われるがままに、焚き火を挟んで向かい側に腰を下ろす。燃える炎が身体を温め、その奥の仲間の存在が心に温かみを与えた。


「……何か悩み事でもあるのか?」


 過干渉を恐れているのか、キョウヤの声音は遠慮がちだ。

 お互い心の内に留めておきたい思いはあるし、ふとしたことで相手を刺激する可能性もある。

 この世界に来る前の話は禁句。それはもはや暗黙の了解だった。


「あなたは……元の世界に帰りたいと思う?」


 それでも、好ましくない話題だと承知の上でそう尋ねた。

 知ったところで意味はない。彼がどのような人生を送ってきたのか、少しだけ興味が湧いただけだ。


「そうだな……帰りたくないと言えば嘘になる。やり残したことがあるから」

「やり残したこと……?」

「こんな俺にも寄り添ってくれる奴らがいたんだ。でも、別れを告げることすらできなかった」


 どうやら彼には未練があるらしい。そういえば、仲間に恵まれていたと言っていたような気がする。

 自分とは違い、この世界に来たのは悲運に見舞われた結果なのだろう。


「どんな人たちだったの?」

「面倒見が良くて頼れる兄貴みたいな陽キャと、もう一人は……口が悪くないミレイみたいな奴だな」

「……なんか失礼なことを言われた気がするんだけど」

「気のせいだ。とにかく、俺には勿体ないくらいの友人だったよ」


 キョウヤは遠くを見つめ、過去を懐かしむように苦笑いを浮かべた。

 彼には帰りたいと思える場所があり、迎えてくれる人もいる。羨ましく思うと同時に、形容しがたい寂しさが込み上げた。


「……そっか。だったら、戻る方法を探さないとだね」

「あまり期待はしてないけどな。それにこの世界も悪いことばかりじゃない」

「前は生きるだけで精一杯って言ってたのに?」

「それは……その、あれだ。今は心強い仲間がいるからな……」


 目を背けながら口ごもるキョウヤの顔は、焚き火の光も相まって一段と赤く見える。

 彼にしては珍しく素直な言葉だった。どこまで察しているのかは読み取れないけれども、元気づけてくれているのは分かる。

 そのぎこちない様相に自然と口元が緩み、クスリと笑いが漏れた。

 

「……そろそろ寝てくれ。俺の睡眠時間が減る」


 笑い声は彼の耳にも入ったのか、すぐに素っ気ない言葉が返ってくる。間違いなく照れ隠しだ。


「眠くなったら起こして交代すればいいでしょう?」

「遠慮しておくよ。犯罪者扱いはされたくないから」

「……そう。じゃあ、起きなくても文句は言わないでね。おやすみ」


 軽口を叩き合って会話を終えた後、ミレイは天幕に戻り再び横になった。

 いつの間にか冷たい過去の記憶は遠ざかり、心は安寧を取り戻していた。


「心強い仲間……」


 その言葉を復唱すると、心身共に温もりに包まれていくのを感じる。

 今度こそ平穏な眠りが訪れると確信し、ミレイはそっと瞼を閉じた。

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