第23話 救済
テーブルの前で足を止めた男は、装いこそ見慣れないものだった。
しかし、すぐに一度出会ったことがあると認識できた。数刻前にミレイが路地で救った勇敢な男だ。
「申し遅れました。私はバルド、行商人です。あの時あなた方に救われなければ、私は命を落としていました。心より感謝を申し上げます」
バルドと名乗った男が深々と頭を下げる。
突然のことに慌てながらも、キョウヤは椅子を引いて彼に着席を促した。
冒険者ではない気はしていたが、商人というのは意外だ。とはいえ都市や街を転々としているのならば、魔物と戦える実力を備えているのも納得できる。
「傷はもう大丈夫なんですか……?」
「ええ。痛みは残っていますが、大したことはありませんよ!」
ミレイが心配そうに声をかけると、彼は気丈に振る舞ってみせた。
街の広場で改めて治療を受けたのだろう。自分も世話になったが、熟練の魔法使いの治癒魔法の効力は確かなものだ。
「ところで、お二人にお礼を差し上げたいのですが、お困りごとはございませんか?」
椅子に腰かけたバルドは本題を切り出した。そのために二人を探していたのだとしたら、大層義理堅い人間である。
悩み事なら山ほどあるが、彼を見捨てた己に受け取る資格はない。ミレイと目を合わせると、彼女は困ったような表情を見せながら辞退した。
「……お気持ちだけいただいておきます」
「それでは私の気が済みません。商人として恩義に報いるのは当然のことです!」
しかしバルドは一歩も譲らない。彼もなかなかに頑固な人間のようだ。
「キョウヤ、どうしよう?」
命を救ったのはミレイなのだから、こちらに振られても困る。
どうしようかと視線を泳がせていると、彼の腰に備え付けられた物体が目に留まった。
街の露店でも一度見かけたことがある物。鞄のような見た目をしているが、多数の物を収納して持ち歩ける魔導具。
「マジックケース……」
キョウヤが呟くと、バルドも察したのか視線を落とした。
それが非常に高価な物だということは周知の事実だ。一朝一夕で手に入る物ではなく、見ず知らずの他人に譲れるわけがない。
だからこそ、あえて口に出した。そこまで貴重な物を要求されるのならば、諦めて引き下がるしかないだろうと考えた。
「なるほど……確かに冒険者さんの必需品ですね」
バルドは腰の魔導具に手を伸ばすと、中から何かを取り出した。
空間の法則を無視して物体が出現するのを目の当たりにして、脳に不具合が生じたような感覚に襲われる。
次にテーブルの上に目を向けると、そこにはもう一つのマジックケースが置かれていた。
「こんな物でよろしければお譲りしましょう」
「えっ……いただけません!」
その正体に気付いたようで、ミレイは手を振って慌てふためいている。
予想は易々と裏切られた。お人好しにしても度が過ぎるというものだ。
「ははっ、そう仰らずに。命の重さに比べれば、大した物ではありません」
「い、いや、冗談ですよ。さすがにこれは受け取れません」
これがあれば不便だった所持品の問題が解決する。二人にとっては願ってもないことではあるが、それではバルドの負担が大きすぎる。
彼だって人を助けようとした結果、あのような事態に陥っていたのだから。
「ふむ、これは心外ですね。私の命の価値はこんな魔導具一つにも満たないということでしょうか……」
バルドはわざとらしく落胆した様子で自虐する。戯言であると分かってはいるのだが、受け取らなければ彼の名声を傷付けるような気がした。
商人として世を渡る者に口で勝てるはずがない。同じ結論に至ったと思われるミレイに続いて礼を言うと、彼は満面の笑みで頷いた。
「では、お二人のお楽しみの妨げにならないよう、これで失礼いたしますね。本当にお世話になりました。またどこかでお会いできる日を楽しみにしております!」
彼は最後にもう一度頭を下げて謝意を示すと、満足したように去っていく。余計な一言が聞こえた気がするが、他意はないと信じたい。
扉から外へ出ていくバルドを見届けたキョウヤは、彼のような善良な人物を見捨てたことに少なからず罪悪感を覚えていた。
「本当にいいのかな……こんな高価な物……」
勢いに押し切られてしまったようだが、ミレイはやはり困惑していた。
クラウザ一味が悪行を働き、結果的にこちらも得する形になっている。そう考えると複雑な気分ではあった。
「……君があの人の命を繋いだのは事実だし、謙遜しなくてもいいんじゃないか」
ミレイは彼を発見した当初から一貫して、その命を救いたいという一心で動いていた。そこに打算など存在しなかったはずだ。
そんな彼女が少しくらい――というには多いかもしれないが――報われても良いと切に思う。
「でも、クラウザのことを考えると素直に喜べない……」
「ミレイ……何度でも言うけど、それは君が気にすることじゃない。俺たちは俺たちにできることをやればいいんだ」
力を持っているから、事情を知ってしまったから。それだけで何もかも背負っていたら切りがない。
ミレイは使命感に縛られることを嫌っていた。だから、彼女には自由に生きてほしいと願う。
「わたしにできること……」
「余計なものまで抱え込む必要なんてない。君は大事なことをやり遂げた。それで十分だよ」
「……そう、だね……バルドさんを助けられて、良かった。今は……それだけで十分……」
ミレイの目が潤み、涙を隠そうとしたのかテーブルに突っ伏した。
心の中で渦巻く様々な感情をずっと堪えていたのだろう。それは純真な少女が抱え続けるにはあまりにも大きすぎたのだ。
彼女が再び顔を上げるまでの間、キョウヤはその場で静かに待ち続けた。




