第2話 消失
「そうだキョウヤ、魔法剣士のスキル振りを教えてくれないか? ネットで調べるより確実だからな」
しばらく三人で取り留めのない雑談を続けていると、これまで魔法一辺倒だったレオンがそんなことを言い始めた。
魔法剣士に興味を持ってくれたのかと思い、キョウヤは少し得意気になった。
「ん、どんな立ち回りをしたいかによって変わってくるけど。俺のを真似してみるか?」
「まさか。お前みたいに近接魔法支援なんでもありなビルドなんか扱えねえよ。とりあえず前衛が務まれば良いかな。後衛が多い時にそっちを出せるようにしたい」
つまり一般的なスキル配分を想定しているのだろう。キョウヤのものとは少し違うが、初期から魔法剣士を続けているため、答えられない内容ではない。
「レオンも魔法剣士かぁ。私もキョウヤ君見てるとやってみたくなるんだよね」
「こいつだいぶ狂ってるから真似しようと思わない方がいいぞ」
「知ってる。この子は化け物だから」
何やら失礼なことを言われている気がしたが、キョウヤのような奇抜な戦い方をするプレイヤーは奇異の目で見られることが多いのも事実だ。
このゲームには職業やジョブ、クラスというシステムは存在しない。
プレイヤーは獲得したスキルポイントを様々なスキルに振り分け、自分好みのキャラクターを作り上げることができる。
課金要素ではあるが、複数のスキル配分のパターンを保存して切り替えることも可能だ。
もちろん、快適にプレイするためのテンプレートのようなものは存在する。剣や槍を使う戦士タイプならSTRに関係するスキルを重視し、魔法使いならINTを追求するといった具合である。
基本的にはある分野に特化するのが最適であり、別系統のスキルは特定の敵への対策程度にとどめておく方が実用性がある。
そんな中で、キョウヤは剣と魔法の両刀というロマン溢れる――中途半端で器用貧乏ともいう――スタイルを貫いていた。
接近戦では剣の物理攻撃と、魔法剣スキルにより属性を宿して戦う。ここまでは前衛としては珍しくない魔法剣士そのものだが、キョウヤは剣の射程外であれば適宜魔法で攻撃を行い、必要があれば回復や補助魔法も使っている。
無論、それぞれに特化したキャラクターと比べると性能は大きく落ちる。だが、ソロは大体の状況に対応できるし、パーティならば足りない部分を埋められるのが利点だ。
最初は状況に応じた立ち回りができず嘲笑されたものだが、知識と経験の積み重ねにより、今では器用万能と言われるようになるまで扱えるようになっている。
「なるほどなぁ。スクショ撮ったから明日にでもスキル振って練習してみるかな。サンキュー」
ゲーム内チャットで丁寧に手引すると、レオンもあらかた理解できたらしい。
以前、同じように魔法剣士志望の初心者に教えを乞われた経験があったからか、我ながら上出来な解説だった。
「私もちょっと気になってたから参考にさせてもらうね。ありがとうー」
「どういたしまして」
回復と支援が大好きなイーリスまで前衛をやるビジョンは想像できなかったが、二人の役に立てたのなら幸いだ。
先ほど励まされた分のお返しとしては全然足りないが、それは今後の行動で返していけば――
「うわっ、もう二時過ぎてるよ。私は明日二限からだからいいけど、二人は大丈夫なの?」
彼女の心配そうな言葉に思考が中断され、恭夜は現実に引き戻された。
彼は高校生であり、朝七時には起床しなければ朝礼に間に合わなくなるのだ。
ゲームで現実を犠牲にしてしまっては笑い話にもならない――どれほど空虚な現実であっても。
「すまん。俺が時間取らせたせいで」
「いや別に、気付いてはいたから。まあ、そろそろ寝るよ」
申し訳なさそうなレオンの言葉を訂正し、話を切り上げる。
二人との会話を終えるのが名残惜しくて夜更かししているだけなのだから、これは自己責任だ。
「んじゃ、これでお開きだな。また明日、時間が合えば」
「はいはーい。今日も楽しかったよ。二人ともまたね!」
「ああ、おやすみ」
各々が挨拶を交わし、ボイスチャットを切り、ゲームをログアウトしていく。自室は先ほどまでの騒がしさが嘘だったかのように静寂に包まれた。
ベッドに横になりスマートフォンのアラームをセットすると、現在時刻の2:22という表示が目に入る。恭夜はなぜか一抹の不安を感じ、すぐに目を閉じることにした。
翌朝、かろうじて睡魔に打ち勝った恭夜は、着替えを終えてダイニングルームに入った。両親はいつも通り早朝から仕事に出ているようで、一人だけの空間がとても広く感じる。
無感情のまま椅子に座ると、前日に買っておいたパンを頬張り、眠気を覚ますためにエナジードリンクを注ぎ込んだ。
睡眠時間が十分に取れていないことが響き、疲労が完全には抜けていない。重い身体に鞭打ち、普段よりも緩慢な動作で諸々の準備を終える頃には、家を出るのに丁度良い時間になっていた。
足早に自宅を出てしばらく歩くと、同じように駅に向かっている学生や、スーツ姿のサラリーマンの姿が増えてくる。代わり映えのない光景だが、この後に満員電車という地獄に詰め込まれることを想像すると気が重くなった。
ワープやテレポートのように、瞬間移動できるシステムでもあれば良いのに。そのような下らないことを考えてしまうのは、ゲームに毒されているからだろうか。
人の往来に身を任せて青信号の横断歩道を渡っていると、突如蜘蛛の子を散らすように流れが乱れた。
怒号や悲鳴が耳に入り、ようやく異変を感じた恭夜は周囲を見渡そうとし――刹那、凄まじい衝撃とともに、文字通り天と地がひっくり返るのを見た。
自分が宙を舞っていることを理解したのは、まさに地面に叩きつけられる直前だった。
――身体が動かない、前がよく見えない、呼吸が苦しい。
地面のよく分からない匂いに混じって、不快な鉄の臭いが広がっていく。その正体が身体から抜けていく血液だということは自明だった。
――嫌だ、死にたくない。
その思考とは裏腹に、急速に生命力を奪われていく感覚に支配される。恭夜が死を受け入れるまでに、そう長い時間はかからなかった。
しっかり睡眠を取っていれば、もっと早く異変に気付いて惨劇を回避できただろうか。
ゲームで現実を犠牲にしてしまっては笑い話にもならないという自戒は、あまりにも早いフラグ回収により破られてしまった。
それにしても、本当に退屈な人生を送っていた気がする。周囲の目ばかり気にして、機嫌を窺って生きるようになったのは、いつからだっただろうか。
孤独に果てていく己がゲームに出てくるモブキャラ未満に見えて、思わず自嘲する。
『ずっと気にしてたら楽しめなくなるよ。ちょっとくらい失敗しても大丈夫だから』
『もし問題が起きても俺らがなんとかしてやる。独りで背負い込むな』
不意に馴染み深い声が再生され、冷たくなっていく身体に少しだけ熱が宿ったように思えた。まだ顔も本名も知らないあの二人にだけは、素の自分を曝け出すことができていた。
彼らのおかげで、人を信じてみようと決意したばかりだったのに。少しでも変わって、彼らを安心させたかったのに。
自分が突然居なくなったら、また心配させてしまうだろうか。昨日の話が原因でログインしなくなったと思われてしまうのだろうか。
二人の存在を強く意識すると、記憶が走馬灯のように次々と蘇ってきて目頭が熱くなった。
『よう、こっちでもタメでいいよな?』
『こ、こんにちは。実際に話すのは緊張するなぁ……』
初めてボイスチャットに繋いだ時。レオンが延々と語り続け、イーリスが相槌や返答をして、キョウヤは空気と化していた。
だが、その後は答えやすい話題を振ってくれることが多くなった。そしていつの間にか、当たり前だったかのように会話に馴染んでいたのだ。
皆で高難易度ボスを初討伐した時は、朝までハイテンションで盛り上がったこともあった。近々開催される公式オフラインイベントに、共に参加する話が出たことは記憶に新しい。
これからもあの世界では沢山の体験が待っていると思っていた。しかし、新たな思い出が紡がれる機会はもう二度とないのだ。
積み上げてきた友情は、命と共に儚く散っていく。ただ一言、謝ることも別れを告げることさえも、もはや叶わない。
――もしも一つだけ願いが叶うのなら。
思考がまとまらなくなり、意識が闇に溶けていく。
――もう一度だけ、あの世界に……。
その瞬間、御影恭夜の生命は世界から消失した。