第17話 帰還と異変
結論から言うと、キョウヤは十分な睡眠をとれていない。
数時間は眠っていた気はするが、中途半端なタイミングで目が覚めたことが災いし、以降は目を閉じても眠りに落ちることはなかった。
泣き言を言っても仕方ないため、頃合いを見て見張りを交代した。
ミレイは一時は警戒して起きていたようだが、しばらくすると外套のフードを目深に被って眠りについていた。それ以降、目覚めた様子はない。
既に夜の闇は薄れ、遠くの木々の輪郭まで視認できる程度には明るい。もうしばらくすれば街の門も開くはずだ。
襲撃に遭うこともなく、無事に夜を越えられたことにひとまずは安堵する。
「ミレイ、起きてるか?」
木に身体を預ける少女からの返答はない。音を立てないようにして様子を窺うと、彼女の穏やかな寝顔が目に入る。
夜が明けた以上この場に長居は無用なのだが、あえて起こすのは躊躇われた。
結局、ミレイが目覚めたのはそれから数十分も経った後のことだった。
目を擦りながら立ち上がった彼女と軽く朝の挨拶を交わす。清々しい朝を迎えたと言わんばかりの彼女とは裏腹に、キョウヤは浅い眠りに引き込まれそうになっていた。
「眠そうだね」
「あまり眠れなかったからな。君は熟睡できたか?」
「おかげさまで。あなたがケダモノじゃなくて安心した」
「……その話は蒸し返すな。そろそろ帰るぞ」
麻袋を肩に掛けると、重い身体に鞭打って昨晩来た道を引き返す。まずは冒険者ギルドに戻って報酬を貰わなければ何もできない。
森を抜けて草原に出ると、東の空の光が眩しく煌めいた。
前方にある街の入口からは、複数の人や馬車が出立する様子が見て取れる。逆に街に入ろうとする人影は他に見当たらず、門の付近では好奇の目に晒された。
少女を連れて朝帰りする男という図は、見様によっては非常にいかがわしく感じられるのは無理もないことだ。ミレイもそれを察したのか、ばつが悪そうにフードで顔を隠した。
早朝のギルドは閑散としており、手続きにそれほど時間を要することはなかった。
パーティを組んでいるため、報酬は半分に分割されて支払われる。昨日の規定に則り、ミレイには更に二割減された額が渡された。
とはいえ十分な戦果を挙げているため、一日二日を倹しく過ごす程度なら困らない収入を得られている。
「これからどうするの?」
「俺はもう少し寝たい……。とりあえず北の宿で部屋を借りるよ」
「そう。じゃあ、わたしもそこで借りておこうかな」
街の中心部は利便性が高いこともあり高級宿が多いが、これらは富裕層向けといっても差し支えなく、駆け出しの冒険者にはコストが高い。
逆に、北側には手頃な価格の宿屋が点在していることはリサーチ済みだ。その中の一つ、北門に続く大通りから外れた北西の通り沿いの建物へと足を踏み入れる。
「いらっしゃい! ふむ……二人部屋をご希望かな?」
「違う!」
「個室で!」
宿屋の主人の男の意味ありげな微笑みとともに飛び出た発言を、二人は即座に否定した。
焦るキョウヤに対し、ミレイの言葉には怒りが漂っている。男とやり取りをしている間、彼女は不貞腐れたように顔を背けていた。
「じゃあ、俺はしばらく寝るから。昼頃にこの宿で落ち合おう」
「わたしは少し休んだ後に街を見て回るつもり。また後で」
二階の部屋の前で淡々と再会の約束をすると、キョウヤは借りた個室に入り閂をかけた。
外では常に着用していたコートを脱ぎ捨て、腰のベルトごとダガーとポーチを床に置く。そして、奥の壁際に置かれていた粗末な木製のベッドに飛び込んだ。
自分だけの空間で落ち着けるのは久しぶりな気がして、安心感に包まれたキョウヤは間もなく深い眠りに落ちた。
「――キョウヤ! キョウヤ、起きてっ!」
部屋の扉を叩く音と張り詰めた声が耳に入り、キョウヤの意識は瞬時に覚醒した。
速やかに扉を開けると、声の主が慌てて飛び込んでくる。直前まで走っていたのか息を切らしており、ロッドを持つ手は震えている。
「落ち着いて。大丈夫だから、ゆっくり話すんだ」
ミレイの焦燥に駆られた様相を目にして、とてつもなく嫌な予感がした。だが、ここで自分まで焦っては話が進まないため、可能な限り柔らかく声をかける。
やがて、彼女は深呼吸した後に途切れ途切れに声を絞り出した。
「街に、魔物が入ってきてる。北側は危険だから、川よりも南に逃げるように言われて……!」
「魔物が……?」
魔物は生息域が決まっており、自ら境界を越えてくることは滅多にないと聞いている。街が襲撃されるなど、尋常なことではない。
「北の門から侵入されたのか?」
「多分、そう。街中が混乱してて、わたしも急いで戻ってきたの」
「分かった。すぐに準備を済ませる」
北側が危険ということは、山に生息している魔物が襲ってきたに違いない。
《ロスト山地》と呼ばれるそのエリアは、平原とは比べ物にならないほど強力な魔物が跋扈しており、ランク3までの下級冒険者は入ることすら許されない場所である。
口惜しいが、今の段階で戦うのはあまりにも無謀だ。
キョウヤは急ぎ装備を着用し、ミレイを先導して階段を降りた。主人や他の利用客の姿はなく、宿屋の中は静まり返っている。
さすがに魔物は入ってきてはいないが、ここに閉じ籠るのは得策ではないと感じた。いつ襲撃されるか分からないし、場合によっては戦闘の余波で建物が倒壊することも考えられる。
すぐに入口の扉を開けて隙間から外を見回すが、付近に魔物の気配はなかった。既に避難を終えているのか、通りには人影も全く見当たらない。
北門へ続く大通りの方角からは人の叫び声や魔物との交戦と思われる音が轟いている。
「この辺りに敵はいないな。とにかく注意しながら避難しよう」
「戦わないの……?」
「駄目だ。山の魔物だとしたら、二人だけでは危険すぎる。やるにしても、まずは他の冒険者たちと合流した方がいい」
「……うん」
宿屋から外に出ると、建物の陰を利用しながら街の中央に向かって疾走する。
賑やかだった街から人の姿が消えたせいか、辺りは不気味な雰囲気が漂っていた。




