第121話 一方的な依頼
全身が浮遊する感覚とともに、閉じた瞼に眩い光が伝わる。
思わず目を見開くと、雪のような白が視界一面に広がった。
どこか見覚えがある空間に、己は仰向けに寝かされている。
「ここは一体……」
呟いただけのつもりだったのに、声は予想以上に大きく反響した。
恐る恐る身を起こすが、目に映るのはどこまでも続く純白の世界だけ。
手には仄かな熱が伝わっている。まるで明かりに触れているかのように。
記憶が確かであれば、自宅の寝台で眠りについていたはず。
そうすると、これは夢の中ということだろうか。それにしては意識が明瞭だが。
「キョウヤ」
「先輩」
思考を放棄しようとした瞬間、よく知った二つの声が耳に届き、咄嗟に固く目を瞑っていた。
夢は無意識的な願望が表れることが多い。正しいかは分からないが、そんな話を聞いたことがある。
ここで彼女たちに卑しい目を向けでもすれば、一瞬で最低の男に成り下がってしまう。
「ねえ、目を開けて」
その声の主は、いつの間にか前方に移動してきているようだった。
もう一人の気配はすぐ後ろにある。つまり二人に挟まれている状況だろう。
ビクリと身体が跳ね上がる。突如、両肩を掴まれて揺さぶられたからだ。
おまけに温かい吐息が顔面を撫でる。感触は現実のように生々しかった。
「――ッ! 違う、俺はそういうのは……!」
言いながら歯を食いしばるものの、夢は一向に覚める兆しがなかった。
勢いよく手を突き出して静止すると、何か柔らかいものに触れてしまう。
それの正体はすぐに察しがついた。もはや言い逃れはできない。
「……クロエ、やっちゃって」
「え、ええ……? でも……」
「大丈夫。わたしが許可するから」
「わ、分かりました! では失礼して」
意味深なやり取りが心拍数を上げる。一体何が始まるというのか。
期待だけが高まっていき、ついに白旗を上げた。これは不可抗力だと言い聞かせる。
直後、間抜けな悲鳴が漏れ出た。尋常ではない冷気が首筋を襲ったのだ。
再び目を開ければ、不機嫌そうな顔を浮かべて屈むミレイの姿があった。
「……夢なら早く覚めてくれ」
「夢じゃないんだけど。いい加減にしてくれない?」
現実逃避しようとすると、身も凍えるような威圧が返ってきた。
既に自分が覚醒しているのは理解している。完全にやらかしてしまった。
先ほどの冷たい衝撃は、背後に立つクロエが氷魔法を使ったのだと推測できる。
「あ、あの……ミレイさん、落ち着いてください。私も言われるまで気付きませんでしたから……」
今にも怒りを爆発させそうな相棒の元へ、優しい後輩が駆け寄って宥めている。
二人は就寝前に見た時と同じルームウェアを着用していた。それは自分も同様だ。
要するに、眠っている間に三人まとめて転移させられたことになる。
「これは、どういうことなんだ……?」
「そんなの決まっているでしょう。わたしたち三人に干渉してくる存在なんて、彼女しかいないよ」
まだ混乱している脳を整理するために声を上げれば、ミレイが立ち上がりながら断言した。
彼女はしきりに周囲を眺め回している。だが、目的のものは見つからないようだ。
ようやく腑に落ちる。これは人智を超えた存在、すなわち女神ソラスの仕業に違いない。
向こうから繋ぐ可能性があるとは聞いていたが、こんな形になるとは予想できなかった。
「呼び出しておいて、本人はいないのか」
「うん、見当たらないね。わたしと似た力は感じられるんだけど……」
ミレイは光の力を宿しているため、ここが女神の領域だとすぐに認識できたのだ。
問題はソラス自身が到着していないこと。あの杜撰な性格は全く改善されていないらしい。
『あ、あー。聞こえますか、聞こえますか? 私はソラス、この世界を護る女神です』
悪態をついてやろうかと思っていると、空間に透き通った声が響き渡る。
その美しさとは裏腹に、まるでマイクテストをしているような軽快な調子だった。
『まあ、私の力に間違いはないはずですし、聞こえているという前提で話を進めます。直ちに《ソラスティア神聖国》に向かってください。多数の闇を感知しました』
「……お前が有益な情報を持ってくるなんて意外だな」
女神には何も期待していなかったが、ただの怠け者ではないのかもしれない。
しかし、快適な眠りを妨げられたのは事実。仕返しとして軽く嫌味を言ってやった。
『本当に苦労したんですよ。魔神に対処しながら世界を注視するのが、いかに大変であるか分かりますか? 分かりませんね、そうですね。こんなことに力を割きたくはありませんでしたが、人の子に一任するわけにもいきませんから。まったく、我ながらよく働いたと称賛してあげたい気分ですね。ということで、ここからはあなたたちの出番です。かの神聖な地に蔓延る《負の共鳴者》の討滅を依頼します。健闘を祈っていますよ』
「おい、待て! 国だけでは情報が少なすぎるぞ」
《ソラスティア神聖国》は、これまで拠点としてきた《グランルクス王国》の東側に位置する。
《ルグステラ大陸》東部の大部分を統治しており、南北に広がっている国家だ。その範囲は決して狭くはない。
当てもなく魔神の勢力を探し出すのは無理がある。ある程度は絞り込んでもらわなければ。
『ああ、大事なことを伝え忘れていました』
「そういうのは先に共有しろ」
危うく無駄話を聞かされるだけになってしまうところだった。
相変わらず、肝心な部分が抜けている女神だ。こちらで制御しなければ話にならない。
『もう気付いているかもしれませんが、この連絡は事前に空間に込めておいたものです。あなたたちの声は私には届いていませんので、理解しておいてくださいね。では今度こそお別れですが、期待していますよ。キョウヤ、ミレイ、紺色』
「……は?」
己の素っ頓狂な声が真っ白な空間に虚しく響いたが、応える声はもう存在しない。
そもそも初めから対話など成立していなかった。女神が一方的に喋っていただけだったのだ。
「私って、そんなに影が薄いんでしょうか……?」
「多分、彼女の前で名乗っていないからだと思う……」
落ち込み気味のクロエに対し、ミレイがフォローを入れている。
自分と同じく、少女たちも適当な女神には半ば諦めているのが見て取れた。
少しでも使えると思ったのが誤りだった。ソラスの評価は今後も上がることはないだろう。
「ところで、いつになったら戻れるんでしょう……」
三人で顔を見合わせた後、ほぼ同時に深いため息を吐く。
空間から脱出させられたのは、それから数十分も経った後のことだった。




