第102話 作戦会議
しとしとと泣き続ける空とは裏腹に、神殿の小部屋には温かな空気が広がっていた。
苦悩が消えたわけではない。この先も悩み、苦しみながら進んでいくことになる。
それでも、少女は世界に立ち向かうために思いを新たにした。その決断は無駄にはならないと信じている。
「話は終わったみたいだね。クロエ、大丈夫?」
席を外していたミレイが戻ってくる。クロエが響かせた声は彼女の耳にも届いていたに違いない。
口調は穏やかだ。だが、目は笑っていなかった。誤解を解かなければ命が危ない気がした。
「ミレイ、とりあえず話を――」
「うん、あなたには聞いてないよ」
色々と、本当に色々と、問題は積もりに積もっている。
まずは目の前のことから片付けたいのに、なんだか先が思いやられる。
ため息が出そうになるのを辛うじて堪えた。これ以上、彼女を怒らせてはいけない。
「クロエ、キョウヤに変なことされなかった?」
「されていない……はずです」
「おい、そこはちゃんと否定してくれ」
「すみません。少し記憶が曖昧で」
顔の向きを変え、舌を出しながらウィンクしてくるクロエ。
可愛らしい仕草ではあるが、こちらにしか見えない角度だった。確信犯だ。
ミレイのジト目が突き刺さる。悪いことはしていないのに、なぜ責められているのか。
「はぁ……まあ、今回は見なかったことにしてあげる」
「だから俺は何もしていない。そもそも、なんで上から目線なんだ」
「わたし、キョウヤの監視役だから。間違いを起こしそうになったら止める約束もあるし」
「それ、まだ続いているのか。あと、間違いってそういう意味じゃないからな?」
何かにつけて過去の話を引っ張り出してくるのは彼女の得意技だ。些細な出来事までよく記憶しているものだと感心する。
とにもかくにも、取るに足らない応酬ができる雰囲気は戻っている。クロエもクスクスと笑っているし、もう平気だろう。
「……さて、そろそろ作戦会議でも始めるか?」
「そうだね。どうせ下山できないし、今のうちに情報を整理したい」
「はい、私も異存はありません」
女神ソラスから真相を聞いてしまった以上、平穏な暮らしは望めない。
目を逸らすことはできても、脅威はいずれ世界に蔓延していく。手遅れになる前に手を打つ必要がある。
この世界で生きると決めたからこそ、危険を冒さなければならない。転生者として、冒険者として後悔しないために。
「まず、俺たちだけでは手に余るのは事実だ。助けを求めないとな」
「冒険者ギルドと王宮に報告する?」
「いや、派手に動けば相手にも警戒される。それにルキウスはまだ信用できない。関係者に明かすとしてもソフィーさんだけだ」
あの騎士団長が敵だとは思いたくないが、完全な味方と信じ込むのは危険だ。
王宮に《負の共鳴者》が紛れていた場合、無実の罪を着せられて消される可能性がある。
権力者というのは厄介極まりない。個人で太刀打ちできる相手ではないのだから。
「とりあえず、《光の剣》とはいずれ連携したい」
「アインスさんとリーゼさん、光の力を使っていたよね」
「ああ、あの二人は味方だ。次に会った時に情報共有しないとな」
アインスとリーゼは女神と繋がっていると見て間違いない。マリーとフリードは分からないが、悪人には見えなかった。
問題は彼らが東の《ソラスティア神聖国》に行ってしまったこと。現状では連絡を取る手段がない。
「あの、《フリーダム》の皆さんに伝えてもいいですか……?」
おずおずと手を挙げたのはクロエだった。
四人と付き合いが長い彼女の提案だ。拒否する理由などない。
「俺は賛成だ」
「わたしも」
「お二人とも、ありがとうございます」
強いて言うならマリウスは胡散臭いが、元々あのような性格なのだろう。
第一、廃坑で危機から救ってくれたのは彼らだ。疑うのは野暮といえる。
命の恩人に重荷を背負わせるのは抵抗があるものの、これほど頼もしい冒険者は他にいない。
「敵の規模が分からないのが痛いね」
「そうだな。まずはラージュと魔女をなんとかしよう」
女神は何も情報を持っていなかった。世界のために動いているのだとしても、役立たずと言わざるを得ない。
シルヴァンは倒したが、ラージュは行方不明だ。その上、名前すら分からない魔女まで出てきている。
「ラージュさんとは話し合えないでしょうか? 本当は、悪い方ではないはずなんです……」
再びクロエが口を開く。声は徐々に小さくなり、瞳は揺れていた。彼を思う気持ちが痛いほど伝わってくる。
もちろん、和解できるならそれに越したことはない。しかし、一度相対した時に伝わってきたのは深い憎悪だけだった。
交流があったクロエなら見込みがないとは言い切れないが、闇に染まったラージュの心の内は読めない。
「遭遇した時は話してみるよ。聞き入れてくれないなら、俺が決着をつける」
応じなければ、シルヴァンと同じ末路を辿ることになるかもしれない。
だとしても、絶対に少女たちの手は汚させない。血に染まるのは、彼を歪ませる原因を作った者だけで良い。
「明日はまず王都に戻って《フリーダム》と合流だ。可能ならソフィーさんにも連絡して、あとはルキウスから情報を得る。それでいいか?」
ミレイとクロエは緊張した面持ちで首を縦に振った。
現状で決められるのはこんなところだ。明日からはまた激動の日々になるだろう。
やがて、三人で他愛ない話をしているうちに雨は上がっていた。
だが、既に日は傾いている。足元が悪い中を下山することはできない。
キョウヤは見張りを務めながら、かつて仲間だったラージュに思いを馳せていた。




