第1話 居場所
視界を埋め尽くすほど巨大な大蛇の魔物が、最後の抵抗とばかりに魔力を解放した。
岩石に覆われていた大洞穴が崩壊し、周囲に白と黒の絵具が不規則に混じり合ったような混沌の空間が広がっていく。
魔物が胴体を激しく地に打ち付けると、ひび割れた大地から眩い光が不規則に立ち昇る。同時に口からは漆黒の闇が、前方を薙ぎ払うように何度も放出された。
大蛇の正面では黒衣を纏った男が駆けていた。
光の柱を的確に躱し、闇のブレスが迫る直前で飛び込むように潜り抜け、徐々に距離を詰めていく。
両サイドからは彼と同じように二人の戦士が突撃しているが、光と闇の狂宴を掻い潜って前進するのは容易ではないようだ。
その時、男の背後から飛来した灼熱の炎と魔力の矢が敵の巨体に襲いかかり、蛇の威嚇音が響き渡った。
敵が怯んだ様子を確認した男は、その一瞬の隙を突いて素早く懐に飛び込んだ。
男が大剣を構えると、剣身に火、水、風、土の力を象徴する光が灯っていく。
阻止するかのように闇の一撃が放たれるが、それは現れた光の結界に阻まれて霧散した。
後方に控えていた聖職者風の女性から防御魔法を付与されたことに気付き、あえて避けずに受けたのだ。そして、この一撃を凌いだことにより勝敗は決した。
大剣を水平に振り抜き一閃すると同時に、凝縮された力が爆発するように解き放たれる。
魔法剣スキル《エレメンタルブラスト》――四元素のチャージに時間を要する扱いの難しいスキルだが、その威力は絶大だ。
悲鳴のような音を上げながら、大蛇の魔物《カオスクローラー》は崩れ落ち、粒子となって消滅していった。
「ナイスー」
「お疲れさん!」
ヘッドフォンを通して届く労いの言葉に、少年も「お疲れ様です」と一言返す。
彼はコントローラーから手を放し大きく伸びをすると、椅子の背もたれに身体を預けた。
飾り気のない広い部屋に、漫画や小説が丁寧に並べられた本棚、整えられたベッド、椅子と机、パソコンと周辺機器が設置されている。
部屋の片隅に置かれた机の前に、その少年は座っていた。
横には高級そうなデスクトップパソコンがあり、眼前のモニターには大剣を背負った黒衣の男と仲間たちの姿が映っている。
無論、先ほどの声の主はモニターの中のキャラクターではなく、ボイスチャットを利用しているプレイヤーたちである。
「キョウヤさん、お見事でした!」
「相変わらず上手いな。助かったよ」
「ありがとうございます。最後、援護助かりました」
仲間たちの称賛の声に、キョウヤと呼ばれた少年は少々気恥ずかしさを感じつつ、落ち着いた声で返答した。
彼らがプレイしている《ティルナノーグ》は、アクション性のあるMMORPGを謳うオンラインゲームである。
内容はよくある中世ファンタジーもので、女神に召喚された《共鳴者》と呼ばれる冒険者が世界を脅かす悪に立ち向かうという、勧善懲悪の物語を展開している。
ソーシャルゲームが溢れた現代では、腰を据えてプレイする必要があるオンラインゲームは寂れつつある。そんな時代でもそれなりのプレイヤー人口を維持している人気ゲームの一つだった。
キョウヤ――御影恭夜がこのゲームに興味を持ったのは、約四年前の中学一年生の時、ネットサーフィン中にゲームの広告を見かけたことがきっかけだ。
当初は暇潰し程度に考えていたのだが、気付けば毎日プレイするほどにハマってしまっていた。
ここ最近は、ゲーム内の仲間たちとボイスチャットで喋りながらクエスト攻略やボス討伐を行うのが日常になっている。
常連のメンバーはほとんどが大学生や社会人といった年上のようだ。その会話から年下の印象を受けることは極端に少ない。
逆に恭夜が高校生であることもバレてしまった気がするが、だからといって対応が変わることはなかった。
現実の事情で休止することこそあったものの、この居心地の良さがゲームに夢中になれる理由の一つだ。
「っと、そろそろ落ちるわ。またよろしくな!」
「おつー。うちもアイテム整理したら寝るよー」
「僕もこれで失礼しますね。ありがとうございました」
雑談を聞きながら感慨に耽っていると、半数のメンバーが活動を終えるところだった。
後に残ったのは、キョウヤがまだゲームに不慣れな頃から付き合いのある、気の置けない二人の友人だ。
そのうちの一人は、後方から強力な魔法を駆使してダメージディーラーを務めるレオン。普段からパーティのリーダー役を兼ねており、戦闘中は的確な声かけもしている頼れる男である。
「今日も大活躍だったな! さすが、器用万能のキョウヤ様だ」
「はあ、そうだな。とりあえず黙ってくれ」
明朗快活な声を響かせて茶化してくるレオンを、いつも通り適当にあしらう。
彼は基本的には真面目で誠実な男だ。だが、仲間には距離を感じさせない気さくな態度をとるため、キョウヤも遠慮することはない。
「ふふっ、相変わらず二人は仲がいいんだね」
落ち着いた雰囲気を漂わせながらも、その中性口調の中に無邪気さも感じさせる声の女性は、回復と支援を重視しているヒーラーのIriS。
イーリスと読むらしく、彼女の実名が由来だと聞いたことがある。若気の至りでそのままの名前を使ってしまったキョウヤとは違い、センスが光る洒落た名前だ。
彼女の言葉を聞いたレオンは、ますます上機嫌になってキョウヤに絡んでくる。
「おう、キョウヤは弟みたいなもんだからな!」
「兄弟の仲がいいとは限らないだろ」
「ん? 兄だと思ってくれてはいるのか?」
「いや、全然」
キョウヤとレオンが軽口を叩き合い、イーリスが微笑ましく見守る。もはや日常茶飯事の光景と言っても良い。
口に出すことはないが、親しくしてくれる二人にはいつも感謝するばかりだ。
「ま、冗談は置いといて。ちょっとキョウヤに話したいことがあってな」
不意にレオンが真面目なトーンで切り出したため、キョウヤは何事かと身構えた。
「お前、もうちょい自己主張してもいいんじゃないか」
「……自己主張」
言葉の意味が呑み込めずオウム返しすると、彼は補足するように続ける。
「今日も途中何度かサポートに回ってたが、もっと自由にやっていいぞ」
「別に、俺はやりたいことをやっているだけだよ」
嘘は言っていない。パーティプレイは足並みを揃えた方が皆で楽しめるし、頼られるのも悪い気はしない。自分だけが気分良くプレイするのはソロで間に合っている。
「そうか? 俺やイーリスはともかく、他の奴らに気を遣って一歩引いてるだろ。雑談も基本聞き専だしな」
「それは――」
聞いているだけで楽しいのもあるが、何を喋れば良いか分からないのもあった。もし自分の失言で空気が重くなったりしたら最悪だ。
「皆キョウヤ君には好意的だし、拗れることなんてないよ?」
「……」
キョウヤの心を見透かしたかのようなイーリスの言葉に息が詰まる。返す言葉が浮かばず口を閉ざしていると、レオンたちがフォローするように沈黙を破った。
「まあ、リアルと同じでネトゲも人間関係で色々あるのは分かるけどな」
「うん。私もそうやって悩んだことはあるけど、ずっと気にしてたら楽しめなくなるよ。ちょっとくらい失敗しても大丈夫だから」
「そうだな。もし問題が起きても俺らがなんとかしてやる。独りで背負い込むな」
二人の言葉が身に染みる。彼らと出会えたことはこの上ない幸福であり、自分には勿体ないくらいの友人だ。そしてキョウヤにとっては、ここがもう一つの居場所だった。
「……ありがとう、努力はしてみるよ。迷惑かけて悪いな」
心が温まるような感覚に釣られて、自ずと素直な言葉が漏れた。二人の前では自分を偽る必要などないのかもしれない。
「迷惑じゃない。せっかく人生の先輩が二人もいるんだから、もっと頼ってくれていいんだよ」
「いやイーリス、お前はそんなに歳変わらないだろ」
「そうだね。オジサンからはそう見えるかもね」
「おい! 俺はまだ二十代だっての!」
「えっ……とっくに三十過ぎてると思ってたのに」
レオンとイーリスが自然な流れで他愛ないやり取りを始め、無意識に笑みが零れる。
この性格を変えることは簡単ではないが、少しだけ人を信じてみるのも悪くないと思えた。
ご一読いただきまして、誠にありがとうございます!