雪解け
そして、次の日の昼休み、中庭に三人集まって遼平の話を聞いた。
遼平は努めて明るく、そして一生懸命話してくれた。その様子に美菜も好感を持った。遼平の可愛らしさ、ふとした仕草の愛らしさ、時折見せる笑顔に、息が詰まるほどにときめいていた。それなのに、終始仏頂面のまま笑顔になれなかった。
遼平は心折れた様子で教室に戻って行った。
「ミーナ! どういうつもり。遼君、がんばって話してたじゃない。あの様子だと明日はもう来ないかもしれないよ」
祐美がまくし立てた。
「うーー、わかってる。私、ばかだ。急に態度を変えるのも変かなとか思ってしまって」
祐美は深いため息をついた。
「ふー、男の子にはずっとそんな感じだったもんね。急には変えられなかったか。だけどそれじゃあだめでしょ。いくら遼君がミーナのことが好きでも、そんな態度取ってたらミーナのこと諦めちゃうかもよ。それでもいいの?」
「だめ。それは嫌だ」
「だったら、思ってること言わないと。遼君と仲良くなりたい。恋人になりたいって。それが言えないんだったら、せめて笑顔を見せるの。ミーナの笑顔はすごい武器なんだよ。みんなが心とろけちゃうんだからね」
「う、うん。がんばる」
「しょうがない。午後の休み時間にもう一度話してくる。もうこれが最後だよ。いい?」
「はい、面倒かけます。よろしくお願いします」
美菜は神妙な面持ちで、祐美に頭を下げた。
* * *
遼平は挫けていた。
前日に祐美が来て、美菜が話を聞いてくれると伝えてきた。だから物凄く期待していた。一生懸命、美菜と遼平の物語を伝えた。エッチな場面も美菜を刺激しないように慎重に話した。
美菜は遼平の顔を見ずに聞いていた。つまらなそうだった。祐美に説得されたから仕方なく話を聞いているんだと言わんばかりの様子だった。
なんとか美菜の興味を惹こうと焦れば焦るほどうまく話せなくなった。
チャイムが鳴ったとき、遼平の心は完全に折れていた。
遼平に優しかった美菜とは別人のように思われ、もう、美菜に抱きしめてもらうことはできないと思った。涙が溢れだしそうになるのを懸命に堪えながら、午後の授業を受けた。
次の休み時間、紫苑が遼平の席にやって来て言った。
「遼君、どうした」
それに答えようとしたとき、祐美が凄い勢いで教室に入ってきた。
「遼君、ごめん」
祐美の勢いに押されて、紫苑は自分の席に戻った。
「え? なんで祐美さんが謝るんですか」
「ミーナの代わり。でも分かってあげて。あの子ずっと男の子に対してあんな態度取ってきたの。急には変えられなかったのね、あの子不器用だから」
「そうなんですか。俺、完全に嫌われたのかと思ってました」
「違うよ。遼君が来てから、ミーナの表情ずいぶん柔らかくなったの。私、ずっとあの子を見てたから分かるの。あんな顔してるけど、遼君の話を楽しみにしてたんだよ」
「そうなんですか。でも……」
「お願いだから、ミーナを諦めないで。ミーナには君が必要なの。あの子を救えるのは遼君しかいない」
その言葉が起爆剤になった。堪えていた涙が一気に溢れだし、思わず祐美に抱きついてしまった。
「あ、あらあら、君は甘えんぼさんだね。抱きつくのはミーナにって、そっか、まだミーナには無理だね。じゃあ、今日だけミーナの代わり、抱きしめてもいいよ。その代わり、ミーナをよろしくね。あの子はずっとつらい思いをしてきたの。寂しい思いをしてきたの。ミーナを幸せにできるのは遼君だけなんだよ。だから、がんばって」
遼平は感極まり、祐美の腕の中で声を上げて泣き出した。クラス全員が見ている中で。
そして次の日の昼休み、中庭で待っていると、美菜と祐美がやってきた。
美菜は硬い表情のまま、座っている遼平の前で跪いて言った。
「遼君、昨日はごめんなさい。私ほんとは遼君の話を楽しみにしてたの。でも、それを素直に出せなかったの。今日はちゃんと聞くから、続きを話してくれる?」
蚊の鳴くような小さな声だった。しかし美菜の心は遼平に届いた。
「大丈夫です。俺もなんか緊張しててうまく話せなかったんです。今日はちゃんと話します」
「ほら、ミーナ。ここで笑顔」
横から祐美が肘で突っつきながら言った。
美菜が顔を崩した。え、これ笑顔なの?
「み、ミーナさん、なんか怖い」
「ミーナ、それ笑顔じゃない。ただ睨んでるだけだよ」
「だって、体が言うこと聞いてくれないんだもん」
「遼君、これでも笑おうと努力してるみたい。分かってあげて」
「はい、嬉しいです。ミーナさんの気持ちは伝わりました」
美菜が笑顔を見せようとしてくれた。今はそれで十分だった。
「それじゃ昨日の続き、始めますね」
遼平は話し始めた。大家さんに強姦される場面だった。内容が内容だけに美菜を刺激するのではないかと少し心配だったが、聞かされた内容をそのまま忠実に話した。
「大家さんの顔を見たら、萎んだんだそうです」
ここで祐美が笑い始めた。美菜はきょとんとしている。
「萎んだって、何が」
「だから、あれですよ」
「あれってどれ」
「これ」
遼平は自分の股間を指さして言った。聞かされた夢の中と全く同じ会話に、遼平は笑いの発作に襲われかけた。祐美は声を上げて笑っている。
「いやーね。下品ね」
美菜はそう言ったが、笑いを堪えている様子。
「ここでミーナさんは、『いやー、変なもの見せないでよ』って言ったんです。なにしろ裸ですから、もろに見えてるわけで」
「うわ」と美菜。
「遼平さんは、変なものに受けちゃって、大笑いしながら『変なものって、生まれたときからくっついているし、切るわけにもいかないし、はずせるものならはずしたいです。こんな変なもの』って言ったんです」
笑いが弾けた。美菜が祐美といっしょに手を叩いて大笑いしている。遼平が大好きだった美菜の笑顔がそこにあった。
遼平はいっしょに笑いながら、幸せな思いで美菜の笑顔を見ていた。
あれから毎日、中庭での会話は続いていた。美菜の方から望んで結ばれた話をしたとき、美菜は恥ずかしそうな、それでいてどこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
「私、エッチできたんだ」と、美菜が呟いた。
答えようがなくて黙っていると、祐美が
「大丈夫よ。ミーナが遼君のことをたまらなく好きになれば、自然にそういう気持ちになるから。ね、遼君」
それも答えようもなくて、曖昧に口を濁した。するといきなり美菜が
「遼君」と強い口調で言った。
また怒られるのかと思って「は、はい」慌てて返事すると
「あ、あのね、わ、私ね……」急激に弱弱しい口調になった。
おそらく何かを言おうと決心したのに、一瞬後その決心が揺らいでしまったのだろう。
美菜は何か大事なことを言おうとしている。遼平は黙ってそれを待った。
美菜は優に二分ほど逡巡したあと、ついにそれを口にした。
「遼君、私と付き合ってくれる?」
囁くような小さな声、言ったあと大きく息を吐いた。
「もちろんです。喜んで」
「あ、でもね。き、キスとかエッチとかまだ無理だと思うの……、それでもいい?」
「もちろんです。俺はミーナさんのそばにいて話ができれば十分です。あ、ハグもだめですか」
「うーん、ちょっと自信ない」
「遼君、焦らない。大丈夫だから、すぐにハグできるようになるから。少しずつ少しずつミーナの壁を壊していこう」
祐美が言った。更に
「そうだ、手始めに手を握ってみようか。遼君、ミーナの手を触ってみて、優しくね」
「はい」
横座りして体を支えている美菜の右手の甲に、両手のひらで包み込むように優しく振れた。
「ミーナ、どう?」
「うん、大丈夫。鳥肌は立っていない。気持ちいい。だけど……」
「だけど?」
「なんだか震えてる。ああ、だんだんひどくなってきた」
「それって力が入ってるからじゃないの? 深呼吸して力をぬいて」
美菜は深呼吸した。だけど震えは遼平の手を動かすほどに大きくなった。
「だめ。力がぬけない」
遼平は手を離した。とたんに手の震えは止まったように見えた。
「ごめんなさい、遼君。私、嬉しかったのよ。だけど体が言うこと聞いてくれない」
泣きそうな顔で美菜が言った。
「まあ最初だからね。大丈夫よ、鳥肌が立たないって分かっただけでもよかったじゃない」
「う、うん」
遼平はショックを受けていた。自分だったら美菜を救えると思っていた。それが思い上がりだと美菜の手の震えが告げているような気がしていた。
「あのね、遼君。ミーナは怖いの」祐美が言った。
「怖いって、俺のことが?」
「遼君がというより、男の子が、かな。また先生みたいに襲われるんじゃないかって」
「俺、そんなことしません」
「うん、わかってる。遼君はそんなことしない。ミーナもそれはわかってると思う。頭ではわかってるんだけど体が怖がってるの」
「……」
「ミーナは先生のことを信じてた。信じてたのに裏切られた。もし、また遼君を信じて裏切られたら、今度こそミーナは立ち直れない。それを恐れてるの」
「……」
「だからね、わかってあげて。たくさんおしゃべりして、ミーナが心の底から遼君を信じられるまで待ってあげて。ミーナを救えるのは遼君しかいないの。私じゃだめなの。お願い、遼君」
涙声で切々と話す祐美の言葉に心打たれた。
「祐美、ありがとう」
美菜が祐美に抱きついて二人で泣き始めた。
「わかりました。ミーナさんとたくさん話します。エッチなことは絶対しません。抱きついたりもしません。手も握りません」
「うん、だけど手は毎日触ってみようか。鳥肌は立たなかったし、あとは慣れだと思うから」
「あ、はい」
「たぶん三日もすれば手を握るのは平気になるだろうし、そしたらハグもできようになるよ。そうやって遼君のことが好きでたまらなくなれば、キスもできるし、そこまでいけばエッチもすぐだよ」
「えー」
「うわー、どうする遼君。ミーナとエッチだよ。キャー、うらやましい」
「はあー?」
なんだこの人。さっきまで感動的な話をしてたのに……
「もう、祐美ったら、なに照れてるの」
「あは、ばれた?」
そういうことか。自分の言葉に感動して泣いてたことに照れてるわけね。
なんだか前の世界のあかりに似た雰囲気を持っている人だ。あかりより小さくてかわいい印象だが、見た目に反して姉御肌で頼り甲斐のある人だ。美菜との仲を取り持ってくれた。この恩は決して忘れないようにしようと思った。
そんな風にこの週は過ぎて行った。