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ミーナの秘密

 菊井に犯されたあと、さらに体を触ってくる菊井を渾身の膝蹴りで撃退し、全力疾走で家に帰った。何も考えられなかった。ただ気持ち悪かった。全身に鳥肌が立ち、震えが止まらなかった。

 家に帰りつくとすぐに服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びた。数十分シャワーを浴びたことで鳥肌は治まったが、今度は屈辱感に襲われた。自分が男の慰み物になったという思いに苛まれた。

 雪に気分が悪いから夕食はいらないと告げ、すぐにベッドにもぐりこんで眠ろうとしたが眠れなかった。初めて好きになった男に裏切られた悔しさ、そんな男を愛してしまった情けなさにこの身が震えた。自分はこのまま誰にも愛されずに生きていくのか。なまじ美形に生まれついたばかりに、男たちに好色の目で見られ、今回のような思いを何度も強いられるのだろうか。そんな人生ならいらないと思った。

 どうすればよかったのだろう。

 いきなりキスされて思考が停止した。床に転がされパンティを剝ぎ取られた。そこまでは何の対抗策も取れなかったような気がする。だけどその後、菊井が自分のズボンを下ろしている数秒間の間、大声を出すなり、立ち上がって逃げ出すなりはできたかもしれない。

 しかし現実はただ茫然となすがままで、射精されるまで挿入の痛みに耐えていたような気がする。

 射精! 確かに菊井は美菜の中に射精した。その時、美菜の心に小さな灯りが灯った。

 赤ちゃんができたかもしれない。

 崩れ落ちそうな心の中で、美菜はその小さな灯りに縋りついた。

『あなたを強姦した男の子どもよ。そんな子を愛せるの?』

『赤ちゃんに罪はない。それにあなたの赤ちゃんであることは確かよ』

 そんな声が美菜の心の中でせめぎ合っていた。

 結局、美菜に選択肢はなかった。崩壊寸前の心をなんとか保つには、その灯りにしがみつくよりほかになかった。すなわち、赤ちゃんとの暮らしを想像したのである。

 それは甘美な妄想だった。

 赤ちゃんをあやしている自分を想像した。赤ちゃんは美菜の人差し指をぎゅっと握りしめて美菜に笑いかける。その笑顔に涙が出るほどにときめいた。

 赤ちゃんといっしょに風呂に入っている自分を想像した。小さな体を抱きしめてその滑らかな肌を心行くまで堪能した。

 そして、赤ちゃんにおっぱいをあげている自分を想像した。力強く美菜の胸を吸う赤ちゃんが心の底から愛おしかった。

 その妄想に浸っていたお陰で、夜は安らかに眠りに就くことができたし、祐美や他の女の子たちと普段通りに振舞うことができた。

 しかし、至福の時は長くは続かなかった。二週間後生理が来た。

 灯りは消え失せ、屈辱と絶望の暗闇が訪れた。

 自分が何の価値もない、ただ男たちの欲望の対象でしかないという思いが美菜の心を蝕んでいた。

 赤ちゃんが欲しかった。赤ちゃんさえいれば自分は幸せになれる。そのためならどんなことでもやろうと心に誓った。

 昔、美菜に告白してきたクラスメートに声を掛け、美菜から誘って行為に及び、妊娠がわかったら絶縁する。そんな計画を一晩かけて練り上げ、翌日実行しようとした。

 が、できなかった。足が竦んで男に近づくことさえできなかった。

 その夜、ひどい自己嫌悪に襲われた。人の恋心につけ込み、その上それを踏みにじろうとした自分が嫌になった。どんなことでもやろうという誓いを守れない自分が情けなかった。

 ならば、見知らぬ男ならどうだろう。道行く男たちに片っ端から声を掛けていけば、一人くらい美菜の誘いに乗ってくれる男がいるかもしれない。

 夕方、ミニ丈が短すぎて着る勇気が持てなかったスカイブルーのミニワンピースを身に着け、二駅先の町へ出かけた。街角に立ち男を物色した。

 連れのいる男性は論外だ。彼女がいる確率が高い、いい男も候補から外した。何人かの候補が通り過ぎていったが決断できなかった。

 そして、髪の薄い太った中年男性が通りかかった。美菜の脚を無遠慮に凝視している。意を決してその男性に近づき声を掛けた。

「あの……私とセックスしてくれませんか」

 自分の言葉に総毛立った。

 喜ぶと思っていた男がなぜか怒り出した。興奮気味に話す言葉はほとんど聞き取れない。

「こんな奴が日本をだめにする」と言ったことだけは伝わった。

 男は美菜の手首を掴んでどこかへ連れていこうとする。説教しておいてホテルには行くんだと思い、震えながら素直について行った。

「おまえな、町で売春を持ちかけるのは法律違反だってことを知らなかったのか」

 少し冷静に戻った男の声は、はっきりと聞こえた。

「警察に行って反省するといい。もうこんなことするなよ」

 行く手に交番が見え、男の意図を察した美菜は逃げ出そうとしたが、男にしっかりと手首を掴まれ逃げられない。

「やめなよ。嫌がってるじゃないか」

 声の先を見ると、背の高い男性が中年男性の腕を掴んでいる。

「ち、違うんだ。こいつは街角で売春を持ちかけた淫売なんだ。今、警察に連れて行くところなんだ」

 男がひるんだ隙に手を振りほどいて美菜は逃げ出した。サンダルを脱いで手に持ち全力で走った。超ミニのスカートから下着が見えているのは確実だったが構わなかった。

 恥ずかしかった。とにかくあの場所から少しでも遠くに逃げたかった。

 気づけば電車に乗っていた。裸足で吊革につかまっていた。慌ててサンダルを穿いた。

「淫売」という言葉が胸に突き刺さっていた。

『違う。淫売なんかじゃない。ただ赤ちゃんが欲しかっただけ』

 そう叫び出しそうな心を必死で抑えた。

 しかし、やっていることは淫売そのものじゃないかと思った。

 恥ずかしかった。身の置き場もないくらい恥ずかしかった。なにより恥ずかしかったのは、自分が誘えば男は喜んで美菜を抱くだろうと思い込んでいたことだ。そんな自惚れが消えてしまいたいほど恥ずかしかった。

 家に辿り着き、着替えもせずにベッドに転がった。眠りたいけどたぶん眠れない。この数日ほとんど眠っていない。声を上げて泣きたかったが、瀕死の心は泣く力もない。泣くにも元気が要るんだということを、美菜は初めて知った。

 ここから立ち直ることはおそらくできないと思った。

「誰か助けて」

 そう呟いたが、助けてくれそうなのは一人しかいなかった。

「祐美、助けて」

 だけど祐美には言えないと思った。祐美に軽蔑されたくない。

『だめだ。これはもう死ぬしかないのかな。会いたかったな、私の赤ちゃん』


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