俺のミーナさん?
そして次の日の昼休み、美菜と祐美が机を向かい合わせて弁当を食べているとき、遼平がやってきた。空いている椅子を美菜の隣に持ってきて座った。
「近いよ」美菜が言った直後に「ミーナさん」と言って抱きついてきた。
美菜は両手で遼平を突き飛ばした。さすがに今回は手加減したが、遼平は椅子から転がり落ちて尻もちをついた。スカートが捲れ、下着は見えなかったが、柔らかそうな太ももが目に飛び込んできた。ときめいた自分に腹が立った。
「やめて。私、男は嫌いなんだから」
不機嫌な声で美菜が言った。
「俺、心は女なんですけど……」
言いながら遼平が椅子に座り直す。
「だったら、なんで俺とか言うのよ」
「だってミーナさんが、女の恰好して俺と言うのがかわいいって言ってくれたから」
ああ、確かに……
「夫婦漫才はもういいかな」
それまで黙って二人のやり取りを聞いていた祐美が、弁当箱を閉じながら言った。
「だれが夫婦じゃ」
「面白かったけどね。じゃ、遼君、昨日の続きを聞かせて」
遼君? そうか、このクラスにもりょうへいがいる。
「あ、はい。でもほんとに込み入ってて難しいんです。何から言えばいいのかな」
遼平は少し考えて続けた。
「えっと、ミーナさんはもう芸能界デビューする準備はしてますか」
「!」
驚いた。ほんの四日前だ。祐美とショッピングで町に出かけた時に、美菜がスカウトされた。アイドルにならないかという。もちろん返事はまだしていない。この話を知っているのは祐美しかいない。
「驚いた。ほんとだったんだ。ほんとに一年後から来たんだ」
祐美が言った。
「それで、ミーナはデビューするの」
「はい、高三の八月に。ですから10ヶ月後ですね」
「そう、そっちのミーナはデビューしたのね」美菜が言った。
「いえ、俺のミーナさんは直前に断ったんです。俺に会うために。事務所の社長にすごく怒られたそうなんですが、持病が出たって嘘をついて許してもらったそうです」
「そう、ミーナの持病のことも知ってるんだ」
祐美が言った。美菜は「俺のミーナさん」という言葉に引っかかっていた。
「じゃあ、結局ミーナはデビューしなかったんだ」
「そうなんですけど、ここから複雑になるんです。我慢して聞いてください」
「うん」
「30年後のミーナさんはデビューしたんです。17歳の八月に。正確には32年後のミーナさんです」
「はあ? なんで30年後の私が出てくるの」
「ほらミーナ、だから我慢だって」
「あ、うん」
「ごめんなさい。これを話さないと話が始まらないので、もう少し我慢してください」
遼平が言った。
「ごめん、わかった」と美菜。
「そのミーナさんはデビューすると、瞬く間にトップアイドルに登り詰めたそうです。歌番組はもちろん、CMやバラエティ番組にもたくさん出ていたそうです」
美菜も祐美も真剣に聞いていた。
「そのミーナさんをテレビで見ていた俺、30年後の遼平さんがミーナさんを好きになったんです」
「ん、つまり30年後の遼君が30年後のミーナを好きになったってことね」
祐美が言った。
「えっと、ちょっと違います。30年後の俺が、30年前にミーナさんを好きになったということです。わかります?」
「ごめん、ちょっとわからない」と祐美。
「そうですか。じゃあ、俺の隣に32年後の俺、47歳の俺がいると思ってください」
「うーん、変な感じだけど、一年後の君がここにいるんだから、32年後の君がいても不思議じゃないか。いいよ、思った」
「その47歳の俺が、31年前、16歳の時にテレビに出ていた17歳のミーナさんを好きになったんです」
「そうか、47歳の遼君が同じ時代のミーナを16歳のときに好きになったってことね。こりゃめんどくさいわ。パラレルワールドみたいに考えればいいのかな」
「あ、そうです。そんな感じです」
「ミーナもいい?」
「うん、わかった」
「でも、ミーナさんは一年くらいで突然テレビに出なくなったそうなんです」
「どうして」
「その頃ミーナさんは人気絶頂で忙しくて、二時間くらいしか眠れなかったそうなんです。だから、無理して持病が出たんじゃないかと、俺のミーナさんが言ってました」
まただ。俺のミーナさん、美菜はどうしてもそこに引っかかった。
「二時間睡眠か、それはきついね。ミーナ、やっぱりアイドルはやめとこうか」
「なによ、散々やってみろってけしかけてたくせに」
「ああ、そうだね。いや、そんなに大変だと思わなかったから。確かに無責任だった。ごめん、ミーナ」
「ううん、いい。私のことを思ってくれてのことだから」
そう、いろいろあって落ち込んでいる美菜を励まそうとしてくれた。
「で、それから?」祐美が遼平に言った。
「はい、それからミーナさんは全くテレビに出なくなったそうなんですけど、47歳の俺、その時17歳になっていた遼平さんはそれでもずっとミーナさんのことを想い続けたんだそうです」
「まさか30年間?」
思わず美菜が口にした。
「はい、30年間です」
「だって、その遼平さんは私と会ったことあるの?」
「いえ、テレビの中だけです。しかも一年だけ。会ったことも話したこともないミーナさんを、ミーナさんだけをずっと好きだったそうです」
「私だけを? ずっと?」
「はい、ミーナさんだけをずっとです」
やばい。涙が滲んできた。
「やばい、ミーナ感動してる。こういう健気な話に弱いんだよね、ミーナは」
「でも、でもね、なんで君がそんなこと知ってるの。その遼平さんに会ったの?」
「そうだね、確かに」
「いえ、全部俺のミーナさんに聞いた話です。これから始まるんです。30年間ミーナさんだけを好きだった遼平さんと俺のミーナさんとの物語が」
「おー」と祐美。なにわくわくしてるのよ。
「ここから出てくるミーナさんは全部俺のミーナさんです」
「うんうん」だから、わくわくするなよ。
「そのミーナさんがある日目覚めたら、窓もドアもない謎の部屋にいたそうです。そこに遼平さんがいたんです。そして二人とも何も身に着けていませんでした」
「え、それって裸ってこと?」と、祐美が反応し、美菜は「はだか!」と叫んで立ち上がっていた。教室中の視線が集中した。
「あー、今のは本の中の話です。もう、遼平君、そんなエッチな本の話はやめてよね」と、祐美が取繕った。って全然取繕ってない気もするけど。はい、悪いのは私です。
「ねえ、これからそんな話ばっかり?」祐美が遼平の耳元で言った。
「はい、遼平さんとミーナさんの物語は全部裸です。後半俺が出てくるときは、ほとんど服着てますけど」
「ほとんどって、裸もあるの?」
「はい、最後の方に少しだけ」
「それって絶対エッチな場面があるよね。裸だけでもかなりエッチだけど」
「そうですね。すごくエッチです」
「うーん、それじゃ教室じゃ無理だね。私もミーナみたいに叫んじゃいそうだ。今日は時間もないからここまでにして、明日からは中庭で話そう。芝生のところ。それでいい?」
「はい、わかりました。それじゃ、また明日」
そう言って遼平が美菜に向かって両手を広げた。
「何のまね? ハグなんてしないよ」と美菜が冷たく言うと、
「えー、ミーナさーん」沈んだ声を残して、遼平は教室を出て行った。
「ハグぐらいしてあげればいいのに」
「する訳ないじゃない」