同棲
授業が終わり、祐美が戻ってきた。
「全く、サインコサインとか人生に何の意味があるのかね。さっぱりわからん」
「ほんとね。全然頭に入らなかった」
「まあね、ミーナはしょうがないよ。昨日のエッチの場面とか思い出してたんでしょう」
「なんでそんなにお見通しなのよ」
「経験者だからね。女は弱いね。肌合わせると相手のことがどうしようもないくらい好きになっちゃうから」
本当にそうだと思った。肌を合わせる前から遼平を心から好きだと思っていたが、結ばれてからは、それが狂おしいほどに膨れ上がっている。頭の中が遼平一色となっていて、何も手につかない。
「ところで、避妊はしたの?」
祐美が美菜の耳元で囁いた。
「してない。赤ちゃん欲しいから」
「だと思った。学校どうするの。大きなお腹で来るの」
「どうしようかって思ってる。最悪辞めてもいいかなって」
「そう? 保母さんになる夢は?」
「今私にとって大事なことは、遼君と赤ちゃんだから。子育てが終わって時間ができたら考える」
言葉にしたことで心が決まった。学校なんてどうでもいい。なるべく遼平といっしょの時間を増やすこと。一日も早く遼平の赤ちゃんを作ること。そのために遼平のアパートでいっしょに暮らそうと決心した。
「私、遼君と結婚する」決心と同時に宣言した。
「まだできないよ」
「法律なんてどうでもいい。遼君のお嫁さんになって遼君と暮らす」
そうだ。それしかないと思った。学校では学年が違うからそばにいることはできないが、それ以外の時間は同じ景色を見ていたい。なにより、遼平と離れていると遼平のことが心配で仕方がなかった。遼平になにかあったらと思うと息もできない。
「そう、同棲するんだ」
「うん、そうしようと思ってる。祐美、反対?」
「うーん、そうだね、どっちかといえば反対かな。そんなに思い詰めないで、遼君とのことも学校生活も楽しめばいいと思う。遼君が18になってみんなに祝福されながらいっしょに住めばいいんじゃないかな」
「でもね、私、遼君と離れていると心配で心配でどうしようもないの。遼君になにかあったら私も生きていけないから。だからそばにいたい。私が守ってあげたい」
「うーん、気持ちはわからない訳ではないけど……」
祐美がため息をつきながら言った。
「私ね、ミーナのことが心配なの」
そう、祐美はいつも美菜のことを心配してくれる。何があっても美菜の側につき、美菜を支えてくれている。その祐美の言葉には素直に従いたい。一方で、遼平と暮らすことは美菜の中では決定事項であり、祐美にはぜひ賛成してもらいたかった。
美菜はすがる思いで祐美の目を見つめ、次の言葉を待った。
「ミーナが幸せそうで私も本当に嬉しい。遼君はミーナのために生まれてきたようなものだし、ミーナも遼君のために存在してるような気がする。だから、二人が結婚するのは大賛成。ただ……」
「ただ?」
「なにか悪いことが起きそうな気がするのよ。今、ミーナは頭の中、遼君のことで一杯でしょう?」
「うん、認める」
「だから周りのことが見えていない気がするの」
「周り? 周りに何があるの」
「冷静であれば当然気づくことが、遼君に夢中になってて気づかないこともあるんじゃないかってこと」
「……よくわからない」
「例えば、遼君が低体温症になったこと」
「うん」
「低体温症になったあとの処置は素晴らしかったと思う。ミーナのお陰で遼君は助かった」
「うん、でも際どかった」
「そうだよね。一歩間違えば、遼君はその時死んでいたかもしれない」
「う、うん」
全くその通りだと思った。遼平を失ったと思ったときの恐怖が蘇り、足元から奈落へと沈み込む感覚に襲われた。涙が滲む。
「でもね、山に登る前にミーナが遼君のリュックを点検していれば、低体温症そのものを防げたんじゃない?」
その通りだった。点検さえしていれば、傘はもちろん、着替えやタオルの防水に気づくはずであり、遼平が低体温症になることもなかった。それをしなかったのは、美菜が遼平と山に登ることを楽しみにし過ぎていたせいだ。
「じゃあなに、私がいっしょに住むことで遼君を危険に晒してしまうってこと?」
「うーん、そうとも限らないと思うけど、起きてしまったことなら一人より二人のほうがいいだろうし、それこそ愛の力で庇いあい、支えあうってこともあると思う。だけど起きるかもしれないと予測することは、愛ゆえに気づかないってこともあるんじゃないかな」
「じゃあ、どうすればいいの」
「どちらかが冷静ならいいんだけどね。遼君はミーナ以上に有頂天になるだろうし」
「うん、そうだね」
「私もいっしょに住めればいいのだろうけど……」
「あ、それいい。そうしよ」
「なにばかなこと言ってんのよ。あんたたち毎晩のようにエッチするんでしょう。ミーナの喘ぎ声を私は布団ひっかぶって聞いてなきゃいけないのよ」
「そんな、毎晩なんて」
「するする。私がムラムラしちゃって遼君に襲い掛かってもいいの?」
想像してしまった。祐美と遼平が裸で抱き合っている。あれ? 嫌じゃない。なんで?
「嫌じゃない」
「は?」
「だから、祐美が遼君とエッチしても嫌じゃない」
「はあ? それ、どう考えてもおかしいよ。好きだったら独占しようとするのが普通でしょう」
「私もそう思ってた。こないだまで遼君が一年後の私との楽しそうな思い出を話してくれてたとき、そのミーナに嫉妬してたくらいだから」
「そうなの?」
「それにね、遼君にも男の友だちができて仲良くしてるみたいで、その子にも嫉妬してた」
「そう? その友だちって遼君のクラスメート?」
「うん、そう言ってた」
「名前は?」
「シオン、苗字は聞いていない」
「シオン? そんな子、遼君のクラスにいたかなあ」
祐美は学年を問わず顔が広く、各クラスの状況に詳しい。
「それで、そんな嫉妬深いミーナがどうして私と遼君がエッチしても構わないなんて思うのかな」
「わかんないけど、祐美だったら嫌じゃない。だから三人でいっしょに住もう。遼君真ん中にして抱き合って眠りたい」
自分が凄く変なことを言っているという自覚はあったが、本心だった。
「わかったぞ、きっさまー、純真な乙女を堕落の道に誘い込もうとする悪魔の化身だな。某が成敗してくれる」
そう言って、祐美はボールペンで美菜の額をコツンと叩いた。タイミングよくチャイムが鳴った。
「どっちにしたって無理だから。うち厳しいんで外泊すら許してもらえないんでね。同棲なんかした日には速攻、殺されるんで」
席に戻って行く祐美の後ろ姿を見ながら、やはり舞い上がっていたと反省していた。
相思相愛の男女の中にもうひとりの女が加わり関係を結ぶなど、あまりに常軌を逸している。もしそんな場面に出くわしたら、自分がどんな思いを抱くか、どんな行動に出るのか考えたくもなかった。
それなのに祐美だったら、心から信頼し、かつて恋仲になりたいと切望していた祐美であれば、心が痛まない。それどころか、微笑みながら頬杖ついて見ている自分が想像できた。
美菜はそんな心の動きを不思議な思いで見つめていた。




