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好きの訳

 喫茶店を出て、二人で公園に向かう。

 途中、美菜が言った。

「私たちってデートしたことあるの? って変な質問よね。記憶喪失みたい」

「俺にとってはそうです。同じミーナさんだけど俺たちの記憶がないんですから」

 一瞬、遼平が寂しげな表情を見せた。悪いこと言ったかな。

「二人きりで出掛けたことはないです。あかりさんと三人で出掛けたのが二度ほど、一度目はこの前話した宝石の一日です」

「ああ、遼君が女物の服や下着を買った日ね。三人の心が通い合った日」

「はい。二度目は三人で遊園地に行ったんです」

 遼平が遊園地の食堂での出来事を話した。オムライスを注文した遼平に、美菜が「遼ちゃんはナポリタン注文するかと思った」と言ったこと。

「それで俺、さっきみたいに水を噴き出しちゃったんです」

「え、なんでナポリタンで水を噴き出したの」

「それが、その三日前にナポリタンの奇跡という伏線がありまして」

「ナポリタンの奇跡?」

「はい。アルカディアってオフィス街にあるんで、ランチの時間にすごく混雑するんです。それで料理を運ぶ時も小走りでやるんですけど、俺、ナポリタンを運んでるときに転んだんです」

「転んだ? 制服、ミニスカートって言ってたよね」

「はい、だからパンツ丸出しで。俺は一瞬気絶してて、すぐにミーナさんが駆け寄ってスカートを直してくれたんだそうですが、お客さんみんなに見られたそうです」

「お客さん、何人くらいいたの」

「満席で、立って待ってる人もいたんで、30人くらいです」

「うわ、恥ずかしい」

「転んだときナポリタンとソースを辺りにぶちまけたんですけど、誰にも当たらなかったんです。椅子やテーブルにはたくさんくっついてました」

「それでナポリタンの奇跡」

「はい、仕事終わりの時、その話で盛り上がってると、マスターがぼそっと言ったんです。『ナポリタンの奇跡だな。カレーじゃなくてよかった』って」

 カレー! 思わずその場面を想像してしまった。うわっ。

「ほんとね。気をつけないと」

 美菜がそう言うと、遼平はくすっと笑って、

「ミーナさん、その時も同じこと言ったんですよ。それで、俺、『カレーは運ばない』って言ったんです」

「ええっ、そっちなの」

 美菜も笑った。楽しそうだと思った。その中に一年後の自分がいることが不思議だった。

 公園に着き、中に入った。遊具のある広場にはたくさんの家族連れがいた。木々に囲まれた小径に入った。

「遼君って天然?」

「ああ、ミーナさんに言われたことあります。でも、ミーナさんもそうですよね」

「え、私、天然?」

「だって、男の証拠」

「あ、そうね、確かに」

 祐美には何回か言われた気がする。だけど祐美以外の人には壁を作って注意深く振舞っていたため、天然なんて言われたことはなかった。

 それなのに遼平には素の自分を見せた。そう言えば遼平との間に壁はないような気がする。そのままの自分を受け止めてくれる気がする。なぜだろう。好きだと言ってくれたからだろうか。

「ねえ、私のどこが好きなの」

 思い切って聞いてみた。遼平はすぐには答えなかった。

「たくさんありすぎて、全部としか言えないんですけど、それじゃだめですよね」

「うん、特にどこ?」

「俺、自分が大っ嫌いだったんです。ミーナさんに出会う前は」

「そうなの? 魅力的だと思うけど、どんなところが嫌いなの」

「俺、他の人が怖いんです。他の人が俺のことをどう思ってるかすごく気になって、いつもびくびくしてました。思い切って何か一言言って、その人が黙ってしまったり、表情変えたりしたら、もうだめです。何も言えなくなってしまいます。そして、そのことを何日もぐじぐじと気に病んでしまうんです。だから恋人どころか友だちさえ一人もいませんでした」

「そうなんだ」

「でも、ミーナさんと出会って、ミーナさんが俺を変えてくれたんです。ミーナさんといっしょだとほんとに居心地がいいんです。思ったこと何でも言えるし、ミーナさんはそれを全部受け止めてくれるんです。冗談言うとすごく笑ってくれるんです」

「冗談? どんな」

「例えば、さっきの水を噴き出したあと、あかりさんが笑いだして、なんでも、俺がパンツ丸出しでのびている場面を思い出したとかで、そのあとミーナさんと二人でパンツの話で盛り上がっていたんです」

「そうなの? 私が?」

「はい。それで俺がこそっと席を立ってどこかに行こうとしたのを、ミーナさんが呼び止めてくれたんです。『遼ちゃん、どこ行くの』って」

「うん、それで?」

「それで、ミーナさんの耳元で言ったんです。お二人がパンツパンツと連呼して大笑いするから、周りの注目を集めてます。俺、恥ずかしいので他の席に移りますって。もちろん、冗談ですけど」

「えー、ほんとに? ほんとに注目集めてたの」

「はい、ちらちらこっちを見てました。笑いながら」

「なんだか信じられない。私も周りの目を気にする方なのに、そんな人がたくさんいる中で、パンツの話で大笑いするなんて」

「俺もです。あんな冗談をすっと言えたなんて、自分でも信じられませんでした。たぶん生まれて初めての冗談です」

 遼平だけじゃない。自分も変わったんだ。遼平のお陰で以前の明るい自分に戻れたんだ。いや、以前より屈託のない美菜に、遼平が変えてくれたんだと思った。

 林が途切れて、前方に池が見えてきた。小径がT字路となり、その先、池のほとりにベンチが置かれている。そのベンチに二人並んで座った。

「手、繋いでみようか」

美菜の方から言ってみた。

「はい、でも大丈夫ですか」

「うん、大丈夫。ほんとは遼君を抱きしめたい気分なの。でもまだそれはちょっと自信ないから、今日はこれで我慢してね」

 そう言って、美菜は遼平の手を取り、繋いだ手を自分のミニスカートの膝の上に置いた。遼平の手のひらから小指にかけた部分が美菜の太ももに直接当たった。瞬間、体が固まったが一瞬だった。遼平のひんやりした手の感触に手も太ももも心地よかった。その感触に身を委ねた。

 気づくと遼平の緊張が伝わってきた。ちょっと大胆だったかな。

「どうした、遼君」

「いえ、嬉しくて。ミーナさんの肌に触れたのが久しぶりだったので。あ、そうだ。あの日も食事が終わって観覧車の中で、繋いだ手をミーナさんの膝に置いてたんです。ミーナさんは頭を俺の肩に凭れてました」

「こんな感じ?」

 美菜は腰を寄せ、遼平の左肩に頭を凭れかけた。あ、太ももが触れ合ってる。気持ちいい。

「そうです、そうです。嬉しくて泣きそうです」

 泣いてくれたらいいのに。泣き出せば自然に抱きしめてあげられるのにと思った。

「あ、でも、あかりさんは? あかりさんは一緒じゃなかったの」

「一緒でしたよ。観覧車の反対側の席に座って、にこにこしながら見てました。俺は照れくさかったんですが、ミーナさんは気にしてない感じでした」

「そうなの?」

「はい。あかりさんが俺たちの写真を撮って、二人お似合い、美男美女、違うか、美女美女って言ったら、ミーナさん、なにそれ、びしょ濡れじゃない、風邪引いちゃうよなんて言ってましたから」

「えー、ほんとに? 信じられない」

「それだけじゃないんです。ミーナさん、あかりさんの目の前で俺にキスしてくれたんです。さすがに、あかりちゃん、外見ててって言ったあとに」

「……」

 絶句した。いくらなんでもそれはないと思った。どれほど仲良くなっていても人前でキスするなんてあり得ない。

「キスって口づけ? 頬っぺたとかじゃなくて」

「はい、それもかなり長かったような気がします。あかりさん、最初はほんとに外見てたそうなんですが、もういいかなって見たら、まだしてるって言ってましたから。それからずっと見てたそうです」

「ほんとに? ほんとに私の方からキスしたの? いくら仲良しでも人前でキスするなんて……、信じられない」

「観覧車の中でいろいろありましたから、気持ちが昂ってたんだと思います」

「いろいろって?」

「食堂の話に戻りますが、俺、冗談言ったあとトイレに行ったんです。戻ってきたらミーナさんが泣いていたんです」

「泣いてた? なんで」

「あかりさんが、俺が冗談言ったことに驚いていたらしくて、そしたらミーナさんが、あれが元々の遼ちゃんで、今までは自信がないから自分を出せなかったんじゃないかって言ったそうなんです」

「うん、それで?」

「それで、あかりさんが、それはミーナさんがいるからって、ミーナさんにしか出せないんじゃないかって言ってくれたんです。アルカディアで、ミーナさんが用事で出かけたとき、俺が不安そうにしてたことも話してくれたんです」

「そうなの?」

「はい、不安というか、体が半分なくなったみたいな感じというか、とにかく落ち着かなくて、コップをひっくり返しそうになったり、注文を間違って伝票に書いたりしてました。ミーナさんが戻ったらすぐに落ち着いたんです」

「そうなんだ」

「だから、ミーナさんにとって遼ちゃんしかいないのと同じで、遼ちゃんにとってもミーナさんしかいないじゃないかって、あかりさんが言ってくれたんです」

「……」

 それを聞いて美菜は涙が溢れそうになった。

「それで私、泣いたんだ」

「はい。注目浴びてるし、ミーナさん、大泣きするのを必死で堪えてる様子だったので、ミーナさんが思い切り泣けるところに行こうということになって」

「それで観覧車」

「はい、乗り込んだ途端、ミーナさん、俺に抱きついて大泣きしたんです」

 わかるような気がした。これまでの人生でこれほど人に慕われ、頼りにされた経験はなかった。もしここがだれもいないところであれば、今遼平に抱きついたかもしれない。

「俺、感動してました。だって大好きなミーナさんが俺の腕の中で子どものように泣いてるんです。ミーナさんのことがいじらしくて、愛おしくて、俺も泣きそうになってました」

「泣かなかったの?」

「その時は、はい必死で堪えてました。でも、その後、ミーナさんが……」

 その時のことを思い出したのか、遼平が言葉を詰まらせた。遼平の想いが伝わってくるような気がした。

「ごめんなさい。ちょっと思い出しちゃって」

「いいよ、気にしないで。それからどうしたの」

「観覧車が一周する間に、ミーナさん落ち着いてきて、でも話したいことがあるというんで、もう一度乗ったんです。観覧車に」

「うん」

「俺が以前、学校にセーラー服で行こうかなって話をしてたんです」

「うん、宝石の一日ね」

「ミーナさん、そのことを気にしてくれてたみたいで、うまく先生に説明しないと、下手すると停学とかなるよって言ってくれたんです」

「うん」

「ずっと泣き出すのを我慢してたんです。その言葉が止めになって、我慢しきれずに今度は俺が大泣きしてしまいました。ミーナさんに抱きついてミーナさんの腕の中で」

 そうか、そういう状況なら美菜が遼平にキスしたことも理解できる。自分の胸の中で大泣きしている遼平のことが愛おしくてたまらなくなり、その気持ちを伝えたくて、でも言葉では伝えきれず、矢も楯もたまらず行動に起こしたのだろう。

 今も、下を向いて泣き出すのを必死で堪えている遼平を抱きしめてキスしたい。しかし、拒絶反応が起こることを恐れた。キスして途中で震えが来てやめてしまったら、遼平を傷つけてしまう。そのことを恐れた。


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