結菜の家族
7時10分前に結菜の家に着いた。表札は「沢井」となっていたが、事前に結菜に聞いていたので迷わなかった。ただ大きな家で驚いた。
インターホンを鳴らすと、待ち構えていたように結菜が出迎えてくれた。
「お兄ちゃーん、会いたかったよう」と、抱きついてきた。
「さっき別れたばっかりだろう。それに抱き合うのはまだ早いよ。ちゃんとお母さんと綾ちゃんを説得してから」
「うん、そうだね」
結菜が紫苑から離れたとき、奥から女の人がエプロンで手を拭きながらやってきた。
「いらっしゃい、ユーナの母……」
紫苑の顔を見て、言葉が途切れた。驚いている。
「お母さん、どうした」結菜が不審そうに言った。
「ああ、なんでもない。ユーナ、紫苑さんを応接にお通しして。綾を呼んでくるから」
「綾ちゃん、会わないって言ってたよ」
「いや、会わせないと。あとで綾に叱られる」
そう言って、彼女は階段を上って行った。
「変なの」
結菜の案内で応接間に入り、ソファーに座った。
結菜がコーヒーとお菓子を持って部屋に入ってきたとき、階段を急いで下りる音がして、20歳くらいの女の人が勢いよくドアを開け、紫苑の顔を見て驚いたように言った。
「ほんとだ」
遅れて結菜の母親も顔を出して「ね、そっくりでしょう」と言った。
「何が」と結菜。
「ユーナ気がつかなかったの。ミーナさんにそっくりじゃない」
「えー、違うよ。髪の毛銀色だし、目も青いよ」
「そこだけ違うの。あとはそっくりじゃない」
「えー、そうかなあ」
「お母さん、黒のウイッグあった? 肩まで届くの」
「ああ、あったと思う。ちょっと待ってて」
綾が紫苑の前のソファーに座って、紫苑の顔をまじまじと見た。
「ほんとだったんだ。ほんとにミーナさんの子どもなんだ」
「はあ、遺伝的には……」
紫苑は予想外の展開に戸惑っていた。ただ目的は達しているのかもしれない。
「何よ、遺伝的にはって」
紫苑が答えようとすると
「あっ、まだいいや。お母さんにも聞いてもらわないと」
「ほんとに似てるかなあ」と結菜。
「ちょっと待ってて。髪の毛黒くして目を閉じたらママと間違うから。しっかしこんだけ似てたら、ユーナが一目惚れしたというのもわかるね。ユーナはほんとにママが好きだからね」
母親が「あったよ」と言いながら、部屋に入ってきた。綾がそれを受け取り、紫苑の後ろに回って、紫苑の頭に被せた。少し強引だとは思ったが嫌な感じはしなかった。むしろ結菜の恋人として頼もしく思った。
「目を閉じて」と言われたので、目を閉じた。全員の息を呑む気配がした。
「ママだ」結菜が叫び、紫苑の膝の上に乗り抱きついてきた。
「ほんとにミーナさんの子どもなんだね」
「でも変よね。誕生日が一日違いということは、双子ってことよね。病院の先生も看護師さんもそんなこと言ってなかったのよ」
母親が言った。
「お母さん、出産に立ち会ってないの?」と綾。
「帝王切開だったからね。意識不明の人が普通分娩するのは難しいって先生が言ってたから前日に生まれることも考えにくいし」
紫苑は目を開けて、「ユーナ、話しにくいからこっちに座って」と小声で言い、しがみついている結菜を隣に座らせた。それでも左腕にしがみついている。
「あの、それを説明する前にこちらのお三方の関係をお聞きしてもよろしいでしょうか。綾さんがユーナの恋人だとはユーナから聞いていますが」
「ああ、そうですね。驚いてしまって、自己紹介もできませんでした。ユーナの母親、と言っても育ての母ですが、沢井あかりと申します。ミーナさんとはとても仲良くさせてもらったんですよ」
あかりという人物は美菜の日記には出てきていない。おそらく枝分かれした後に出会った人なのだろう。穏やかな目をしていると思った。
「それから、この子は訳あってあたしの養女にした沢井綾です。ユーナとは姉弟として過ごしてきました。それがいつのまにか恋人になってしまってて、驚くやら、ミーナさんになんとお詫びすればいいのやらと困っています」
「お母さん、余計なことは言わなくていいから。それに悪いことしてるわけじゃないから、お詫びなんて。むしろかわいい孫の姿を見たら泣いて喜ぶと思うよ」
綾が言った。更に
「私が姉でありながら恋人になってしまったユーナのいけない姉、沢井綾です。で、あなたは?」
「はい、申し遅れました。私は石谷ミーナの息子の石谷紫苑です。ただ、私の母はこちらで眠っているミーナではなくて、別の世界にいるミーナだと思います」
「別の世界!」あかりと綾が同時に言った。
「どゆこと?」と綾。
「私の母も意識不明のまま私を産んだんです。私は……僕は母さんが大好きでした。だから母さんに目覚めてもらいたくて、VRに繋いでもらったんです。VRはご存知ですよね」
「知ってる。ほぼ完成して微調整してるところ。だからミーナさん達も目覚めるかもしれない。それでそちらのミーナさんは目覚めたの?」と綾。
「母さんには会えませんでした。目覚めたらこちらの世界にいました。高校二年生になっていて、学校でユーナに出会ったんです」
「高校二年生になってたって、シオン君は元の世界では何歳だったの」と綾。
「30歳です」
「30歳!」今度は結菜も参加した。
「あら、ユーナも知らなかったの?」綾が言った。
「あまり言いたくなかったので、聞かれたら答えてましたけど」
「おじさんだものね。ユーナに嫌われちゃうね」
「大丈夫だもん。ユーナ、お兄ちゃんを嫌いになることなんて絶対ないもん。ママに似てるから何十倍も好きになったし」
「あらら」
そう言う綾の目が寂しそうな色を浮かべている。少し気になった。
「シオンさんのお父さんは外国の人なんですか」あかりが言った。
「あ、この髪の毛ですか。これは病気なんです。僕はアルビノなんです」
「アルビノ? 道理で」
「綾、アルビノって?」
「アルビノというのは、生まれつきメラニンがほとんどなくて、皮膚や髪の毛が白くなる病気よ。これって遺伝だよね」
「はい、よくご存じで」
「一応、私看護師だから、なり立てだけど」
「ということはお父さんもアルビノなの?」あかりが言った。
「それが、父がだれなのかわからないんです。雪さんもわからないって言ってました」
「雪さん?」綾が言った。
「雪さんというのはミーナさんの家で、住み込みで働いているお手伝いさん。ミーナさんのお母さんがミーナさんを産んですぐに離婚して家を出て行ったそうだから、雪さんがミーナさんを育てたそうよ」あかりが言った。
「そうなんだ。それは初めて聞いた。なんだかミーナさんっていろいろな不幸を背負ってるのね」
「そうなんだけどね、そんな素振りは微塵も見せずに、いっつも笑ってた。冗談言ってはあたしたちを笑わせてくれたのよ。ミーナさんといるとすごく気持ちが楽なのね。なんというかあたしがあたしのままでいられるというか、心の底から泣いたり笑ったりできるの。たった二週間しかいっしょにいられなかったけど。でも、今でもお世話しながら、ミーナさんの顔を見てると、その時の気持ちが蘇って来て幸せな気分になれるのよ」
そう言うあかりは少し涙ぐんでいるように見えた。
「あかりさん、母さんの世話を18年間もやっていただいて、本当にありがとうございます」
「あら、いいのよ。あたしがやりたくてやってるんだから。それにね、ミーナさんはあたしに宝物をくれたの。ユーナと綾。綾もね、ミーナさんとの繋がりの中であたしのところに来てくれたのよ。この二人のお陰でこの18年楽しく過ごせた。毎日笑って過ごせた。だから……ああ、違う。だからじゃない。もちろんそれもあるけど、一番はあたしがミーナさんを大好きだからなのよ。こうやってミーナさんのお世話をして、いつかミーナさんが、ユーナのママとパパが目覚めてくれて、あの楽しかった頃に戻りたいって思ってるのね。だからこれは自分のため」
「母さんは、こちらの母さんはいい人に巡り合えたんですね。僕の世界の母さんは辛いことばかりだったみたいですが、ここでは幸せに暮らしていたみたいで、僕も嬉しいです。やっぱりありがとうと言わせてください」
「そう言ってもらえるとあたしも嬉しいねえ」
しんみりとした空気が流れた。