いつも通り
私は何もしていない。
ただの事故だ。
私のせいじゃない。
私は誰も殺していない。
家に帰ってから、あまりにも長い一日を私は繰り返し自分にそう声を掛けながら過ごした。
夜は、ほとんど眠る事が出来なかった。ご飯も食べられず、部屋に閉じこもってどこかの機関が私の部屋の扉をノックする事に怯える。
お父さんとお母さん……特にお母さんが心配してくれていたけど、仕事がある両親は翌朝には仕事に出かけてしまい、私は家に一人きりとなる。
結局その日は何も起きず、ただ無意味に時間が過ぎて行くだけだった。
その夜は喉が渇いた上に、さすがにお腹が空いたのでご飯を食べる事にした。
するとお母さんがお粥を作ってくれて、私はありがたく思いながら食べた。お母さんは相変わらず私を心配してくれて、しきりに声を掛けてくれる。
けど、あんな事があったなんて言える訳がない。私はご飯を食べ終わると、早々に自室に戻って再び引きこもった。
ご飯を食べてやる気が出たのか、部屋に引きこもった私は震える手でスマホを握り、ニュースを開いてみた。
あんな事があったんだから、きっと悲劇がおきたと全国のトップニュースになっているはずだ。
きっと、すぐに目につく場所に見出しがあるはず。こみ上げる吐き気に我慢しながら、操作していく。
「……?」
でも、どこを探しても女子高生が廃ビルで瓦礫の下敷きになったというニュースは出てこない。
どこか知らない場所でおきた交通事故。殺人事件。政治家の汚職。増税。そんないつものありふれたニュースばかり。
私が思ったほどニュースになる程の物ではなかったのだろうか。そう思い、私は地元のニュースを調べてみた。
すると、ついに発見した。発見してしまった。でも見出しが少しおかしい……?
廃ビルの一部が突如落下……とだけ書いてある記事。小さな見出しの画像は、間違いなくあの場所である。
恐れながらも指でタップしてその記事を開くと、短めの記事が目に入った。
昨日の夕方ごろ、廃ビルの一部が倒壊して地面に落下しました。
ビルは十年ほど前から解体が進められてきましたが、解体を委託されていた業者が倒産し、この数年は放置された状態になっていました。
現場には立ち入り禁止の看板が掲げられ、侵入が禁止されていましたが、地元の方の話によると夜は不良達のたまり場になっており、スプレーによる悪戯書きがあちこちにあったとの事です。
しかしながら元々立ち入り禁止の場所であり、崩壊した時には誰もいなかったおかげで怪我人は出ておりません。
とはいえ、周辺の住民は今回の崩壊を受けて不安を募らせています。
今回の事態を市に問い合わせると、市は今後の対応を早急に協議するとしています。
え?それだけ?
場所は、間違いない。同じだ。あの時私が目の前でみた光景が記事になっている。
でも、怪我人はいないと言っている。一体どういう事だ。だってあの瓦礫の下には、間違いなく──。
「うっ……!」
思い出し、食べた物が食道をこみ上げて来て吐き出しそうになってしまった。
なんとか我慢しつつ、私は別の記事を探して読んでみるも、書いてあることは同じだ。廃ビルが少し崩れました。怪我人はいない。
なんで?どうして?そんな訳がないのに。
もしかして、誰も瓦礫の下にいる七瀬さんに気付いていない……?いや、そんな訳ない。落ちて来た瓦礫は大きくはあるけど、ビルの全てが崩れた訳じゃない。ほんの一部が、偶然下にいた七瀬さんに降り注いだだけ。あの程度の量の瓦礫をどかすのはそれほど苦労しないだろうし、警察や消防も、調べなければ下敷きになった人はいないなどと言いはしないだろう。じゃあどうして?どうして七瀬さんの事が記事に出て来ないの?
その日は訳が分からなくて頭が混乱しつつも、いつの間にか眠りについていた。昨晩はろくに眠れていなかったので、その影響だと思う。ただし睡眠は浅く、あまり眠った気にはなれなかった。
次の日、私は学校に行ってみる事にした。
このまま家に籠もっていても、事態は何も変わりそうにない。だったらまずは学校に行き、七瀬さんがどうなっているか探ってみよう。
もしかしたら、全ての出来事は夢であった可能性も……いや、ない。あの時感じた痛みと、光景は、間違いなく現実の物だった。
鏡の前で身支度を整えると、私は自分の顔を見つめてみる。
たったの二晩だけよく眠れなかっただけだけど、目の下には少し隈が出来ていて、顔色も悪い。
お母さんはそんな状態の私を凄く心配してくれていたけど、私の決意は固い。大丈夫だと説得したけど、お母さんは仕事に出かけるまで心配そうに私を見ていて、別れ際には私を抱きしめてから出かけて行った。
その後、私も家を出て学校に向かう。いつもよりも更に憂鬱で、学校が近づくにつれて心臓の音が早くなっていく。高鳴る心臓とは違い、足取りはとても重く、遅い。いつも通りに歩いているつもりなのに、学校についたのは予鈴がなる少し前くらいの時間となっていた。
自分の教室の前までやってきた私は、扉の前で少し息を整える。この向こうに、いつもと同じ光景が広がっていたら、全ては夢か幻だったという事になる。その場合、私は病院に行く必要があるかもしれない。
一方で、もし七瀬さんがあの日から私と同じように学校を休んでいたら、私は誰かにあの日おこった出来事を話さなければいけない。
自分の罪を、いつまでも話さずに黙っておく勇気は私にはない。
私がどうこうして七瀬さんが潰れた訳ではないけど、私はあの日、七瀬さんと争って互いを傷つけあってしまった。
いや、罪がどうのではなく、私は同級生の命を奪ってしまったのだ。原因は私ではなくとも、きっかけはあの時私が反撃した事による。経緯はどうあれ、私の手は殺人者同様に汚れてしまっていて、この汚れはもう二度と取れる事がない。
自分の汚れた手をみつめると、扉を開く勇気は出て来なかった。
「──ちょっと、扉の前で何してるの?入るならさっさと入ってよ」
「ご、ごめん、なさいっ」
教室に入るため、私の横を通り抜ける人物がいた。
私は視線を下げたまま扉から一歩退いて道を譲ると、とても良い香りがした。
この香り……朝、お母さんに抱きしめられた時と同じか、それ以上に良い香りだ。とてもいい香りだったので、私は道を譲ったその人物を目で追った。
いや、香りがどうのこうのじゃない。今の声は──
「っ……!」
私は声になら悲鳴をあげて、その人物を目で追った。
動いてる。歩いてる。足がある。喋ってる。香りもする。生きている。
ありえない。あの時潰れたはずの人物が、颯爽と歩いて教室の中に入っていく。
「おっす、愛音」
「おはよう、巡」
教室に入って来た人物。
信じたくはないけど、『七瀬 愛音』さんに駆け寄って挨拶したのは、鬼灯さんだ。
どうやら私以外の人物にも彼女の姿が見えているようで、その点は安心した。けど、安心している場合ではない。あり得ないのだ。
「……どうしたの、桜さん。予鈴、なっちゃうわよ?」
鬼灯さんと挨拶をかわしつつ、足を止めた七瀬さんが私の方を見て、柔らかな笑みを浮かべながらそう忠告してきた。
その瞬間、彼女の言う通り予鈴のチャイムが鳴り響いた。
私はこの場から逃げ出したくなった。けど足が震えて、逃げ出すどころかその場で立っている事も出来なくなり、膝から崩れ落ちそうになる。
そんな私の異変を察したのか、七瀬さんがカバンを放り投げた上で駆け寄って、正面から抱きしめる形で体を支えてくれた。
七瀬さんと身体が密着し、顔には七瀬さんの髪の毛がかかってくすぐったい。スタイルの良い七瀬さんの大きな胸の感触を、服越しに感じる。更にはあの良い香りを、間近で嗅ぐ事が出来るようになる。
「大丈夫、桜さん?二日間休んでいたし、今も顔色悪いけどやっぱり体調が悪いの?」
「あ、い、いや……も、もう大丈夫……」
フラフラとしながらも、私は慌てて七瀬さんを突き放して自分で立った。
「本当に?」
「あっ、うっ……」
離れようとしたけど、七瀬さんが追従してきて私の頬を両手で挟み、自らの顔を近づけて間近に見つめて来た。
大きな瞳に私の顔が映っているのが見えるくらい近くて、私は更に慌てる事になる。
「──放課後、貴女の疑問に答えてあげる」
七瀬さんが、唐突にそう言い放ってきた。
そして彼女は私の顔を離し、去っていく。周囲の生徒達が、そんなやり取りをしていた私達の方を見ている。特に鬼灯さんが驚いていて、呆然としている。
私も、呆然とする。何が起きているのか全く分からなくて、去っていく七瀬さんを見つめ続ける。
「どうした、桜ー。教室入れー」
そこへ、教師がやってきて私に席につくように促してきた。気づけばもう本鈴がなる時間になっており、時間に合わせてやって来たのだ。
震えていた足は動くようになっており、私は促されるがままに教室に入り、自分の席につく。
激しい混乱の中で、いつも通りの日常が始まった。