どの口が
油断していた重武装の男達は、突然駆け出した私の動きに反応が遅れた。
石塚に顔面を殴られ、フラフラ状態の女の子がまさかこんな機敏な動きが出来るとは思っていなかったからだろう。
私を囲っていた男達の間をくぐり抜ける事に成功した私は、真っすぐに公園の外へと向かって全力疾走を披露する。
決してトイレに向かって全力疾走している訳ではない。
「待て!」
秋月達の制止する声にも応えず、私は止まらない。
しかしすぐに男達が後を追って来ていて、逃げ切れるかどうか分からなくなる。
というか無理だろう。だって私はそれほど足が速くないから。男の人が全速で追いかけてきたら、その内追いつかれるのは目に見えている。
でも私の行く手にどこからともなく現れた人物が、私のゴールだ。
男達に追いつかれる前にゴールにたどり着いた私は、そこで走るのをやめて止まった。
「おかえり、咲夜」
「うん。ただいま、愛音」
私を迎え入れた愛音が、私の頬にハンカチを当てて労ってくれる。
それからすぐに私の後方を睨みつけ、体の中に隠された触手達を開放して私を追いかけて来た男達を威嚇する。
「止まれ、化け物だ!」
「お前は……七瀬 愛音……!」
秋月が、愛音の名を呼んで銃を構えた。
ところで、その銃はどっちなのだろうか。対化け物用の注射が出る銃か、あるいは本物か。手に持たず、遠目から見ただけでは判断できない。
「痛かったよね、咲夜。こんな可愛い顔を殴るなんて、信じられない」
「どの口が言うんだ……」
殴られた私の頬を撫で、悲しそうな目をして言う愛音にはつっこまずにはいられない。
私は愛音に、もっと強く殴られた事がある。あの一撃は、今日受けた物よりも遥かに強くて痛かった。
私はあの出来事を、一生忘れないだろう。
秋月達を無視してそんなやり取りをしていたら、男達は機敏に動いて私達を包囲して来ていた。これではどこへも逃げる事が出来ない。
「たく、油断してんじゃねぇよ秋月君。いくらただの女の子に見えても、相手は化け物の手先なんだぜ。凶悪犯を連行するつもりでやらなきゃダメだろぉ」
「す、すみません……」
そこへ、気だるそうに石塚が頭をかきながらやって来た。
やって来ながら、私を取り逃がしかけた秋月を非難している。
「だがまぁ、獲物はかかったからよしとしよう。やっぱり生きてたじゃねぇか、七瀬 愛音!下手な芝居でオレから逃げようとしたのか!?オレは逃がさねぇ!お前も桜 咲夜のかーちゃんみたいに、無様に溶けて死ぬまで見守ってから、この足で踏みつぶしてトドメをさしてやるよぉ!」
石塚が、またお母さん引き合いに出して挑発するように言った。
この男、本当にむかつく。たぶんわざと怒らせるように言って、こちらの思考能力を鈍らせようとしているのだろう。
分かってはいるけど、とにかくむかつく。言い方も、人の大切な人を貶める言葉も。
「無駄よ。私に殺虫剤は効かない。私はただ、咲夜を迎えに来ただけ。貴方達とじゃれ合うつもりもない」
「うぅ」
石塚を思い切り睨みつけたら、愛音が私の両頬を両手で包み込み、強めに挟んで顔を変形させてきた。
殴られた所なので、ちょっと痛い。だけど愛音にやられての事なので、ちょっと心地良い。
愛音はこうする事で、私に落ち着けと言っているのだ。
「そうだな。どういう訳かお前には殺虫剤が効かない。少し殺虫剤を開発した研究所の奴らから話を聞いてみたんだが、お前もしかして、研究所から脱出した化け物じゃねぇのか?」
「さぁ、どうかしら」
「殺虫剤を開発するに当たって、試作品を何度も何度も試しで使った化け物がいるって聞いてるぜ。詳しく聞けば、少しずつ強くなっていった殺虫剤の試作品に耐性がついちまった化け物がいて、その化け物が研究所から逃げたらしいじゃねぇか。その時の化け物って、お前の事なんだろ?正直に言ってみろ」
「半分当たりで、半分不正解」
「あ?半分?」
「そ。半分」
愛音はニヤリと笑うだけで、半分に関して説明をしようとはしなかった。
「……半分だけだとしても、オレの勘は当たってたって訳だ。それが確認出来た訳だし、もうお前に用はねぇ。やれ」
石塚の合図で、周囲の男達が一斉にガスマスクを装着し始める。装着し終わると、スプレー缶のような物を取り出した。
それには見覚えがあって、過去に吸わされた事のある殺虫剤だと、すぐに察した。
でもその時の物とはちょっとタイプが違うのか、先端にピンのような物がついており、ピンを外してから私と愛音の足元に転がるように投げ込まれる。
「咲夜。少し息を我慢して」
私は息を我慢するため、息をたっぷりと吸うと愛音が胸に抱きしめて来た。
準備が出来ると、転がって来たスプレー缶から一斉に煙が出始める。
周囲はあっという間に真っ白な煙に覆われて、視界が悪くなってしまう。
でも大丈夫。愛音に殺虫剤は効かない。それは本人も、石塚も言っていた。私も見た。
でもじゃあ、どうして愛音に効かないはずの殺虫剤を、石塚達は使って来たのだろうか。
「──うっ、がっ……!」
答えは、突然首を押さえて苦しみだした愛音がくれた。
「愛音!」
愛音の異変に気付き、私は抱かれている場合ではないと、息を止めるのも忘れて愛音の名を呼んだ。
その瞬間、やっぱり強烈な目眩と吐き気に襲われるものの、どうにか耐える。
「はっはっは。残念だがこいつはただの殺虫剤じゃねぇ。殺虫剤を更に強化した、いうなれば殺虫剤EXって所だ。こいつはこれまでの殺虫剤の比じゃねぇぜ。研究所の連中が言うには、どんな化け物でも一吸いであの世行きだ」
「ごっ、ほっ、えぇぇぇぇぇ!」
愛音が、地面に伏して液体を吐き出した。
胃液かと思いきや、色が黒色だ。化け物がどうやって苦しんで死ぬのか、東堂さんで知っている。苦しむ愛音を目の前にして、私は不安になって来た。
私が、愛音を守らないと……。
そう思い立ち、愛音を肩に抱いて持ち上げた。黒い液体が身体にかかるけど、構わない。むしろ愛音のだったらどんな液体でもかぶってやる。
「うっ」
でも私もかなり吐き気が強くて、吐き出しそうになる。吐き出しそうになっても、それを飲み込んだ。
平衡感覚もおかしい。倒れそうになるけど、地面に触れる足の感覚だけを頼りに持ち直す。
「お前を殺すのは、割と苦労したぜ。だけどもう、終わりみたいだな。せめてものオレからの手向けだ。二人仲良く、死んどけ」
白い煙の中で、ガスマスクを装着した石塚が手にした銃が、私と愛音に向けられる。
私もろとも、この場で殺すつもりだ。愛音はこんな様子だし、私も足元がおぼつかない。
ああ。どうやら、ここで終わりみたいだ。
私がお母さんの安否を確かめたいなんて我儘を言ったばかりに、愛音を巻き添えにしてしまった。
私はどこかで、化け物の力を過信しすぎていたのかもしれない。化け物の愛音がいてくれれば、何がおこってもなんとかしてくれる。そう思ってしまっていたから、殺虫剤の改良版が出て来ると言う、予想外の出来事に対処する術がない。考えもしなかった。
結局、何も出来ないままに石塚の指が引き金を引き、私達に向けて発砲された。
でも、何かを弾く音がして弾は逸れた。
石塚は続けざまに何度か発砲したけど、その全てが弾かれてどこかへ飛んでいく。
「な、なんだ……!?弾が、弾かれた!?」
やがて石塚の銃が弾切れになると、驚きながら愛音を睨みつけ、すぐに次の弾を補充する。
石塚が放った弾丸を弾いたのは、愛音の触手達だ。煙の中で、今にも溶け出しそうになりながらも俊敏に動き、人の目では追う事が出来ない程の速度で飛んでくる弾丸を弾いた。
弾丸を弾き終わった愛音が、私を片手で抱きしめて来る。
それから、そっと私の耳に手を当てて来た。
「飛ぶよ」
愛音がそう呟くと、愛音に引っ張られて私は空へ向かって飛び出した。




