新種の化け物
声が聞こえる。私が早く会いたいと願うその人物の声は、私の耳の中から聞こえて来る。
『咲夜……お願いだから、返事をして。どこにいるの?大丈夫なの?』
感情のこもった、とても心配してくれている事が分かるか細い声だ。きっと、随分長い間声を掛けてくれていたのだと思う。おかげで眠っていた間、良い夢を見ていた気がする。夢の内容は思い出せない。
「う、ううぅ……」
ただ、寝覚めは最悪だ。頭がガンガン響いて痛くて、目覚めても意識は不明瞭でハッキリとしない。
『咲夜……!?起きたの!?大丈夫!?』
この声は……愛音のか。耳の中にいる愛音の分体とやらが、私に声を掛けてくれていたようだ。
確か私は、この声の持ち主の愛音の家に向かう途中で……東堂さんと話していた時に、背後から何かに襲われて意識を失ったんだっけ……。
「ううん……」
手……肩が痛い。今気づいたけど、私の手は天井から吊り下がった鎖に引き上げられ、万歳した態勢で拘束されていた。足にも同じように鎖がつけられていて、そちらは地面と繋ぎ留められている。
とりあえず、肩の負担を軽減するために足に力をいれ、立ち上がった。
どれくらいこうして吊られていたのか分からないけど、肩の痛みはそれでは収まらない。出来れば今すぐ肩をさげて楽な態勢をとりたいけど、拘束は解けそうにない。
「あ、目が覚めたー?」
「……?」
まだ、意識がハッキリとしない。けど何者かが私の目の前に立っていて、私に向かってそう尋ねて来た。
「薬が抜けてないねー。でも早めに目が覚めてよかったね。いつまでも呑気に寝てたら、しばらく肩があがらなくなってたかも」
「……東堂、さん?」
「そ。東堂さんだよー」
そこに立っていたのは、東堂さんだ。彼女は小柄なので私が立ち上がると、ちょっとだけ見下ろす形となる。
ここは……どこだろう。石畳の床に、石の壁と天井。明かりは天井から吊る下がっている電球頼みで、窓は無く薄暗い。部屋の広さは、愛音の家のリビングくらいだろうか。電球に照らされている範囲の中には他に人の姿はない。この部屋の中は、私と東堂さんの2人だけだ。
私はそんな寂しい部屋の中で、拘束されている。
「こ、これ、外してくれる……?」
「ダメだよー」
「どうして……これ、東堂さんがやったんだよね?」
「うん」
「じゃあ、外して」
「ダメだよー」
外すように頼んでも、東堂さんはのんびりとしたいつもの口調で断って来る。
『……咲夜。静流に悟られないように、今自分がいる場所を教えてもらって』
耳の中から愛音の声が聞こえ、そう指示をされた。
そういえば、眠っている私を起こそうとしてくれていた愛音に、まだお礼を言っていない。しかしその存在を悟られないようにと釘をさされたので、ここでお礼は言えなくなってしまった。
「じゃあ、ここはどこなの?」
「どこだと思うー?」
「……分からない、けど──」
この部屋には窓がない。外の景観を見る事ができないので、これだけでは全くと言っていいほど、ここがどこなのか分からない。
視界としてのヒントはないけど、臭いのヒントがある。ここは、とても臭い。臭いの種類は便臭であり、これだけ強烈な便臭がただよう場所と言えば、小学校の頃に社会科見学で訪れた下水道が思い浮かぶ。
「どこかの下水道?」
「おー、ご名答ー。ここは病院の下を通る下水道の一室だよー。めっちゃ臭いっしょ」
東堂さんはあっさりと認めた。
でも、病院とはどこの病院だろうか。町にはいくつか病院があり、その中のどの地下なのかまでは分からない。
「ここはねー。新種と呼ばれる化け物が、隠れ家に使ってる場所なんだよー」
そう教えながら、東堂さんの口の中から触手が出て来た。出て来た触手は私の顔に向かって伸びて来て、私の頬を舐めまわすように這って来る。
「新種って、分かる?この世界で生まれた化け物を指す言葉なんだけど、新種は旧種と違って割と自由にやってんだよねー。例えば、この部屋ってどういう事に使われてきたと思うー?」
「……分からない」
「少しは考えてよねー。でもまぁ教えたげるよ。人体実験。捕まえた人間を、どうしたら一番苦しむかとか、どうしたら死なないかとか、どうやったら死んじゃうかって、そういう実験をするために使われてきた場所なんだよー」
「どうしてそんな事を……」
少し、この場所が怖くなってきた。よく見れば床には黒いシミがあり、臭いは便臭で誤魔化されてはいるもののそれだけじゃない気がする。
「どうして、そんな事をって?面白い事言うねー。人間もうちらの身体を使って、色々やってるじゃーん。お互い様ってやつだよ。旧種の連中は何故か人間に対して遠慮がちっていうか、むしろ臆病だけど、うちら新種としてはそれが面白くないっていうか、付き合うのも面倒っていうか……」
東堂さんは表情を変えずに、淡々と話す。
「ぐぎゃああああああぁぁぁぁ!」
「ひっ!?」
とその時、耳をつんざくような男の叫び声が部屋の外から聞こえて来た。
一体何をどうされたらそんな声が人から出るのか。不思議に思えてしまうくらい、必死で、本気な叫び声だ。壁に反芻し、響いて聞こえてくるので、更に大きく聞こえてしまう。
「別の部屋でね、今日捕って来た人間の男が、別の化け物に実験されてるみたい。桜が眠ってる間にも凄い叫び声が聞こえて来てたけど、桜は気づかなかったねー」
「……」
私は、どこか化け物の事を信頼していた。愛音や、和音さんに、お母さん。彼女達は優しくて、私にとっては恐れるような存在ではない。腹を割って話して、そう分かった。
では、今目の前で私に触手を伸ばしている化け物はどうだ。淡々と恐ろしい事を喋り、今実際に別の部屋で人間に危害を加えている化け物の仲間である彼女は。どうなんだ。
私は、新種と旧種の違いを、全く理解していなかった。
愛音は近づかない方がいいと警告をくれていたけど、同じ化け物ならきっと愛音達と同じように仲良く出来るとか。そんな甘い事を考えていた。
「てかさー、桜。うちの正体、やっぱ普通に知ってんだねー。愛音から聞いたん?てかずっと聞きたかったけど、この間愛音と廃ビルで会った時に何かあったんでしょー?てか、絶対にあったよねー。なんせ次の日から愛音が化け物と入れ替わってたんだから。もしかして、むかついて殺した?」
「……私は、何もしてない」
「ま、どうでもいいけどねー」
「どうでもいいって……七瀬さんと、友達じゃなかったの!?小さい頃からの幼馴染で、一緒の学校に通いたいからって理由で今の学校を選んだんじゃないの!?」
「桜さー。いい具合にこじれてるねー。うちが、人間と友達?あり得ないっしょー。……まーでも、人間にもちょっとは好きな所はあるよ」
東堂さんは、乙女のように恥じらうような仕草を見せ、人間にも好きな所があると言った。
その言葉を聞き、やっぱり私の勘違いで、新種の化け物である東堂さんとも仲良くなれるような気がした。
「ど、どんな所?」
「苦しい時、痛い時の顔と、声。思い切り叫んで、思い切り暴れて切羽詰まった時の表情が好き。特に女の子の甲高い声が良い。ずーっと、一生死なせずに叫ばせ続けたい。ねぇ、桜。巡みたいな強気な女の子が、友達と信じてた幼馴染の女の子が実は化け物で、その子に捕まって拷問される事になった時、どんな顔するかなー?どんな声で鳴いてくれるかなぁ?」
そう語る東堂さんの顔は、歪んでいた。歪んではいるけど、笑みを見せ、想像して興奮したのか頬を赤く染めている。
こんな表情の東堂さんは、初めて見た。まるで恋に盲目のまま突進する乙女のようで、可愛く見えはする。
ただその言葉は、本気で言っているとしたらただの異常者だ。幼馴染の事を、実は友達とは思っていなかった。それだけでもかなりヤバイ奴なのに、幼馴染を拷問したい?しかもそれを想像して興奮している?異常者でしかない。
「鬼灯さんを、拷問でもするつもり……?」
「いつかはしたいねー。今は……新しい玩具があるから、必要がないかなー」
「……」
その玩具とは、恐らく私の事だろう。怖い。これから何をされるのか想像して、鳥肌がたった。
「んで、本題なんだけどさー。桜、うちらの事を人化生物対策課の男に話したでしょー」
「話してない」
「桜さ、金曜に人化生物対策課の男に呼び出されたっしょー」
東堂さんは、私が石塚に呼び出された事を知っているようだ。
話していないのに、一体何故知っているのだろうか。分からないけど、別に隠す必要はない。
「……うん。石塚っていう、もじゃ頭の男に呼び出された」
「その石塚って男が、土曜日にうちの家に来たんだよねー。それで色々と聞かれたんだけどさ……桜が愛音の事を色々と教えてくれたって言ってたよー。おかげで、確信を得たって」
「色々って、何を……!」
私は愛音の事を何も喋ったりなんかしていない。私が喋ったりせずとも、石塚は愛音の事を化け物だと確信していた。
「あの男、うちに対してもう化け物の事を隠さないような口ぶりだったけどさ、おかげでうちも色々と分かったよ。桜が、愛音を裏切ってあの男に全部話したって言う事がさ」
「わ、私は、愛音を裏切ったりなんかしていない!」
「嘘だー。だってあの男、愛音を捕まえる気満々だったもん。もう彼女とは会えないし、この事を話したらお前も同罪として逮捕するとか言われたよ。全部、桜があの男に話したせい。そのせいで愛音は今頃、きっと人間が作った恐ろしい研究施設の中で、人間達から拷問を受けている。人間なんかに自分の正体を明かしたりするから、そんな事になるんだよー。バカだよねー」
「……嘘」
耳の中で愛音の声が聞こえたんだから、そんな事はない。はずだ。でも先程から愛音の声は途絶えている。それは一体、何を意味しているのだろうか。
「嘘じゃないよー。ま、そういう訳で、桜は化け物を裏切った酷い人間って訳で、これからうちが拷問しまーす」
「……違う。そうか……石塚は東堂さんの正体を知った上で、私が愛音を裏切ったみたいに東堂さんに話したんだよ」
全部、石塚の罠だ。私が化け物を裏切ったような体で東堂さんに話し、私を陥れた。
だってあの男は、勘で相手が化け物かどうかが分かってしまうんだから。東堂さんと話したとなると、東堂さんの正体も知っていても不思議ではない。
「ま、実際裏切ったかどうかなんてどうでもいいんだよねー。でも一応、体裁として聞いとくけど……桜、化け物を警察に売った?」
「そんな事、絶対にしてない。東堂さん、落ち着いて聞いて。石塚は──」
石塚の事を話そうとした瞬間、全身に痛みが走った。痛みは全身を駆け巡り、私の頭の中を痛みだけで満たして言葉を続ける事を拒んだ。
「あ、がああぁぁぁぁぁぁ!?」
叫んだ。あまりの痛みに、叫ばずにはいられない。先程どこからか聞こえて来た男の人の声と同じような悲鳴を、私もあげている。それ程までに、あまりにも痛くてその痛みの強さを訴えかけるように叫ぶ。
「あ、あぁ……」
痛みは、すぐにおさまった。でもおさまった後も、あまりの痛さに神経が尾を引いている。
「ああ……やっぱり女の子の悲鳴って、良い……」
私の悲鳴を聞いた目の前の東堂さんが、うっとりした表情を浮かべている。
私は、怖くて体が震え出した。またあの痛みがやって来るのが、怖い。そもそもあの痛みはどこから送られてきたのだろうか。
「そんじゃ次は、絶望する顔見せてもらうねー」
そう言うと、東堂さんは鏡を取り出した。私の背後にも姿鏡が置かれていたようで、鏡の中から自分の背中を見る事が出来るようになる。
見えるようになった自分の背中に、変な物がついていた。




