大切な物
そのまま家に帰り、その後特別な事はなかった。
愛音とは、少しだけ話はした。電話で連絡があって、世間話をした程度ではあるけど……会いたくてたまらない。
愛音を抱きしめたい。キスをしたい。触れ合いたい。そんな想いが強くなるだけの会話だった。
いつもは愛音の方からそういった事はしてくれるけど、今なら私の方からしてしまいそう。
だけど愛音も慎重になっているのか、会いたいとは口にしない。だから私も口にはしなかった。
愛音の代わりと言ったらなんだけど、次の日にお母さんに少し聞いてみた。
この日は土曜日で、学校はお休みである。愛音や最近出来た友達とは会えない。
「お母さん。あっちの事に関しての話があるんだけど……」
「大丈夫よ」
リビングで2人切りの時に、静かに、言いにくそうに切り出すと、お母さんは顔色を変えずにそう言ってくれた。
あっちとは、化け物に関しての事をさしている。お母さんなら、きっとそう察してくれたに違いない。
そして大丈夫だと言ってくれた。最近盗聴器とか仕掛けられたりしてたから、念のため慎重に切り出したけどまずは安心だ。
「実は、最近警察を名乗る人に襲われて、殺虫剤とかっていうのを吸わされたんだけど……」
「だ、大丈夫だったの……!?」
そう聞いて、お母さんが身を乗り出して心配してくれた。それが嬉しくて、思わず頬が緩んでしまう。けど、聞きたい事があるので話を進ませてもらう。
「う、うん。平気。愛音も何故か大丈夫だった」
「七瀬さんも、使われた?でも大丈夫だった?」
「うん……。お母さんは、その警察の正体って知ってたりする?」
「……化け物の存在を知った政府が秘密裏に作った、『人化生物対策課』っていうのがあるみたい。昔はそんなのなかったんだけどね。最近になって、対私達用の、殺虫剤と呼ばれる毒ガスを開発して、その毒ガスで疑わしい人間に吸わせて化け物を駆除してるとか……そういう噂は流れて来てる」
「実は金曜日に、たぶんその対策課の人に協力しろって言われた。愛音は化け物だから、捕まえるのに協力しろって。殺虫剤が効かない化け物が珍しいから、捕まえたいとかって言ってた。もちろん断ったけど、じゃあ私の事も利用してやるみたいな事も言われた」
「……」
お母さんは、黙った。そしてやや時間を置いて、口を開く。
「化け物の事は見捨てて、協力しなさい」
「絶対に、嫌」
私は即答した。
「どうして……。貴女は人間なのよ?下手に化け物の味方なんかしたら、貴女まで目をつけられて、化け物に味方した裏切り者扱いされてしまうかもしれないじゃない」
「お母さんが私を愛してくれているように、私もお母さんが好き。愛音も好き。だから、裏切らない。今はそんな話をしたいんじゃなくて、情報の共有がしたかっただけ」
お母さんの目を真っすぐに見てそう言ったら、ややあってお母さんが私から目を逸らした。
「……分かった。あの盗聴器は、人化生物対策課がつけた物だったのね」
「あ、そうそう。愛音が、帰ったらきっとお母さんが外してくれるって言ってて、その通りになったね」
「私達はそういうのに敏感だからね。カメラに撮られているとかも気配で分かったりするのよ」
「じゃ、じゃあ、私の耳の中のも分かる?」
「耳の中?何かあるの?」
どうやら耳の物には気づいていなかったようだ。余計な事を言ってしまったかなと思いつつ、何なのか聞いてみよう。
「う、うん。愛音に……何かされて、それ以来愛音の声が私にだけ聞こえるようになって……」
愛音に耳を舐められた時に何かされて以来、私の耳の中で愛音の声が聞こえるようになった。その正体は未だに明かされておらず、現状は私にも謎だ。
ただ、私の独り言に答えてくれるし、どうやら周囲の声も聞こえてるような?
聞こえるようになった時に何をされたかは、さすがに親には言い難い事なので黙っておく。
「これ、何なの?」
「……そう。七瀬さんが。それはたぶん、私達化け物の分体よ。化け物は一体だけ、本体とは別の物を作って活動させる事が出来るの。それは生き物の姿をしていたり、ただの肉片だったり様々だけど……今咲夜の耳の中にあるのは、発声器官のついた寄生虫みたいな感じね。外の音を聞いたり、七瀬さんの意志と繋がって伝言を伝えたり出来るんじゃないかしら」
「うん。たまに声が聞こえる」
「……人化生物対策課に目を着けられて、自由に出来ないからそれでも貴女と繋がるために、分体を預けたんでしょうね。それだけ貴女を信頼しているって事だろうから、何があっても絶対に守るようにしてあげなさい。分体は、私達化け物にとってはとても大切な物だから」
「分かった」
そんな大切な物を愛音が預けてくれた事を、嬉しく思う。絶対に、何があっても守り抜こう。
「そうだ。その対策課の警察なんだけど、石塚っていうのがいてね。何か勘で相手が化け物かどうか分かっちゃうんだって。それで愛音の事を絶対に化け物だって言い張って聞かなかった」
「そう。たぶん、分かるタイプの人間なのね」
「だから、お母さんも気を付けて」
「分かった。気を付けるね」
「……て、この会話も愛音聞いてるのかな?」
「聞いてみれば?」
「……愛音、聞こえてる?」
問いかけても、返事はない。
「どう?」
「何も聞こえない。聞いてないのかな?」
「分体は、分かれてはいるけど私達と全く同じ個体よ。どれだけ離れていようとも、分体におこった出来事は本体に伝わるし、声ももれなく聞こえて来る。逆もそう。それが聞こえてないって言う事は、たぶん咲夜のプライベートに首を突っ込まないよう、配慮してるんじゃないかな。耳を塞いでる状態って事ね。あの子、咲夜に凄く懐いてると言うか、固執してるみたいだし……そういう事をして嫌われたくないんだと思う」
「そっか……」
それはそれで、ちょっと不便だ。せっかくいつでも好きな時に話す事が出来るのかなと思ったけど、出来なそうで。
でも、気遣いは嬉しい。
「でも、本当に気を着けなさい。化け物に味方すると決めた以上、咲夜にも危険が及ぶ可能性があるんだから」
「わ、分かってる。私だって、私なりに慎重に動いてるつもりなんだから」
「……咲夜が決めた事をこれ以上とやかく言うつもりはないけど、これだけは約束して。いざとなったら、私達じゃなくて自分の身を優先して守るって。そのためなら、私達を裏切って見捨てるような形になったって構わない。いい?」
「……うん」
そんな事をしなければいけないシーンが、この先訪れるのだろうか。その時、私はお母さんや咲夜を裏切れるのだろうか。自信はないけど、とりあえず頷いておいた。
だって、頷かないとお母さんが満足してくれそうにないから。
日曜日も、愛音と少しだけ話す機会があった。私の方から電話をかけ、また他愛のない世間話をして……そして会いたくなる。
電話が終わると、明日が待ち遠しくてたまらなくなった。自由に愛音と会えるなら休みも悪くないんだけど、会えないなら休みなんていらない。今の私の精神は、それだけ愛音を求めてしまっている。
そして、待ちに待った月曜日がやって来た。
でも、予想外にもその日、愛音は学校にやって来なかった。
何も言っていなかったのに、黙って学校を休んだ愛音。鬼灯さんと東堂さんも聞いていないらしくて、不安になって皆でスマホで連絡をしても返事がない。
それが、更に不安になる。
もしかして、石塚達に何かされているんじゃ……そう思ったら、いてもたってもいられない。2時限目の授業が終わった所で、私は学校をサボって愛音の家に行く決意をした。
先生には体調不良を訴えておいた。元気そうだなと言われたけど、押し切って学校を抜け出して愛音の家に向かう。
「愛音、大丈夫かなぁ?あの毒親になんかされてんのかなぁ?」
「そんな事言わない。きっと大丈夫だから、黙って歩く」
愛音の家に向かっているのは、私だけじゃない。鬼灯さんと、東堂さんも学校をサボってついてきた。
3人揃って体調不良を訴えたら先生が怪訝そうな顔をしていたけど、それも押し切った。
道中で鬼灯さんが呟いた心配は、ある意味で的外れだ。例え和音さんが愛音に何かしていたとしても、愛音に危険が及ぶ程の事ではない。愛音にとって今一番危険なのは、石塚達だ。
「あーもう、いてもたってもいられねぇ!」
「ちょっと、巡!」
「あたしは先に行ってるぜ!」
「私も──」
我慢できないと言った様子で、鬼灯さんが走って行ってしまった。それを見て、私も衝動にかられて走り出そうとする。
けど、そんな私の手を東堂さんが掴んで止めて来た。
「巡は体力バカだから。追いかけても無駄だよー。うちらはこっち。こっちの方が近道だからさ」
そう言って、東堂さんが家と家の間にある狭い路地を指さして来た。私は入った事ないから、その道が本当に近道かどうか分からない。ただ、東堂さんがそう言うので東堂さんについて路地に2人で入っていく。
少し進んだところで、突然東堂さんが立ち止まった。
「ど、どうしたの?」
「うち、全部知ってるんだよねー。桜が芝居してる事も、全部ねー」
「え?」
のんびりとした口調で訳の分からない事を言ってくる東堂さんが、振り返って私を見つめて来た。いつもの、無表情気味で何を考えているのか分からない顔だ。
「知ってるって、何を?芝居って、何の事?」
「桜が人化生物対策課の男に、愛音の事を話したんでしょー?」
「な、何を言ってるの……?」
「話はあとでいくらでも聞くからさー。今はとりあえず、付いて来てもらうわ」
背後から、何かが私に覆いかぶさって来た。そう気づいた時はもう何もかもが遅くて、私の視界は暗闇に包まれてしまう。同時に、甘ったるい香りが鼻を通り抜けると、意識も暗闇に飛んで行った。
早く愛音の所に行かないといけないのに、私はこんな所で足止めをくらう事になってしまった。