少しの辛抱
応接室の中にはソファが置かれていて、そこに石塚が腰かけている。対面するように置かれているもう1つのソファには、校長先生が腰かけていて石塚と話していたようだ。窓にはブラインドが取り付けられており、外から見えないようにされている部屋はやや圧迫感がある。
普段は保護者と先生との話し合いとか、業者との打ち合わせで使われる部屋だ。生徒がまず踏み入れる事のない部屋に、私は招かれた。
そして、石塚の顔を見た瞬間にぶん殴りたくなった。
だってそうでしょう。昨日私達に、あんな毒物を吸わせた男だ。しかも軽く手をあげて挨拶してきたりして、煽っているとしか思えない。
「桜さん。警察の方が、貴女に尋ねたいお話があると……」
校長先生が不安げに私の方を見てそう言ってくる。
お前、なんかしたんじゃねぇだろうな。視線でそう感じる。
「先程も言った通り、大した話じゃないんですよ、ホント。昨日はちょっとした行き違いで、彼女に勘違いをされているんじゃないかと思いましてね。今回はその謝罪みたいなもんです」
「そ、そうですか」
「そうそう。だから先生方は外で待っててください」
「さすがにそういう訳には……」
「彼女のプライバシーに関わる話なんです。とてもセンシティブで、他人に聞かれるのは本人がとても嫌がると思います。分かるでしょ?ほら。あっち系のです」
どっち系だ。
そもそもさっき、謝罪に来ただけだと言ったじゃないか。それがどうしてそんな、あっち系の話になると言うのだ。
とはいえ警察にそう言われると、先生達も弱そうだ。
先生達がどう受け取ってどう想像したかはわからないけど、私と石塚を残しておとなしく応接室を去っていってしまった。
「……一応聞いておくけど、貴方は本当に警察なんですか?」
「勿論本物の警察だ。オレも、秋月君も、政府に雇われてる。まぁとりあえず座れよ」
「別に、ここでいいです」
「信用されてねぇなぁ……」
昨日の出来事があって、どう信用しろと言うのだろうか。
この人は、昨日私に毒を吸わせた。なにより愛音を殺そうとした。もうその時点で敵であり、信用出来ない。
敵が一体私に何の用事があって呼び出したのだろうか。
「話があるなら、早くしてください」
「……オレの勘によると、七瀬 愛音は化け物だ。それは間違いない」
「……」
合っている。どうしてこの人は、愛音が化け物だと確信を得ているのだろうか。
ああ、そうか。この人、私と同じ化け物が分かる人なのか。
愛音と和音さんが言う所では、五感や第六感で相手が化け物かどうかが分かる人がいると言っていた。私は五感のうちの、嗅覚で分かる。この人は勘と言っているから、きっと第六感で分かるタイプの人なのだろう。
「じゃあ私はどうなんですか?私も化け物だから、毒を使ったんじゃないんですか?」
「あんたは人間だ。けど、なんか引っかかるんだよなぁ。て事で使わせてもらったに過ぎない」
「……そもそも、化け物化け物って、友達をそんな風に言わないでください。人間に擬態する化け物なんて、そんなのいる訳ないじゃないですか」
「いるからオレみたいなのがいるんだよ。オレは今まで、人間に紛れて暮らしてやがる化け物を見つけては、何匹も処分して来た。奴ら、殺虫剤を使えば無様に悶え苦しんで真の姿を現しながら死んでいく。たまに騙してその方面の研究所に連れてって、研究材料にする事もある。研究材料になると大変だぜぇ?変態の研究者達が、毎日内臓の検査や痛覚の検査に、どうすれば死ぬかとか調べて来るから、死ねないし死んでも研究者達に弄ばれる。そういう連中のおかげで出来上がったのが、昨日お前もくらった殺虫剤だ」
「だから、そんな化け物いる訳ないじゃないですか。それにもしそんな化け物がいるとしても、愛音も殺虫剤とかっていうのを吸ったのに生きているから、化け物じゃないはずです」
「理由は分かんねぇけど、もしかしたら殺虫剤に耐性を持ってるのかもしれねぇ。じゃないと説明がつかないからな。オレはそう思ってる」
やっぱりこの人は、愛音が化け物だと確信を持っている。どう言ったってこの人の中では愛音は化け物であり、変わらなそうだ。
「バカらしくて、聞いていられないです。もしかして先日テレビでやってた映画でも見ました?それともファンタジー系の小説の読みすぎじゃないですか?」
「いや、テレビは見ねぇ。本も読まねぇよ。言っとくけどツチノコがいるとか本気言ってるお前の方がオレよりヤバイからな?」
「うっ……」
そう指摘され、小学生の頃のトラウマが蘇った。ツチノコを見た事あると力説して、周囲からバカにされた過去が頭を過ぎる。
「てかよお。何も知らねぇような口きいてるけど、あんた化け物の事知ってんだろ」
「し、知らない、です」
大きな声を出して否定しそうになったけど、そんな事したら肯定したも同然だ。ギリギリ普通に否定出来たと思う。
「怪しすぎるんだよなぁ。念のため盗聴器も仕掛けさせてもらったが、壊されたみたいだしな」
ケラケラと笑いながら、さらっと盗聴器の事を暴露された。
「ふざけないでくださいっ。盗聴器なんて仕掛けて、どういうつもりですか」
「まぁ怒んなよ。否定するならそれでいい。そんな話をしに来たんじゃないからな」
「じゃあ何の話をしに来たって言うんですか……」
「あんたには、七瀬 愛音を研究所に連れてく手伝いをしてほしい。殺虫剤が効かねぇ化け物の事を話したら、研究所の連中が興味を持ってな。連れてこいって言うんだよ」
研究所と言うと、先程石塚が言っていた変態達が集まる場所か。この人は、愛音を捕まえてモルモットか何かにしようとしている。
怒りがこみ上げて来た。
愛音を捕まえて、実験道具にして愛音を苦しめる。きっと私の想像じゃ追いつかないような、変な事をされるに違いない。
「そんな事、絶対にさせないっ」
「協力しないじゃなくて、絶対にさせないか」
「愛音が何か悪い事をしたって言うんですか!?愛音はただ普通に生きているだけです!誰にも迷惑なんかかけてない!」
「化け物が人間に化けてる時点で、人間様からしたら迷惑だ。それに何より、化け物は生きた人間を食う。人間社会から殲滅されるべき、害虫だ。てかあんた、やっぱり化け物の事知ってるじゃねぇか。誰から聞いた?七瀬 愛音の事も知ってんのか?ああ?」
「な、何を──……!」
石塚がソファから立ち上がると、私の方に近づいて来て私の胸倉を掴んで来た。
そして動けなくなった私を見下ろし、睨みつけながら早口で色々と尋ねて来る。
石塚の顔は凄い迫力だ。大人の男の人に胸倉を掴まれて迫られる恐怖も中々だけど、この男の顔の迫力の方が圧倒的に怖い。
でも、私だって負けていられない。
愛音をどうにかしようとするような敵に、やられてたまるもんか。全力で睨み返して、耐える。
「愛音は、私の大切な人だ……!絶対にお前なんかに協力しないし、私はこの先も愛音と一緒にいる」
「盗聴器で聞かせてもらったが、確かにお前らの関係は深そうだな。化け物に魅入られたか?けどオレに協力しといた方がいいと思うぜ?というかそうすべきだ。人間は人間の味方であるべき。そう思うだろう?」
「誰がっ……お前、なんか、に……!」
段々と、私の胸倉を掴む石塚の手に力が入っていく。いつの間にか足が浮いていて、苦しさが増して息が自由に出来なくなる。それでも私は石塚を睨み続けた。
「嫌われたもんだなぁ。けど、お前の気持ちはよく分かった」
そこで、石塚が私から手を離した。
私は突然手を離され、その場に座り込んで息を大きく吸う。
「あっ、はぁ!はぁ!」
「向こうがどう思ってるかは知らんが、お前は使えそうだ。協力しないってなら、使わせてもらう。後悔すんなよ」
「っ……!」
後悔なんて、最近しまくっている。
というか、愛音を裏切る以上に後悔する事なんてあるのか。ないだろう。
息を整えつつ石塚を睨みつけると、石塚は怖い顔から、普通の顔に戻った。
「じゃ、話はおしまいだ。またな。化け物の味方をする人間」
そう言い残し、石塚は応接室を去っていった。
外で待機していた先生達が、倒れている私を見つけて何があったのかと慌てて尋ねて来たけど、とりあえず何でもないとだけ言っておいた。それだけじゃ納得出来ず、石塚にも問いただしてくれていたけど、向こうも何でもないと答えるとそれを受け入れるしかない。
結局去っていく石塚を、ただ見送るだけだった。
私も、その後すぐに学校を後にして帰路についた。
すぐに愛音に連絡したい衝動にかられたけど、どこで見られているか分からない。今は、慎重になろう。衝動はおさえて、ただ歩いて行く。
石塚は、私の事を使うと言っていた。一体何に使うつもりなのだろうか。
分からない。彼らが次に、何を仕掛けようとしているのかも分からない。
「……愛音。気を付けて」
道を歩きながら、独り言のように呟いた。
これくらいなら、万が一誰かが見ていたとしても別に誰にも怪しまれないでしょ。
『分かってる。咲夜も気を付けて』
やっぱり愛音は、聞いていたようだ。私の独り言に、耳の中の私にしか聞こえない愛音の声が答えてくれた。
今は、これくらいでいい。ただ、早く問題を解決して、2人で自由に喋って、自由に遊べるようになりたい。
その時まで、今は少しだけ辛抱だ。