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もう一歩踏み込んで


 胃の中から、お昼に食べて消化されかけていた物がこみ上げて来る。世界は回転し続けていて、グルグルと視界が回って何がなんだか分からなくなって来た。


「おっ、えええぇぇぇ!ごえええぇぇぇ!」


 吐ける物がなくなっても、私は吐き続ける。止まらない吐き気は呼吸を邪魔し、息苦しい。それでも何かを吐こうと、必死にえずく。


『咲夜!大丈夫!?しっかりして!』


 遠くか、あるいは近くから愛音の声が聞こえて来る。


 あれ、今なんて言った?よく聞こえない……というか、考えられない。


『人の心配してる場合じゃねぇぞぉ。あっちはどうか分からねぇが、オレの勘じゃあお前は絶対に化け物だ。そうなんだろう?素直に吐いちまえよ』

『化け物……?何を言っているんですか?さっきからおかしな事ばかり言って……咲夜に変な物を吸わせて、一体何がしたいんですか!?』

『だから、害虫駆除だよ。人間に化けて人間の社会に紛れている害虫を駆除するための機関が……て、詳しくは秘密だけどな。とにかくオレは、その手の専門家だ。よろしく、七瀬 愛音。んで、さようならっと』


 混濁とする意識の中で、上かも下かも分からない方に目を向けると、そこでは愛音が石塚さんに顔を捕まれ、マスクを装着されるシーンが繰り広げられていた。


 害虫駆除──。


 石塚さんは、そう言った。害虫とは、普通は虫を指すけどこの場合は愛音達化け物を指している。そうに違いない。

 そして私が吸わされた、この煙。秋月さんは、人間にも効いてしまうと言っていたけど、死んでしまうとは言っていなかった。現在私が陥っている身体的な状況から鑑みて、危険な物ではあるけれど死にはしない。だから人間に対しても使用するのに躊躇する必要がない。

 それじゃあこの煙が何に聞くのか。答えは、化け物に対してだ。恐らく、化け物に対して虫に対する殺虫剤のごとく効果があるのだろう。


 私はその存在を知らずに生きて来たけど、化け物の存在を知っている組織がある。その組織は、警察内部にある。秋月さんが見せて来た警察手帳が偽物出ない限り、国が化け物を駆除するために作ったのが、この煙だと考えられる。


 そんな組織が、化け物を殺すために作った煙を、今愛音に吸わせようとしている。


「うっ、おおおぇぇ!や……め、ろ……!」


 吐きながら、愛音に向かって手を伸ばす。伸ばそうとした。だけど私の手は屈強な男に掴まれていて、それは叶わない。

 

 無情にもスプレーのノズルが押され、中から煙が飛び出した。煙は愛音に襲いかかると、すぐに効果が表れた。


『ぐっ、あっ……お、えぇぇぇぇぇぇ!あっ、がああぁぁぁぁ!』


 愛音が私と同じように、吐き出し始めた。目は虚ろになり、手足が震えてまともな状況ではなくなる。


 吸ってしまった。化け物の愛音が、毒の煙を。


 このままじゃ愛音が死んでしまう。早く、早くなんとかしないとっ。


 心の中で慌ててそう思っても、身体は拘束された上に毒の影響でまともに動きやしない。

 更には視界が暗転とし始めた。目を開いているのにも関わらず、目の前が少しずつ暗闇に侵食されていく。いや、目を開いていられなくなったのか。と気づいたらもう真っ暗闇に包まれていた。


「あい、ね……」


 最後に愛音の名を呟き、私は意識を失った。


『──どうするんですか、石塚さん。二人とも人間のままですよ!?』

『おっかしーなー。オレの勘が外れた事なんてないんだけどなぁ』

『大体にして、勘ってなんなんですか!確かな証拠もなく、勘で人間に殺虫剤を使ったりして正気ですか!?』

『勘は、勘だ。オレは状況証拠や会話から、相手が化け物かどうかが分かる体質なんだ。今まで外れた事なんかない。その腕を買われて、信頼を得て、だからこんな地位にいる。今回のはイレギュラーとしか言いようがねぇよ』


 暗闇の中で、男達が慌てふためく会話が聞こえて来る。

 声が聞こえるだけで、起きれはしない。私の意識はまだ、遠くにある。


『つっても、やっぱおれぁ納得できねぇ。ここで撲殺でもしてみりゃハッキリとすると思うんだけどなぁ』

『石塚さん……!』

『そんな怖い顔して睨むなよ。分かってるっての。さすがにただのオレの勘で、女子高生を二匹撲殺するなんて許可出来ないって言いたいんだろう?』

『はい』

『……何も出ねぇとは思うけど、念のためコイツを仕掛けてもう少し調べてみるとしよう。それくらいならいいだろう?』

『……』


 秋月の返答は、聞こえなかった。返答がないまま、何やら私の服がめくられた気がして、だけど特に違和感はない。脱がされた……とかそういうのはなさそうだ。

 ただ、嫌悪感はあるので自然と体がよじれた。大して動きにはならなかったけど……。


『じゃあな、クソガキども。この件に対しての苦情は、最寄りの警察署の化け物対策課へどうぞ。ははっ』


 石塚のそんな冗談めいた声が聞こえて来た。

 その声を最後に、聞こえなくなる声。

 包まれる、静寂。暗闇の中で、時間だけが経過していく。


「……──咲夜。咲夜。大丈夫?」


 汚らしい男達の声ではなく、キレイな声で名前を呼ばれ、私はゆっくりと目を開いた。するとぼんやりとした視界の中に女の子がいて、こちらを見ている。


「う……ううん……」


 視界が段々とハッキリしてきて、ピントが合うようになってきた。するとその女の子が愛音だと分かるようになる。

 その姿を確認した瞬間に、私は一気に覚醒した。


「愛音!」


 愛音の名を呼びながら飛び起きると、彼女の肩を掴んで本物かどうかを確かめる。

 ちゃんと掴めるし、幻覚ではない。確かに、愛音だ。死んでいない。生きている。


「大丈夫、咲夜?」

「私は大丈夫。愛音は?」

「平気よ。ちょっとくらくらするけど」

「……実は、私も」


 だけど軽く風邪をひいた時くらいのくらくら加減なので、症状は軽い。

 煙をくらった直後の最悪な時と比べたらマシもマシで、ほとんど健康だ。


「でもどうして──」


 どうして、愛音は無事だったのか。そう尋ねようとしたら、愛音が私に抱き着いて来た。


「怖かったね」

「う、うん」

「怖いから、もう帰ろう?もうこんな時間だし……またママに叱られちゃう」


 どうしたんだろう。甘えるような、震えた声で言われて戸惑ってしまう。

 普段の愛音とはちょっと違う行動に、違和感を覚える。

 だけど愛音の言う通り、空は赤から青黒へと色を変えようとしており、煙を吸ってからけっこうな時間が経過している事を物語っている。


「……うん。帰ろう」


 私も愛音を抱き返し、そう返事をした。


 石塚や、秋月達の襲撃。

 あの出来事を、怖かったか怖くなかったかの二択で聞かれると、怖かった。一歩間違えれば私は死んでいたような気がする。或いは身体に変な事をされるとか……今思えばそういう危険性もあったけど、変な煙を吸わされてめちゃくちゃ気分が悪くなっただけで、とりあえずは無事だ。


「あの人達、もういないよね?」

「う、うん。平気だと思う……」


 私は愛音と手を繋ぎながら、家へと向かっている。愛音はずっと私の手と繋ぎ、時には腕に抱き着いてとても怯えた様子を見せている。

 明らかに、いつもと様子が違う。

 確かにあの出来事は私も怖かったけど、愛音のように子羊のように怯えたりする程ではない。むしろあの男達に対しての怒りがこみ上げていて、どこかに訴えてやろうかと画策しているくらい。


「……私、怖かった。あの人たちに何かされるんじゃないかって……怖くて、震えて、何も出来なかった」

「私もだよ。何も出来なくて、愛音を守ってあげられなかった」

「あの人たち、絶対におかしい。人間に擬態する化け物がどうとか、絶対にまともじゃないわ。でもたぶん、警察手帳は本物だった。一体どういう事だと思う?」


 愛音さんが、そんな疑問を私に呈して来る。

 実際に人間に擬態している化け物から、どうしてそんな質問を投げかけられなければいけないのだろうか。

 石塚達がまともじゃないっていうのと、警察手帳が偽物とは思えなかったの部分は完全同意だけどね。


「ん、んー……私には分からないなぁ。愛音は、どう思うの?」

「私だって、分からないわ。でも私は、とにかく怖かった。世の中犯罪が後を絶たない事は知ってはいるけど、実際に自分の身に降りかかると怖くて震えが止まらない。ねぇ、咲夜。この震えを止めるために、協力してくれない?」

「なんでもするよ」

「じゃあ……」


 するとそこで、愛音は周囲を見渡した。


 今私達が歩いている路地は、今の所人気はない。家の中から知らない人の声が聞こえて来るけど、私達2人だけの空間である。


「咲夜の耳、舐めてもいい?」

「……耳?」

「そうよ。キスはもうしたし、もう一歩踏み込んで耳を舐めてみたいの」


 キスからもう一歩踏み込んだら、耳を舐める事になるのか。知らなかった。


 突っ込みたい所は、色々ある。

 だけど怯えた様子の愛音が、そうする事によって元気づけられるというのなら、協力したいと思う。それになんでもすると言ってしまった手前、断るつもりは毛頭ない。


「よ、よし。いいよ。どんとこい」

「……それじゃあ、失礼して」


 私が許可すると、愛音が私を抱きしめて来た。そして耳元でそう囁いてから、耳を甘噛みされる。


「……んっ」


 なんか、こそばゆくて声が出た。

 私今、愛音に耳を甘噛みされてます。あのぷるんぷるんの柔らかい愛音の唇を、耳で感じる。

 愛音の吐息が耳元で聞こえて、それがまた気持ちが良くて、恥ずかしく、声が出る。


 でも驚くのはまだ早くて、愛音の舌がぺろぺろと耳を舐め、しゃぶって来た。


「ひあっ……!」


 ここまでで一番大きな声が出た。

 耳元で、愛音が必死に私の耳をなめしゃぶり、くちゅくちゅとどこか卑猥な音もたてている。


「あ、あい、ね……ちょ、ちょっと、はげしっ……ひゃあん!?」


 さすがに、屋外でここまで激しい行為はどうかと思う。こういうのは誰も来ない密室で、2人きりでゆっくりとやるものである。

 だから、もうちょっと軽く、フレンチな感じでお願いしようとしたんだけど、直後に耳の穴の中に愛音の舌が侵入してきて、私は声を出すと同時に体を震わせる事になる。


「んっ、はぁ……咲夜……カワイイ」


 私の耳の穴に舌をつっこみながら、愛音が吐息と共にそんな言葉を囁いて来た。

 その声は色っぽく、完全に発情した人間の声だ。


 暴走気味な愛音を、どうにかしなければいけない。

 でも暴走は止まらず、愛音の舌はどんどん奥に、奥に……いや、おかしい。愛音の舌が伸びすぎだ。私の耳の奥へ奥へと、とどまる事無く入って来て、そしてやがてかなり奥の方で止まった。


「んはぁ」

「んぅ……!」


 奥で一旦止まった舌が、愛音の吐息とともに引き出された。


「はぁ、はぁ……」


 私は息を荒げ、愛音も色っぽく染まった頬を見せてながら満足げに舌なめずりをしている。

 あと一歩耳舐めをやめるのが遅れたら、私はたぶん膝から崩れていたと思う。それくらいに愛音の耳舐めは気持ちが良くて、強烈だった。


「……ありがとう、咲夜。おかげで少しだけ落ちついたわ」

「そ、そう。それは良かった……よ」


 ぎこちなく返すと、愛音が笑いかけて来る。

 頬が赤く染まっている分、その笑顔はいつもより色っぽく、そして可愛く見えた。


『あーあー。聞こえる咲夜?この声は今咲夜にしか聞こえてないはずなんだけど、聞こえたら返事はせずに、黙って私の頬にキスをして』

「っ!?」


 突然耳の中で、愛音の声が聞こえて来た。

 驚いて目の前の愛音を見つめるも、目の前にいる愛音は喋っていない。


『はーやーく。キスして。ね?』


 再び、愛音に舐められた方の左耳から声が聞こえて来た。

 まるで恋人に甘えるかのように、色っぽく、可愛らしい声でお願いをしてくる声。

 最初幻聴かと思ったけど、これは幻聴なんかではない。確かに愛音の声が、耳の中から聞こえてきている。


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