警告
その日、私は上機嫌で登校して来た。
お母さんと和解し、化け物達に対する理解も深まった今の私には、憂う事が何もない。学園生活でも友達が出来、以前のような嫌がらせを受ける事もない。
生活態度はおとなしく、品性高潔。成績優秀で誰からも憧れる存在……とまではいかないけど、まさに順風満帆な人生がこれから始まろうとしている。
上機嫌にならざるを得ない。
「なんか桜、今日ご機嫌じゃないー?」
昼休みになると、そう指摘してきたのは東堂さんだ。
現在私は学校の中庭に設置されたベンチに腰掛け、お弁当を食べている。
右隣に愛音がいて、左には東堂さんがいて、2人もお昼ご飯を膝の上にのせている。
東堂さんは普通のお弁当だけど、愛音はチョコレートが詰まったパンで、とても甘そうなお昼ご飯だ。お昼ご飯まで甘ったるい物とは……ブレない。
「そう見える?」
「見えすぎー。良い事あったん?」
「ないと言えば嘘になるけど、別に大した事じゃないよ」
「気になるー。……コレで手をうってもらおう」
そう言って、東堂さんが自分のお弁当からタコさんウィンナーを箸でつかみ、私に向かって差し出して来た。
「こ、コレは?」
「あーん」
「あ、あー……」
口を開けと言わんばかりに、東堂さんの箸が迫って来る。なので私は口を開いて迎え入れようとしたのだけど、そのウィンナーが私の口の中に入る事はなかった。
「むぅ。何するの、愛音」
「うん。静流のタコさん、美味しい」
気づけば、東堂さんの箸からウィンナーが消えていた。そして隣を見ると、愛音が口をもぐもぐとさせて味の感想を述べている。
どうやら愛音に横取りされたようだ。
「美味しいじゃなくて、横取りすんなー」
「いいじゃない、別に。いつも分けてくれてるし」
「そうだけど、うちは桜に食べさせて話を引き出そうとしてたのにー」
頬を膨らませて抗議する東堂さんは、まるで小動物のようだ。
いつも基本無表情で、今もあまり表情を作らずに頬だけ膨らませているんだけど、それがまた可愛い。声に抑揚もなくやや棒読みよりなので、感情が掴み取りにくいけどそれがまた東堂さんの不思議な魅力でもある。
前はそんな東堂さんを、3人の中で一番不気味がっていたんだけど今では嘘のように可愛く見える。やっぱり仲が良いか悪いかって、重要だね。
「咲夜はママと喧嘩してたけど、仲直りできたのよ。そうでしょ、咲夜」
「う、うん。そう。お母さんと色々あったけど、仲直り出来てそれで機嫌が良かったんだと思う」
「へー。それ、愛音は知ってたんだー。ふーん。なるほどー」
「友達なんだから、それくらい知ってるわよ」
「いやぁー……例の件があってから、二人の仲の良さってちょっと異常すぎると思うんだよねー。こう言ったらなんだけど、虐めてた人間が虐められてた人間と仲良くなるケースって、稀でしょー?まるで、どっちかか、あるいは両方とも、別人に入れ替わったみたいじゃーん?」
「……」
東堂さんはお弁当を口に運びながら、そんな冗談にならないような事を言って来た。
言いたい事は分かる。確かに愛音に殴られたあの日から、私と愛音の仲は急激に良くなった。周囲の人たちに違和感を与えるくらいの急接近である。
それは愛音が化け物と入れ替わった事による影響で、勿論その事は誰も知りやしない。ただし、化け物は例外だ。
東堂さんは、どういうつもりでそんな事を言ったのだろうか。もしかしたら、警告のつもりだろうか。擬態すべき化け物が、擬態できていないという。
「あー、いたー!探したぜー!」
とそこへ、鬼灯さんがやって来た。
手にはコンビニで購入して来たと思われるパンが抱えられている。
彼女はお弁当を忘れていたという理由で外出許可をもらい、近くのコンビニでお昼ご飯を買いにいっていた。時間がかかるので先に食べていてと言われ、その通りにさせてもらって先に食べていたんだけど、案外早かった。
「早いわね、巡」
「おう!走って来たからな!」
額に少しだけ汗を浮かべた鬼灯さんは、東堂さんの隣にどかりと座った。
「いやーちょっと疲れたわー!静流、一口くれ」
「そんだけ食料抱えてる人に分ける分はないんだわー」
「ケチケチすんなよー。あたしの分けてやるからさ。交換ってやつだ。でも静流はたくさん食べて、もっとでっかくなれよ!」
「食わせようとしたり、奪おうとしたりどっちなんだよー……」
鬼灯さんの登場により、先程の話はなかった事になった。
結局東堂さんの真意は確かめられないまま、お昼休みは過ぎていく。
放課後になると、今日は東堂さんと鬼灯さんは用事があると言って先に帰ってしまった。
私は愛音に誘われて、近くの商店街へと遊びに行く事になった。遊びに行くというか、今日はちょっとだけ本屋に寄って帰るだけ。愛音が買いたい本があるというので、私はその付き合いだ。
「へー……。凄いわね、コレ。タイトルが長くて、どんなお話か凄く気になる。こっちは、絵がとてもキレイ。キャラクターが可愛いし、カッコイイ」
私はてっきり、本屋で参考書でも探すのかと思ってた。でも違った。愛音がやって来たのは、漫画コーナー。そこで漫画を手にして目を輝かせている。
「漫画、好きなの?」
「興味はあったけど、読む機会が中々無くて……。今も、昔も、この人間も」
周囲に声が漏れる事を気にして、愛音は小さな声で、更に隠語のように言った。
解析すると、化け物が七瀬 愛音になってからと、なる前と、七瀬さんも興味があったけど、全員読む機会がなかったという事になる。
「昔は捨てられてた漫画を読んで、楽しんでたわ。捨てられてしわしわになっても、迫力のある絵と、熱い展開に驚愕の展開で手に汗握って……夢中になって何回も読んだものよ。懐かしい。今はスマホで無料の漫画を読んだりはするけど、良い所で終わってしまうし、無料の物もあるけど中々次に進めないから、思い切って買っちゃおうと思って」
なんか、愛音が私を殴って仲直りしようとか、青春漫画みたいな展開を望んでたのってその捨てられてた漫画の知識から来てたのかもしれない。
他にも漫画のキャラみたいなキザな台詞をたまに吐くので、ふとそう思った。
「でも漫画とか、和音さんが許してくれるの?」
「見つかったら、捨てられちゃうかも。だから隠さないと」
「だったらスマホで買っちゃえば?」
「支払いがあるから、無理よ」
「プリペイドカードとかで買う方法もあるけど……」
「お金が減ったらレシートを見せないといけないし、スマホ決済もママが監視してるからダメ。嘘をついたとしてもいずれバレるわ」
それはキツイ。
七瀬さんがそこまで監視されていたと思うと、やはり同情してしまう。勿論今の、愛音に対しても……。
和音さんと話し、多少は彼女の事を理解出来たけどやっぱりそこまではやり過ぎだと思うんだ。
「よし、それじゃあコレ買って来るわね」
「いや、ちょっと待った。お金が減ったらバレるんだよね?ここで漫画買ってお金減ってたら怪しまれない?」
「怪しまれるけど、すぐに読んじゃえば平気よ」
「バレたら捨てられちゃうじゃん、もったいない……。あ、というかその漫画私持ってる。スマホで全巻買ってあるから、読ませてあげるよ」
愛音が手にしていたのは、一昔前の少年漫画の名作だ。セールの時に買った物で、けっこう安く買えたのを覚えている。全20巻でそれなりに読みごたえがあるし、内容も面白いのでお勧めだ。
「……本当に?」
「本当。他にも面白いのあるから、読み終わったらそっちも読ませてあげる。貸すのは出来ないけど、一緒にいる時に言ってくれればいつでも読ませてあげるよ」
「咲夜」
「は、はい」
愛音が手にしていた漫画を置いて、私の手を両手で握り込んで来た。そして少年のように輝く目で私を真っすぐに見つめて来る。
「大好き」
そしてまた、そんな言葉を真っすぐにぶつけてくる。
たかが漫画を読ませる約束をしたくらいで、大げさすぎる。
「い、いいから。帰ろ。今日の目的は達成されたって事でいいでしょ」
「ええ。咲夜のおかげね」
結局、せっかく本屋さんに来たのに何も買わずにお店を後にした。
お店を出た所で、家の方に向かって歩き出した時である。
「──こんにちはー。ちょっとお話いいですかぁ?」
明らかに作られた、地ではない丁寧な喋り方。その声の主は、私達の行く手を塞ぐように立ち、こちらを鋭い眼光で見つめて来る。
話し掛けてきたのは、白髪交じりの、ややパーマがかったもじゃもじゃ髪なおじさんだ。白色のシャツを着ていて、一見するとサラリーマンのおじさん……?でもシャツはよれよれで、着方も崩れていてちょっとだらしがない。無精ひげも生やしているし、ちょっと怪しい。
「すみませんが、門限があるので早く帰らないと。失礼します」
そう言ってあしらおうとした愛音だけど、おじさんは道を開けてくれない。愛音がおじさんを睨みつけるも、おじさんはヘラヘラと笑うだけ。
「ただちょっと話を聞きたいだけだよ。怪しい者じゃないから安心して」
明らかに怪しいおじさんの次は、振り返るとスーツ姿の若い男の人が話しかけて来た。
「な、なに……?」
話しかけて来たスーツの男の後ろに、同じようにスーツを着ている男が数人控えている。明らかに、全員話しかけて来たこの男達の一味だ。
「こういう者だから、警戒しなくていい」
警戒する私達に向かい、背後から話しかけて来たスーツ姿の男が手帳を見せて来た。
それはドラマとかでよく目にする、いわゆる警察手帳とよばれる物だった。




