憂鬱な登校
朝になった。
この春に入学した県内で有名な公立の進学校は、制服の可愛さにも定評がある。白のブレザータイプの制服で、スカートは青と白色のチェック柄。自室に設置された姿見の前に立った制服姿の私は、スカートを長めにして髪の毛を三つ編みにし、眼鏡をかけたやはり地味な姿だ。
なんかこう……クラスの委員長って感じ?自分で言うのもなんだけど。
勿論実際は違う。私は委員長なんてやるようなタチじゃない。ただ、学年で一番の優等生で、秀才であるという自覚はある。自分で言うのもなんだけど。
でもトップクラスの成績で学校に入り、しかも入学してからの学力調査では学年一位の成績をおさめたので、自分で言う程のものかもしれない。
「……はぁ」
これから学校に行くと思うと、思わず溜息が出てしまう。
勉強は嫌いじゃない。先程自慢させてもらった成績でお察しの通り、むしろ好きで、将来良い大学に行って、それなりの企業でそれなりにお金を稼ぐつもりでいる。
私が通学を憂鬱に感じる原因は、勉強ではない。人間関係の方だ。
なんにせよ、学校に行かないという選択肢はない。せっかく入った進学校だ。私自身は自分の実力を認められたみたいで喜び、親も私の合格を心底喜んで祝福してくれた。親の期待に応えるため……なんて、臭い事を言うつもりはない。
コレは私の、意地だ。自分は案外負けず嫌いなのだと、この学校に通い始めてから分からされた。
「よしっ。行きますか」
鏡に映る自分に向かって、気合を入れるように声を掛けてから私は部屋を出た。
親は私が朝ご飯を食べ終わる前に、仕事に出かけてしまった。両親共働きの家では、よくある事だろう。最後に残された私は、家にカギをかけて歩き出す。
閑静な住宅街を歩いていくと、しばらくして幹線道路に出た。私が通っている学校はこの幹線道路沿いにあるので、あとはひたすらに真っすぐ歩いていくだけである。距離は、徒歩40分程だ。それなりに遠く、それなりに近いとも言う。バスを利用してもいいけど、これくらいなら歩いてもいいだろう。バスを利用するお金がもったいないし、普段運動をしないので体形を維持するためにもいい運動にもなる。
やがて、周囲に自分と同じ制服に身を包む若者達が増えて来た。共学なので、中には男の子もいる。同じ制服と言ったけど、当然ながら男の子はズボン姿である。
彼らに混じって歩いていくと、我が学び舎が見えて来た。白色を基調に、赤色のラインが入った校舎は5階建て。改修されたばかりなので、外は勿論中もとてもキレイ。幹線道路沿いなので、周囲には様々なお店が並んでいて利便性もイイ。名ばかりの校則で禁止はされているけれど、帰りがけに本屋やカフェなど、寄りたい放題である。ゲーセンもあるけれど、こちらはさすがに教師たちの目が厳しいのであまり寄り付く生徒はいない。それでも寄る子は寄っているみたいだけれど。
校門を抜けて前庭を歩き、校舎の中に入った私は3階の教室を目指す。この学校は1年生の教室が3階にあって、2年生は2階。3年生は4階だ。何故そうなったのかは知らない。
そうして、ついに自分の教室に辿り着いてしまった。私は憂鬱な気分のまま、その扉に手をかけて教室の中へと入っていく。
教室には既にクラスメイト達の大半が登校してきていて、友達同士でだべっていた。
教室に入って来た私に対し、挨拶をする者は誰もいない。皆横眼でチラリと見て私を確認し、すぐに目を逸らす。
初めに言っておくと、私はこの学校において、親しいと言える人物はいない。つまりなにかというと、ぼっちというやつである。
これでも中学時代は友達と呼べる存在は多数いて、割と普通の学生生活を送っていたんだけど、何故こうなった。
その答えは、この教室内の私の席にある。
「確かに、コレはちょっと……ぷっ」
「笑いごとじゃねぇって……。アタシは一体どうすりゃいいんだよ」
「自分が嫌なら無視でいいっしょー。嫌じゃないなら、お望み通りにしたげればー?」
「……」
私の席は、窓際の最後方にある。その席にギャルが集まっている。
私の机の上には茶髪をポニーテールに結った女子生徒が座り込んでおり、傍にはふんわりとした髪の毛の女子生徒が、窓辺に背を預けながらスマホをいじるという、だらしのない格好をしている。
先程述べた通り、私はぼっちだ。彼女たちは私の登校を待ちわびて集まっているのではなく、私の隣の席に座っている女子生徒目当てで集合している。
その女子生徒の名前は、『七瀬 愛音』さん。天然の茶髪の持ち主で、その髪をストレートヘアにして肩下まで伸ばしている。ギャルらしく、顔には最低限の化粧気がみられるけどそこまで濃くはない。ぷるぷるに見える唇や、少しばかり赤らめて見える頬だけ化粧によるものだろうか。小顔で、無邪気に笑う姿は天使のように可愛い。あるいは小悪魔とでも言うべきだろうか。
顔は今言った通り可愛いんだけど、その顔がはえてる身体の方も可愛い。というか美しい。きちんとボタンがしめられている制服のブレザーは、大きめに成長している胸の膨らみを受けて曲線を作っている。下を見ればスカートの中からスラリと伸びた足を覗かしているんだけど、足が長く細くて眩しい。
抜群のプロポーションと、整った顔を兼ね揃えた美人さんが、私の隣の席の人物である。
「てめぇら、他人事だと思ってテキトーに答えやがって……!」
3人の会話はたった今から聞き始めたから、その内容までは分からない。けど、彼女……あたしの机の上に座り込んでいるポニーテールのギャル、『鬼灯 巡』さんが弄られているというのはなんとなく分かる。
鬼灯さんは強面系のギャルで、言葉遣いが少し荒い。そして体の作りがまるでアスリートのように筋肉質で、身体を鍛えているんだなと少し見ただけで分かる。胸は小さめで、こう言ったらなんだけど本当にスポーツ向きの体形だと思う。
「適当って訳じゃないけど……自分の意志を示して返してあげるのは大切よ。それが肯定でも否定でも、ちゃんと答えてあげなさい」
「そーそー」
七瀬さんの言葉に、窓辺に背を預けてスマホを弄っているふんわり髪の女の子──『東堂 静流』さんがスマホに目を向けたまま、適当に同意した。
彼女は……派手めなギャルだ。ふんわり髪は勿論目立つんだけど、両手の爪にはネイルチップがつけられていて色鮮やかだ。さすがに今はしていないけど、髪で隠れた耳にはピアスの穴が開いているのを私は確認済みである。あと、どんな香水を使っているのか知らないけどとてもいい香りがする。例えるなら、そう。うちのお母さんの匂いだ。その香水の匂いの名前は、恐らく『お母さんの匂い』で間違いない。
とまぁ色々と校則に引っ掛かっていそうな女子生徒だけど、今の所は黙認されているようだ。裏ではどうなのかは知らない。
黙っていれば背が小さくて可愛い女の子なんだけど、派手めな見た目と、塩対応気味で周囲に接しているせいか、私としては強面の鬼灯さんよりも怖く感じる。
「分かるよ。分かってるっての。でもどー答えりゃいいんだよ!アタシの筋肉が好きで、アタシの筋肉を全力で褒めちぎった上で全身を見たいとか、触りたいとか、そのどさくさに紛れて告白したみたいな文章を送って来るような奴に、どう答えりゃいいかさ!」
それはキツイ。
あたしは心の中で呟いた。
でも確かに、鬼灯さんの筋肉は美しいとは思うよ。あたしも好きだ。内面は別として。
「あはは」
「そんな事よりさー」
「そんな事じゃねぇよ」
「アレ、見てみー」
「……」
すかさずツッコミを入れた鬼灯さんをスルーして、東堂さんはスマホに目を向けたまま、あたしの方を顎でさしてきた。
スマホしか見ていないようで、よく見ている。といか気付いているなら、早く鬼灯さんをどかしてほしい。今鬼灯さんが座っている机は、私のなのだから。
「ちっ」
私の方を、鬼灯さんと七瀬さんが見て来る。そして私の顔を見た鬼灯さんが、舌打ちをして来た。
舌打ちですかっ。怖っ。
「おはよう、桜さん。そんな所に立っていないで、こっちに来たらどう?」
私をそう導いたのは、3人のリーダー格である七瀬さんだ。彼女はニコやかに私の方を見ており、その笑みがとても不気味に感じる。
「……おはよう」
とりあえず、挨拶をされたので挨拶を返しつつ、立ち止まって3人組を見学していた状態から足を動かして席へと向かう。
そもそも導いて来るのもおかしな話だ。私の席は君達3人が集まっている場所にあるのだから、朝登校してきたら確実にそちらへと向かわなければならい。言われるまでもない。
「……」
席へと向かう私に、鬼灯さんが鋭い視線を向けて来る。七瀬さんは相変わらず柔らかく笑いかけており、東堂さんは無視してスマホを見続けている。
こんな状態のギャルの中に入るのは、正直ちょっと怖い。でもここで逃げたら。私はHRが始まるまで自分の席に座る事が出来ない事になる。
勇気を振り絞って進んでいって、私は自分の席へと辿り着いた。
でも困った。鬼灯さんが私の机に座っており、尚且つ東堂さんが私の席のイス近くにいる事により、イスを引く事ができない。そして、退いてくれない。相変わらず目も向けてくれない。
「ねぇ、桜さん。巡が面白い告白されたんだけど、ちょっと見てみてよ」
自分の席を前にして困る私に、相変わらずニコやかな七瀬さんがそう促してきた。
「あ?どうしてアタシが桜に見せなきゃいけないんだよ」
すぐにそう反応して私と七瀬さんを不機嫌そうに睨みつけて来たのは、鬼灯さんだ。
自分のプライベートなやり取りを私に見せる事に反感を抱いているらしい。気持ちは分かる。私と彼女はあまり親しい仲ではないので、そんな仲の者にプライベートな物を見せるのはさぞかし抵抗があるだろう。
でも私はただ巻き込まれただけで、別に見たいとは一言も言っていない。だから睨むのは七瀬さんだけにしてほしいものだ。
「いいから。ね、見て」
「いや、でもよぉ」
「いーいーかーら」
「……ったく。ほらよ!」
最初渋った鬼灯さんだけど、簡単に屈し、私に向かって自分のスマホを差し出してきた。
差し出されたので、仕方なく鬼灯さんの顔色を窺いつつその画面に目を移す。と、長々と鬼灯さんの筋肉を褒めちぎるチャットの文章が目に入った。
確かに、コレはちょっとキモい。内容がマニアックすぎるし、褒めつつ鬼灯さんの肉体に触りたいとアピールしているのもキモい。告白と言える部分は最後の好きだという一文のみで、それ以外は異常だ。
その文章の差出人は、『仁藤 善治』と書かれている。
確か別のクラスのの体育会系の暑苦しい男だったかな。鬼灯さんと同じように筋肉のつきが良い男子生徒で、同類とでも思ったのかそれで鬼灯さんにホレたようだ。
「どう思う?」
「……さすがに、ちょっとないかな、と」
私は素直な感想を述べた。それは先程3人組が言っていたのと同じような感想だ。
その瞬間、七瀬さんの口の端が吊り上がった。それまでのニコやかな表情は消え、代わりに邪悪な笑みが浮かび上がる事になる。
でもその邪悪な笑みが浮かび上がったのは一瞬だけだ。すぐに笑みは消えて、代わりにちょっと気まずそうな表情を浮かべて私の方を見て来る。
「人の一生懸命な告白を笑うのは、よくないんじゃないかなぁ……」
そう非難されて、私は呆然とした。