崩れる思い出
愛音を家にあげると、3人でリビングに集合した。
私はただ、愛音と手を繋いでついていくだけ。2人の会話の成り行きを見守る事に徹する。というか、怖くて間に入る事が出来ない。
「一体何を考えているのかしら。七瀬さんに化けて早々、私達の事を人間に話すなんて……私達の生活の根幹を脅かしかねない行為よ。分かってる?」
お母さんが、愛音に鋭い視線を向けながら批判の言葉を述べた。
「相手は選んでいるわ。咲夜なら問題ないと思ったし、実際問題なかった。私達の存在が咲夜によって脅かされる事も無いです」
「……どういう経緯で七瀬さんになったか知らないけど、軽率な行動は慎みなさい。さもないと、危険因子と判断して殺す」
お母さんが、今まで見た事もないくらい凶悪な目つきをし、同時に指を愛音に向ける。すると、向けた指が伸びて一気に愛音の眼前までやって来た。その速度はあまりに一瞬で、私が気づいたのは指先が愛音の眼前で止まった後だった。
愛音の眼前に迫った指先は、鋭く尖って大きな針のようになっている。たぶん人間が刺されたら、ぽっかりと穴が開く。
「冗談はやめてください」
大きな針が目の前にあるというのに、愛音は取り乱す様子もない。その場にとどまり、お母さんを見つめ続けている。
私とも、手を繋いだままだ。
「私達は化け物で、人間みたいに殺し合ったりはしない。どれだけ憎み、蔑み合っても、同種で殺し合いなんて種の存亡に関わる事……意味がないわ」
「……」
お母さんが、愛音に向けた大きな針をおろした。おろされた指が、縮んでいってまた元の人間の指へと戻る。
今の行動で、もう確定した。お母さんは、間違いなく化け物だ。
「バラすなら、自分一人だけバラせばいいじゃない。どうして私の事まで……!」
「だから、咲夜なら大丈夫です。咲夜は化け物の存在を受け入れてくれたし、私の正体を知ってなお、デートをしてくれて、笑ってくれる。友達になれたと私は思っているわ」
「……貴女は人間への理解が足りていない。擬態するのは何回目?」
「初めてです」
「新種だったのね」
「いいえ。旧種です」
「旧種なのに、初めて……?」
「はい」
「……はあぁ」
お母さんは深いため息を吐くと、頭を抱えた。言いたい事は、たくさんある。怒りたいし、でも怒るに怒れない。そんな感じで、むしゃくしゃしているように見える。
2人の会話は、全てを理解するのは難しい。新種とか、旧種とか、その辺りの解説が必要だ。
「……」
沈黙の時間が、流れる。
リビングはお母さんが作ってくれた、夕飯のクリームシチューの匂いで包まれている。
クリームシチューは私の好物で、お母さんが作ってくれる手料理の中で一番好きだ。リクエストされると、まずクリームシチューと答える。誕生日等の特別な日は勿論クリームシチューを要望し、思い入れのある料理だ。
「──お、お母さんは……!」
そこで一旦区切り、愛音の手を強く握る。
それから勇気を絞り出し、続ける。
「化け物、なの……?」
「……そうよ」
肯定の言葉に、私は頭を固い物でぶん殴られるかのような衝撃を受けた。
衝撃を受けて、お母さんとのこれまでの思い出が、自分の中でガラガラと崩れていくのを感じる。
「なんで、どうして……いや、いつから……」
「咲夜がまだ小学生の頃、私は身体が弱くて入院してたでしょう?どうして無事に退院できて、オマケに身体が丈夫になったと思う?」
化け物に、なったから……。
そんな昔からお母さんが化け物だった?私はこれまでの人生で、一体何を母親だと思って生きて来たんだ?
誕生日の日のあの笑顔も、手を繋いで歩いた日も、美味しい料理を作ってくれた事も、卒業式で泣いていた事も、喧嘩して仲直りした事も、他愛ない会話も、全てがお母さんとの思い出ではなく、化け物との思い出だった。
「……返して」
「咲夜?」
私は、それまで握っていた愛音の手を離し、静かに呟いた。
愛音が私の変化を心配して名前を呼ぶけど、私は無視して続ける。
「返して!お母さんを返してよ!」
「それは無理よ。だって本物の貴女のお母さんは、私が食べたから。七瀬さんから、化け物の事は聞いているんでしょう?」
「どうしてそんな事したの……!お母さんは病気と必死に戦って、頑張ってたのに!元気になって、退院したら私と色んな所に行ってくれるって約束したのに!ずっと一緒に、傍にいてくれるって……そう約束したのに!お前のせいで、お母さんは……!」
「私のせいじゃない。貴女のお母さんは、どの道死んでいた」
「そ、そんなの分からない!」
「分かってたわよ」
「そ、そもそも、どの道死んでいたからって食べてお母さんに成りすましていたなんて、そんな人の心を弄ぶみたいな行為許せない!」
「だからなに?私達はいちいち人間の許可を得たりしない。その代わり、食べた人間に完璧に成りすます。誰も化け物の存在には気づかないし、咲夜も気づかなかったでしょう?」
ガラガラと、私の頭の中でお母さんとの思い出が崩れ続けている。やがて大体全てが崩れ落ちた時、後に残るのは本物のお母さんとの思い出だけとなった。
化け物が成り代わる前の、お母さんとの思い出。手を繋いで歩いた。一緒にお風呂に入った。抱きしめると、優しく抱き返して頬にキスをしてくれた。入院する事になり、お見舞いに行くといつも私の頭を優しく撫でてくれた。
まだ私が幼くて、曖昧な記憶ばかりだけど覚えている。
「ふー……ふー……」
怒りが、こみ上げて来る。お母さんを殺したこの化け物を、私は許せない。握った拳が震え、頭の中が沸騰して思考能力が鈍っていくのを感じる。
鈍ったって、別に構いやしない。私はこの化け物を、殺す。お母さんの仇をうつため、そうしなければいけない。
「咲夜」
私は一歩、お母さんに向かって踏み出した。そしてもう一歩出た所で、愛音に腕を掴まれ止められた。
「離して、愛音」
「とても怖い顔をしてる。何をするつもりなの?」
「お母さんを殺す」
「どうしてそんな事……。咲夜は私を受け入れてくれたのに、咲夜のママは拒否するの?」
「お母さんを食べた化け物なんか、お母さんじゃない!」
「他人が食べられるのと、身内が食べられるのとでは意味が全く違う。特に、人間は愛した者が他と入れ替わっていただなんて聞いたら、正気じゃいられないものよ。覚えておきなさい」
冷静に愛音に言い放つお母さんに、腹が立つ。私は更に鼻息を荒くしてお母さんに向かおうとするも、愛音が腕を離してくれない。
ならばと思い切り腕を振って彼女を振り切ろうとしたら、その前に触手が伸びて来て私の四肢に絡まって来た。
「愛音、お願いだから離して!」
触手は、愛音の身体から伸びている。どこから生えているかは分からないけど、スカートの中から6本程伸びていて、私に巻き付いている。
「落ち着いて、咲夜。咲夜はお母さんを殺したりなんかしたらいけない」
「あれは、私のお母さんじゃない!」
「だとしてもダメ」
「ダメじゃない!いいから、離して!」
触手に対し、私は思い切り力をいれて抵抗する。無理やり抜けようとしているので、身体が痛い気がする。だけどそんなの構いやしない。お母さんの仇をとるんだ。私は全力で、拘束に抵抗し続ける。
「落ち着いて、咲夜」
「絶対に、許さない!」
再び、愛音が囁くように言ってくるけど私の心には響かない。
そのまま抵抗を続けると、愛音が私の正面に立ってきた。そして頬に手をあてて来る。
暴れ馬を落ち着かせる行為を真似ているのだろうか。でもそれくらいで私をなだめる事は出来ない。
すると、反対側の頬にも手を当てられて、顔を固定される事になる。固定された上で、愛音の顔面が近づいて来た。四肢は触手で拘束され、顔の位置まで固定されたら私に抵抗する方法はない。迫り来る愛音の顔面を見つめていたら、やがて愛音の唇が私の唇と重なった。
「んん!?んー……!」
最初は、若干の抵抗はした。でも抵抗しようがない。体は動かないし、顔も動かせないのだから。
柔らかな、愛音の唇の感触を自分の唇で感じる。強烈な幸福感が、私の怒りを和らげ冷静さを取り戻させていく。
やがて、私は抵抗していた手足から力を抜くと、ただただ目の前の化け物に身を委ねるだけとなった。




