木苺のジャム
演技や嘘で、レオハート国王陛下を欺こうするのだが、メルの癖や好みまでは欺けないことに、まだ気付かないロゼッタは、徐々に焦りを見せる。
翌朝、目を覚ますと、天蓋の刺繍が視界いっぱいに広がっていた。淡い金糸で縫い取られた花の刺繍。シルクの帳がゆるやかに揺れ、窓辺から差し込む朝の光を柔らかく拡散している。身体を起こすと、沈み込むほど、柔らかなブランケットの感触が名残惜しく背中にまとわりついた。ここが王城の客室であることを、改めて思い出す。
昨夜の出来事が胸の奥でざわめいた。レオハート国王陛下が、ロゼッタを見て涙を流されたこと。妹が“メルの生まれ変わり”なのかと、震える声で問いかけたあの瞬間。陛下が、積もる話もあるからと、お父様とお母様に王城に泊まるようにと言われ、この部屋に通されたのだった。
「あんな嘘をついて。ロゼッタは一体、何を考えているの──」
思わず呟いた声は、静まり返った室内に吸い込まれていく。ほどなくして侍女たちが静かに入室し、手際よく身支度を整えてくれた。銀の水差しから注がれる温かな水、香り高い石鹸、丁寧に髪を梳かれる。彼女たちの動きには無駄がなく、王城という場所の格を感じさせる。支度を終えると、小さな丸卓に朝の紅茶が用意された。白い磁器のティーカップから、立ちのぼるローズティーの甘い香り。焼き色の美しいスコーン。薄く切られたハムときゅうりのサンドイッチ。そして、瓶に入った透き通るような、木苺のジャム。
(…木苺のジャム懐かしい。)
と、私の胸が締めつけられる。私はティースプーンでジャムをすくい、紅茶の中に落とした。赤い雫がゆらりと広がり、淡い薔薇色へと溶けていく。その色合いを見つめながら、紅茶を一口含む。甘酸っぱさが、静かに喉を落ちていった。その時、勢いよく扉が開かれた。
「ねぇ!お姉様!」
ロゼッタが、ノックもせずに朝の光を背に飛び込んでくる。王城の豪奢な調度品にも臆することなく、きらきらと目を輝かせながら部屋を見回していた。磨き上げられた高級な家具、壁にかけられた大きな肖像画、宝石箱に収められた眩い装身具、そして衣装掛けに並ぶ絹のドレスや、シルクのドレスたち。彼女はまるで遠足に来た子供のようだった。
「うわぁ。お姉様、また木苺のジャムを紅茶に入れてますの?私、このジャム嫌いですのよ」
ロゼッタが木苺のジャムの瓶を手に取り、眉間にしわを寄せ舌を出す。私は本を閉じ、静かに問いかけた。
「ロゼッタ。昨日、どうしてあんな嘘を? お父様やお母様が何て言うか……」
「ああ、あれですの?」
ロゼッタがお皿のサンドイッチをひとつ掴み、椅子にも座らず口に運ぶ。
「嘘なら、本当にしてしまえば、いいだけのことですわ」
あまりに軽い言葉だった。私はロゼッタの顔を見て行儀が悪いことと、嘘はいけないと、咎めようとしたその時。
「メル、おはよう」
低く穏やかな、陛下の声が部屋の中に響く。扉のそばに立っていたのは、レオハート国王陛下だった。朝の光を受け、威厳に満ちた姿でありながら、妹を見つめるその目元はどこか、懐かしさに緩んでいた。
「メルも、マリエット嬢もよく眠れたかな?メルは相変わらず、食いしん坊だな」
侍女たちが小さく息を呑む。こんな風に穏やかに笑う陛下は、王太子殿下が生まれて以来だと、囁いていた。ロゼッタが、陛下の腰に抱きついた。
「レオ兄様、おはようございます!それより、メルお腹が、空いたわ」
顔を上げて、陛下を見つめながら、ロゼッタは迷いなくそう言った。私は息を止める。
「そうか、そうか。では焼きたてのパンに、木苺のジャムを用意させよう」
「え?メル、木苺のジャム嫌い」
部屋の空気が、わずかに止まった。全部が全部転生した前の話を、ロゼッタには話をしていない。こんな状況になることを、何となく分かっていたから。
「そうだったか?メルは焼きたてのパンに、木苺のジャムを、塗って食べるのが好きだったような──」
「レオ兄様、それはもう、昔の話ですわ」
にこりと微笑むロゼッタに、陛下が一瞬、遠い目をしたあと、朗らかに笑った。
「そうか。私も歳をとったってことか」
だが、レオハート国王陛下のその笑いの奥に、微かな翳りがあった。肩に手を添え、陛下とロゼッタが、一度部屋を出る。扉が閉まった瞬間、私は握っていた本を強く握りしめた。肩が小刻みに震える。私の瞳から涙が、膝に落ちた。嘘をつけば、罰せられるかもしれない。王族を欺くなど、許されるはずがない。食堂に呼ばれ、私も朝食の席に座るが、お父様もお母様も姿がないことが、余計に不安を募らせる。給仕係が、焼きたてのパンのバスケットを持って焼きたてのパンを、1つお皿に貰うと、マリエットが、手でちぎると、柔らかな白い湯気が立ち、木苺のジャムをたっぷりと塗る。口に入れれば、その甘酸っぱさが、口いっぱいに広がった。私は、無意識に左手を頬へ当てていた。
「……おいしい」
その無意識の仕草に、奥の、席に座るレオハート国王陛下が、私に声をかけてきた。
「君は……確か、メルの姉のマリエット嬢か?」
私は慌てて立ち上がり、ドレスの裾をつまみカーテシーをし、挨拶をした。
「はい、陛下。左様でございます。妹の姉、マリエット・キーズ・フランと申します」
レオハート国王陛下は私の顔をじっと見つめた。その視線は、優しくもあり、どこか探るようでもあった。
何かを確かめるような、眼差しに視線を落とした。その空気感を察したのか、ロゼッタが慌てて口を開く。
「レオ兄様、そういえばロキシーは? シュゴおじ様にも、キールお兄様にも会いたいわ」
「シュゴなら昨夜、護衛騎士としていたが?」
「あれ?そうだったかしら?何十年ぶりに会うと、シュゴおじ様の雰囲気が、違って見えましたの」
「……そうか。ロキシーは、東の棟の騎士団室にいるだろう。キールは魔法通信で呼べばすぐ来る」
そう、ロゼッタに告げた後、陛下はゆっくりと席を立った。その横顔は、さっきまでの柔らかさを失っている。妹、ロゼッタを疑っている眼差しだ。
――私には、分かる。ロゼッタを見つめる、レオ兄様のあの目。思い出に浸る者の目ではない。ロゼッタのこの嘘は、いつまで持つのだろうか。
(そしてもし、崩れたなら――。)
王城の高い天井の下で、私の不安だけが静かに膨らんでいった。
出てきましたよ!レオハートの観察眼(笑)確信を打つまでどうするんだろうなと、いろいろと考えている作者です( *¯ ꒳¯*)思い出の記憶は、消せないなと。




