第五話 少しだけ思い出せました
「私、少しだけ思い出しました……」
「スエレさんっ!?」
身体を蹌踉けてしまいましたが慌ててメノアさんが支えてくれました。
「大丈夫?」
アイリッシュちゃんが心配そうに近づいてきます。他者を思いやれる良い子です。
「あれ? お姉ちゃんどうしたの?」
「母さんっ!」
本に夢中だったお嬢様とフロマージュちゃんが慌てて駆け寄ってきてくれました。
「心配しないで良いですよ。少し疲れたみたいです」
「じゃあ、お姉ちゃん手を出して」
言われた通りに両手を差し出します。上からお嬢様の手が置かれると私の手が暖かい淡い光に包まれます。
「もしかして治癒魔術ですか?」
「うん。師匠は治癒魔術だけは仕えなかったからお姉ちゃんに教えてもらった魔術だよ。
わたしはお姉ちゃんみたいに怪我を治すのは苦手だけど疲れを取る事ができるって師匠が言ってた」
怪我はしていませんが身体が軽く楽になった気がしました。
メノアさんから椅子に座るよう促され座ると膝の上にお嬢様が乗ってきました。
「乗っちゃダメだった?」
「いいえ大丈夫です。お嬢様ありがとうございます。少し楽になれました」
「良かった〜……お姉ちゃん、もしかして師匠の事思い出した?」
次期公爵になるだけあってお嬢様は察しが良く周りが見えているようです。私は無意識の内にお嬢様の頭を撫でていました。お嬢様はそれは気持ち良さそうにしています。
「はい。名前ではなくて愛称? 称号でしょうか? 大教授と聞いて少し思い出したんです」
「そうなんだ。私も師匠の名前知らないんだ。でもお姉ちゃんは知ってると思うよ。多分知ってるのはお姉ちゃんだけ……お兄さんは知ってるかもしれないけど」
お嬢様の頭を撫でていたことに気づいて手を離すと不満そうに背伸びをして赤い髪を近づけてきました。とても良い太陽の香りで落ち着きます。
「お姉ちゃんはどんな記憶を思い出したの?」
ベットに座る双子ちゃんもジッと私のの言葉を待ちます。私は自分だけでなくフロマージュちゃんとアイリッシュちゃんにとっての父親がいなくなった事実にハッとしました。
最悪です。私は自分のことしか考えていませんでした。一番最初に二人のことを考えるべきだったのです。
「母さん?」
「あっ、ごめんね……そうですね。私が思い出したのは……」
私が思い出したのは記憶を失う少し前の記憶です。
元々は煌びやかで厳かであった黄金のような空間は燃え上がる炎と室内であるのに黒い雨が降っていました。
どのような過程があったか私には分かりませんが戦闘に巻き込まれた事だけは理解できました。
「すまない。私のせいでお前を巻き込んだ」
紺色の髪に同色のロングコートの軍服の男性が謝罪していました。
中性的な容姿で線が細いが場数を踏んでいる者特有の安心感と張り付いた雰囲気が同居していました。
大教授と呼ばれる世界最高の魔術師、そして私がの最愛の人……旦那様です。
「お前だけは逃す。公爵とエルシアに伝え……」
言葉の続きの代わりに鮮血が舞いました。旦那様が首を裂かれたような傷を負っていました。
「話したいのか? それとも私を始末したいのか?」
「っ!?」
致命傷を受けても旦那様は動じる事がなく、眼前の敵から目を離しませんでした。
流れる血を時属性の魔術で止めると私の肩に振れました。
「っ……!」
叫ぶ事も出来ずに私はは震えていましたが旦那さんに肩を触れられた事で我に帰ります。
そして最愛の人が命を賭けていても何も出来ない自分に自己嫌悪しまして。
「悪いのは私だ。お前が責任を感じる必要はない。あとはノルカを頼れ」
慰める為ではなく事実を告げる言葉と共に私の服に手鏡を入れました。
足元に星型の魔法陣が描かれて光が強くなりました。そして旦那様の敵である直視してはいけない存在が口を開きまして。
「諦めろ」
感情の無い一言だけで私の心を折るのは充分でした。
それは黒という概念が人の形を成しているに過ぎない存在です。
帝国最高の権力者ディエレーズ元帥、伝説的な存在であり皇帝や公爵ですら会うことも叶わない神に等しい絶対的な存在です。
何故、眼前にディエレーズが君臨しているか私には理解出来ません。
「全てを持つが故に全てを奪うか……ディエレーズ、無粋だと思わないのか?」
「さあな。お前が命令通りにその娘を始末していれば事態は既に収まっていた」
児戯のような殺意を向けられて、たったそれだけで私は死を自覚しました。
何も見えないです。何も聴こえないです。光が見えないです。でも見覚えのある闇がありました。
忘れてはいけないのは光が良くて闇が駄目なわけでは無いということです。私は闇に抱かれる感覚を覚えました。
「目を開けろ。大丈夫だ。お前に──を託す。恐らく私は暫く……」
「────」
何を言ったか最後まで聴こえなかったです。
転移の光が私を転移させる直前、闇が晴れると全方位から発生した黒い氷が旦那様を……取り込むように呑み込んだのが見えました。
「それが私の覚えていることです」
「そっか。でも良かった。それなら師匠は絶対に生きてるよ」
ニコッとお嬢様が笑います。強がりでもなんでもなく心からの信頼で出た言葉でした。
「師匠はお姉ちゃんに『暫くは動けなくなる』って言ってたんだと思うよ」
「動けなくなるですか?」
「封印されたってこと。黒い氷はディエレーズ元帥の能力の筈だもの。あとね母さんが責任を感じる必要はないわ。アレが巻き込んだのが悪い」
フロマージュちゃんがスラスラと告げました。死んではいないと私を安心させるための言葉です。
フロマージュちゃんに気を遣われている事に恥じて私はシャンとしようと思いました。
「私はアレを心配はしないけど母さんを巻き込んだ事に文句しかないわ。
母さんは大好きだけどアレは嫌いなのよ。アイリッシュも同じ気持ちよ」
「うん」
意外でした。フロマージュちゃんとアイリッシュちゃんは実のお父さんのことが心配ではないと言っています。
でも私に心配をかけないための強がりかもしれませんから二人の頭を優しく撫でました。
「それでね。黒い氷を壊すのはお兄さんでも無理だと思うの。でもお姉ちゃんなら出来る? と思うよ」
疑問系であったが可能性が高いようです。
「話は聞かせてもらったでござるっ!!ディエレーズの野郎をぶち殺しゃあオールハッピーってことな」
「あっ、ノルカさんだ」
「ちっ! 馬鹿なの? 貴女じゃ無理よ」
ノルカさんが待ってましたと勢いよく扉を開けて入場してきました。突然の事に驚いたフロマージュちゃんが舌打ちする。
「いやいや、拙者と兄者とリロ君が一緒に戦えばワンチャンあるでござる」
「…………無いわよ。元帥だけでなくイーギア大将も敵なのよ。そもそも前提条件が逆じゃない。助けて倒すじゃなくて倒して助けるなのよ」
十数年の年齢差があるのに年下のフロマージュちゃんの方が冷静で現実を見ているみたいです。
「マージュちゃん、理想が無ければ現実にならないんだよ」
「理想の為に現実を殺す気? 私なら理想を殺しても現実に生きるわよ」
「ストップ」
言い争いになりそうになる二人を止めたのはアイリッシュちゃんでした。
「二人の意見は分かったから。じゃあ現実を理想に近付ける事を考えよう。まあ、公爵様やエルシアお嬢様なら良い考えを出してくれるよ。
僕も君達二人と同じで母様の為にアレを助けたいと思うから」
納得して矛を納めるノルカさんとフロマージュちゃんです。
「やっぱり血を感じます。頭の良い感じがお二人の子供です」
「そうですね……私はあまり頭が冴えているとは思いませんけど」
頭が良く自分の子供ともは思えません。
背後にサキさんがいました。サキさんがいるということは……
「失礼するわね。朗報があるわ。もしかしたら助けられるかもしれない」
堂々とした態度でエルシア様が部屋に入ってきました。ノルカさんとお嬢様以外は襟を正して向き直ります。
「舞踏会よ」
「武道会? 即ち、敵を全員殺せば良いってことでござるか。任せておくがよろしい」
「馬鹿なの? 舞踏会よ。闘うのではなくて踊るのよ」
即座に訂正するフロマージュちゃんです。でもエルシア様の表情がそれも違うと言っているみたいです。
「ある意味では闘いではあるわね。場所は帝都だから面白くなってきたわ」
「成る程、帝都に兄者が居るのなら救い出せる可能性があるでござる」
「だから練習が必要ね。メノア準備なさい」
笑うエルシア様、ジト目の双子ちゃん、無駄に興奮するノルカさん、目を輝かせるメノアさん、そして何も分からないお嬢様と私でした。
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