第十一話 恐らく私にとっての敵です
「プリンセスメモリーですか?」
困惑して思わず聞き返してしまいました。
「覚えていないということか。それならそれでも良い」
「全然良くないわよっ! そのプリンセスメモリーが原因で母さんは危険な目にあったんでしょ!」
フロマージュちゃんがテーブルの上に半身を乗り出しています。お行儀が良くないので優しく引き戻しました。
「あれがどういう物かお前達は大教授から聞いておるのか?」
「アカシックレコードみたいなもの、というよりもプリンセスメモリーがアカシックレコードそのもの」
呟くようにアイリッシュちゃんが答えました。
アカシックレコード? 過去や未来、思想や感情を含めた全ての膨大な情報を記録している概念でしたっけ?
「世界の始まりから終わりが記録されていると呼ばれているけど実際のところは分からない。多分、ディエレーズ元帥ですらも」
「……そうか。儂の見解とは異なるが貴様の見解は理解した。
アリカ辺境伯家が公爵家と同等の権限を有しているのは、資格なきものに渡る事を阻止する役割を持たされていたからじゃ。
ヴァルナムシア帝国の始まりと共に定められた盟約じゃが良くも悪くもプリンセスメモリーが他の者の手に渡ることはなかった」
その続きを私は予感がありました。渡る事が無かったと過去形です。
「もしかして旦那様ですか?」
「そうじゃ。大教授がプリンセスメモリーを手にしたと儂は考えている」
否定できる要素はありません。どういう意図があったかは不明ですが旦那様が手にしたと考えるのが自然です。それに旦那様は私の記憶について言っていたような気がします。
「大教授はプリンセスメモリーを手にした事で元帥から狙われた。巻き込まれたお前は記憶を失う事になった。此処までの流れは分かるな?」
首を縦に振って肯定します。ソルカさんの話は推測に過ぎませんが真に迫っているように思えます。
双子ちゃんとノルカさんも聴き入っているのもそれだけ的を得ているという事なのでしょう。
「師匠はお姉ちゃんを巻き込まない為に記憶を消したんだよね?」
「あん? そこは知らん。儂からすれば彼奴が何を考えているかなど分かるわけがない……だがお前がそう思えるのならそれが答えだろうよ」
お嬢様が私にニコリと笑います。
「……わたしはアレの事が嫌いだけど、母さんに悪い事をするとは思えないわ。だから姉さんが思っている事で間違いないと思うわ」
フロマージュちゃんが少しだけ目を背けています。旦那様……フロマージュちゃんとアイリッシュちゃんはお父さんの事を嫌っていますが心配してるようにも思えます。
「ありがとう」
頭を撫でると戸惑いつつも受け入れてくれます。アイリッシュちゃんとお嬢様が見つめてきたので頭を撫でてあげました。
「せ、拙者も」
「姉者は落ち着いてくだされ……来たみたいじゃな」
店員さんが大きな皿に乗った黒いケーキを持ってきました。
「お嬢様方から来店される少し前にタイミングよくケーキが焼けてましたので、チョコレートケーキにしました」
「わぁ、すごいっ」
チョコレートでコーティングされたケーキです。また、生クリームがデコレーションされていて見た目も華があります。
「お切りしましょうか? いえ、差し出がましかったですね。こちらをお使いください」
店員さんは私にナイフを渡すと深く一礼して奥に戻っていきました。
本来は店員さんが切るつもりだったみたいですが、お嬢様が目を輝かせて私を見ていたのです。
記憶を無くす前はお嬢様達に切り分けていたのかなと思いました。
「では切り分けますね」
「うん。お願いします」
表面がコーティングしてありましたがナイフの切れ味がいいのか上手に切り分けることができました。
六等分に切り分けて小皿に取ります。
(六等分……あっ!)
席に座っているのは私を含めて六人ですが、ヴェンフェリオン子爵を数に入れると七人になります。
「あー小娘、儂は甘いものを好かん。儂の分はそこの小僧に喰わせてやれ」
「そうだった。ソルカは甘いものが駄目でござった」
ノルカさんが言ってる事から本当の事のようです。
「ヴェンフェリオン子爵様、もし良ければケーキを……」
「ああ、ありがとう。君は本当に優しいな」
初めて会った時の印象が強いですが、今日の彼は非常に落ち着いて紳士的な人物です。
「絆されんでいいぞ。其奴は第四皇子の命令でお前を捕獲するつもりじゃった。まあ、第四皇子の思惑はあれど元帥に言いように利用されたに過ぎんがな」
「返す言葉もない。あの時は昂っていた。言い訳にもならないが……」
「母さん」
気まずさもあってフロマージュちゃんが呼んでいるという体で私は自分の席に戻ります。許すことは簡単でも今の彼の為にならないと思い踏みとどまる事にしました。
「ケーキ美味しいね」
「うん。ビターな感じがいい」
「私は甘い方がいいわ」
ケーキは絶品でお嬢様達からも好評でした。少し苦味がありますが私好みです。
意外と言ったら失礼かもしれませんがお嬢様はビター味が好きでした。
ケーキを食べ終わるとフロマージュちゃんがソルカさんを見ました。
「ねえ、プリンセスメモリーはディエレーズ元帥の持ち物って事でいいの?」
「そうではないな。師匠から聞いた眉唾物の話ではあるんじゃがプリンセスメモリーの所有者はこの世界を産み出した創世神らしいぞ。
一説にはディエレーズの母親じゃな。まあ、それも眉唾じゃ。儂は話半分に聞いてたぞ」
「うーん。拙者は本当の話だと思うよ。プリンセスメモリーの話じゃなくて元帥が創世神の子供って話」
冗談混じりでなく真面目な口調です。憶測で言うのではなく確信を持っているように思えました。
内容は真剣ですが和やかな会話で心が落ち着いています。
「答え合わせがしたければ僕達が答えるよ」
「!?」
後ろの席にお嬢様より少し年上の灰色の髪の男の子がいました。
見た目は子供なのに精巧に作られた芸術品のような無機質感を感じてしまいます。
隣には保護者と思われる若い黒髪の背の高い女性がこちらに笑いかけています。
女性の年の功は二十代半ばくらいに見えます。気品があり柔和で静かそうな雰囲気なのに私の心は激しくざわつきます。いいえ表現として正しくありませんね。
私は心の底からその女性が怖かったのです。
「こんにちは、ノルカ以外ははじめましてかしら?
私はオルダーカシャ、こっちの子がランファーナよ。貴方達が言うところの大教授の知り合いね。
そして、ディエレーズ元帥の娘と息子よ。世間的には……そうね。魔人と呼ばれているわ」
自己紹介する女性……オルダーカシャさんは美しく色香のある所作をします。
容姿だけでなく声が肢体が雰囲気が全てが常識外れの美しさなのです。
仮に彼女が命を投げ出せと命じれば老若男女問わずに躊躇なく命を投げ出す事を厭わないでしょう。それほどの資質を通り越した呪いのような妖艶さなのです。
女性が立ち上がるだけで圧倒されて思わず息を呑んでしまいます。私だけでなくお嬢様もフロマージュちゃんもヴェンフェリオン子爵様も同じでした。
ノルカさんは私達を守るように静かに前に立っていました。ソルカさんとアイリッシュちゃんは動揺しながらも何かの考え事をしているみたいです。
「緊張しなくていいわよ。今日は争う気持ちが湧かないもの」
女性から敵意はなく悪意も感じません。でも私は確信しました。
「先に言っておくと私達はあの子の敵ではないわよ」
それでもこの人は私にとっての敵であることに違いありません。
予感ではなく確信がありました。
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