95 グステルの悪巧み、は子供の教育に悪かった
ロイヒリンを見送ったヴィムは、青ざめた顔で言った。
「……死ぬかと思いました……」
「あら」
商人ロイヒリンが去ったあと。すぐには緊張が解けぬのか、よろよろと自分に支えを求めるように近寄ってくる青年に。ことを起こしたほうのグステルはといえば、平気な顔で笑って彼を迎える。
彼女は先ほどまでロイヒリンにほろほろ涙をこぼして見せていたが……すでにその涙も乾いている。
「お疲れ様ですヴィムさん。首尾良く行きましたね。ヴィムさんが力を貸してくれたおかげですよ」
ありがとうとグステルがヴィムの頭に手を伸ばすと、ヴィムはやっとほっとしたような顔をした。
グステルの言葉通り、彼女は無事ロイヒリンからの協力を取り付けた。
──グステル劇場の設定はこうだ。
彼女は公爵の愛人エラの娘エーファ。
(架空の)母エラは現在病で公爵の助けを必要としているが、自分たちは叔母のグリゼルダに疎まれていて、ずいぶん前から毎月の手当ても届かなくなり、私信も父に届いていないらしい。
(架空の)母は、もう先が長くはなさそうで、一刻も早く父にそれを知らせたい。
……まあ、大体の設定はこのような感じだ。
商人ロイヒリンが、これまで公爵の私事に手を貸してきたのは、もちろん商売のためだろう。
そのおかげで彼は領都の賑やかな通りに店を構えるまでになった。
きっと今回も、多少は“気の毒な母娘”に同情する気持ちもあるかもしれないが……やはり一番は、現れた公爵の庶子エーファ(グステル)の存在が、自身の商機につながるかもしれないという予感が彼を動かした。
グステルはロイヒリンが出ていった扉を見つめ、ほんの少し口の端を持ち上げる。
「……叔母の名を出せばロイヒリンは乗ってくると思いましたが、やはりその通りでしたね」
ヴィムにロイヒリン商店の店員から聞き出してもらったところ、実は最近彼の店は公爵家との商売がうまくいっていない。
公爵邸からの商品の購入品もかなり減らされて、以前は公爵が使う嗜好品類や邸で使う雑貨の全般を担っていたが、現在は使用人たちが使うものの一部のみを取引している。
商売人が公爵家御用達を謳うにしても、取引しているものが公爵家一家の使うものなのか、使用人たちのための品物なのかでは、大きく意味が変わってくる。
これはロイヒリンは大いに面白くない状況だろう。
調べてみると、現在彼の店に代わり公爵家と多くを取引している業者は別の商人で、どうやらそちらは叔母グリゼルダが懇意にしている者のようだった。
なるほどとグステル。
つまり公爵家からグステルの母が出て行ってからは、公爵邸ではグリゼルダが幅を利かせているのだ。
叔母は結婚しておらず、母が出て行く前は領地の別の屋敷に住んでいたが、母が出て行った後はずっと公爵邸か、王都にある公爵の街屋敷に住んでいるらしい。
ロイヒリンの件を考えても、彼女が公爵邸で女主人として振る舞っていることは容易に想像がつくし、となると……当然ロイヒリンは、彼女に対していい感情を持っていないだろうとグステルは踏んだ。
これまで公爵の私事を密かに支えてきたのに、あっさり切り捨てられれば面白いはずがない。
そして彼は、エーファ(グステル)が父に『いずれは公爵家に娘として迎える』と約束をしてもらっているとある証を見せると。そこに利を見出したのだろう彼は、すぐに協力を快諾した。
と、ヴィムが不思議そうに首を傾げる。
「……でも、あの人本当にあっさり引き受けましたね? これはかなり危ない橋に思えるのですが……それに、さっき何かあの人に見せていらしたようですけど……なんだったんですか?」
「ああ、これですか?」
グステルはロイヒリンに見せたものをポケットから再度取り出してヴィムに渡す。
数枚ある紙は折りたたまれていて、なんだか少し色が褪せている。古い便箋のようだった。
「?」
ヴィムは素直にそれを開いて──すぐにうっと顔を赤らめる。
便箋は熱烈な愛の言葉に満たされている。
「え⁉︎ な、え? こ、これいったい誰の恋文ですか⁉︎」
オロオログステルを見る青年に、彼女はけろりと言う。
「父です」
「こ、公爵閣下の⁉︎」
言うとヴィムはギョッとして手紙を凝視したが、グステルはけろりけろりと告白する。
「昔家出した時、父の部屋から愛人宛の手紙の書き損じを拝借しておいたんです。え? 理由? 父の弱みを握っておきたくて」
「……、……、……当時八歳とか九歳とか言ってませんでしたっけ…………?」
ヴィムは唖然としているが、グステルはまあまあと流して床を指さす。
「でも家出が成功したので、もういらないかなぁと思って。不要になった他の細々したものと一緒に、この家の床板の下に埋めといたんですよね。持っていて足がつくといけないと思って。安全のためには燃やして処分しておくことも考えたんですが……なんとなく、子供の火遊びは危険かなぁと思って」
「…………」
黙り込んだヴィムは、どの口が言うんだろう……と思った。ある意味彼女は火よりも危険なものを持ち出している。
「でもよかった、取っておいて。今回はこれを回収するためにもこの家を舞台に選んだんです。あ、あとこれも見せましたよ、公爵家の印入りのペンダント」
これはグステルが生まれた時に作られたもので、公爵家の子供に贈られるものです、これも一緒に隠しておいたんですよー、これがあれば、エーファは庶子といえど公爵に認められた子供ということになるでしょう? と。
楽しそうにペンダントをぷらぷらさせているグステルに、ヴィムは呆れながらも、「……いえ、それより……」と、怪訝そうに首を捻りつつ問う。
「……あの……この手紙の宛名は……?」
ヴィムが握る公爵の手紙には、しっかり『愛するエラへ』と書いてある。
しかしその名前は、グステルが今回適当につけた名前で、当時の手紙に公爵がそれを書いているのはおかしい。
するとグステルはペンダントを懐に収めながら「ああ言ってませんでしたっけ?」と彼を見た。
「私、父の筆跡は完全にマスターしてますから」
名前の部分だけ濡らしてインクを消し、そのあと丁寧に乾かして名前だけ書き直したとグステル。
ヴィムはいつの間にか行われていた手の込んだ偽装に唖然とする。
「そもそも経年劣化でかなり古びていたので、少しくらい濡らして文字を滲ませても、ね? 気が付かれなかったでしょう?」
にっこり笑う娘を見て、ヴィムは再び言葉を失くし──そして今度は呆れとはまた違う感情が若者の中に湧き上がった。
「…………すごい……すごい周到さですねステラさん! 周到すぎて、僕ちょっと怖いけど、でも……なんかすごいと思います!」
青年は目をキラキラさせてグステルを見ている。
そんな純心な反応を見せる彼に……グステルはあらまあとつぶやき、ちょっと引く。
「ヴィムさんそんな……そんなふうに私の小賢しい偽装工作を素直に受け止められると……私、なんだかちょっとあなたが心配です。あの、ヴィムさんは真似しないでくださいね? 何かあったらまず私に相談してくださいね……?」
グステルはちょっと不安になってきた。
(え……どうしよう……もしかして子供の教育に悪いところを見せちゃった……?)
このちょっと純粋な青年が、もし自分に影響されて下手に真似でもしたら、彼は速攻で足がつきそうな気がして怖い。
ロイヒリンの件が思惑通りに進んでほっとしていたが……グステルはヴィムに対して大いに責任を感じるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
最近ヴィムとのお話ばかりですね笑