94 グステルの悪巧み ①
男は領都で商店を営むロイヒリン。
年齢は五十代半ばで、四角張った顔にふくふくとした体型の男。暗い色の服を着て、顔を隠すように帽子までかぶっているが……これはきっと、このいわくつきの場所に呼び出されたせいだろう。
先日の夕暮れ時、グステルがヴィムに偵察に行ってもらった、広場にある立派な店構えのロイヒリン商店が、彼の店である。
そんな彼に、本日も母から借りた褐色のヴィッグをかぶったグステルは、懇願するような眼差しで語りかける。
「ロイヒリン様、覚えておいででしょうか……九年ほど前、公爵閣下に頼まれて、エラという女性をお助けくださいましたよね?」
「九年前……」
そう切り出されて、ロイヒリンは警戒感を強めた。
彼もこの家に呼び出された時点で、その件と関係があるとは思っていたようだが。現れた娘が、意外に若かったことで彼は不審に思ったらしい。
なぜそのことを知っているのだと探るような目つきの男に、グステルは、自分の胸に手を当てておずおずと申し出る。
「私は、九年前のあの時、ロイヒリン様にご助力いただいた公爵の愛人、エラの娘でございます」
その告白に、ロイヒリンは目をまるくする。
「娘……? で、ではもしかして君は……公爵閣下の……」
「はい、娘でございます」
ドーンと騙った(?)グステルに。彼女らの背後に控えるヴィムの顔色は、もはや紙のように白い。
(……ステラさん……この作戦……本当に、大丈夫、なんですか⁉︎)
ヴィムはその大胆さに怯えたが、しかしもう名乗ってしまったからには引き返せない。
青年はグステルの後ろでハラハラしているより他なかった……。
グステルは、ロイヒリンが思い出してくれてよかった……! と、安堵の表情で。いや──もちろんこの顔は演技だが──その表情を見て、ロイヒリンは何度も何度もうなずいた。
「そう、確かその名前だ。閣下のお手伝いをして、この家にお妾宛のお手当てを持ち込んだ、そう、そうだった」
──つまり。
何を隠そう彼ロイヒリンは、その昔グステルがこの領地から飛び出した折、『父が愛人“エラ”へ金を送る』という設定で騙し、家出資金の輸送に利用した商人その人である。
その時に資金の隠し場所として使ったのが、今まさに彼女たちがいるこのあばら家で、架空の愛人“エラ”という名前は、グステルが適当につけた。
当時、グステルは父の愛人を把握し、誰がその愛人たちへの使いをしているか、父がどういう方法で密命を出しているかも知っていた。
その使いのうちの一人が、この、公爵家に出入りしていた商人ロイヒリン。
彼は、当時はまだ公爵家に出入りするようになって日が浅く、他の商人たちを出し抜きたくて躍起だった。
そこを、グステルにうまく利用された形である。
当然ロイヒリンはあくまでも公爵の密命に従ったつもりであり、まさか公爵の九つ程度だった娘に騙されたなんてことは思いもしていないだろう。
けれども彼には申し訳ないが、グステルにはこの男に対する罪悪感はあまりない。
もし、彼が真っ当な商人ならば騙したことには抵抗があったかもしれないが。
ロイヒリンは父に命じられ、しょっちゅう愛人用の贈り物の手配をしたり、密会の手引きをしたりしていた。そのせいで彼女は幼い頃から(……といっても中身は五十過ぎだが……)父と母の喧嘩によく巻き込まれた。
一番ろくでもないのは父だが、欲得ずくで父に協力し、父の愛人ライフを快適にして、実家を刺々しい雰囲気にする手伝いをしたこの男を、グステルは少しくらい恨んでもいいはずだ。
──そしてつまり。
グステルは、こたびもまた彼を利用するつもりなのである。
壁際で震えるヴィムを放っておいて。グステルはロイヒリンに『どうぞよく見てください』と自分を示す。
「ロイヒリン様は私の腹違いの兄フリードとも面識があると聞きました。私は兄とは会ったことはありませんが……兄と私は顔立ちがよく似ていると聞いています」
グステルが本当の素性を隠してこの男を再び動かすためには、自分を完全に『公爵と愛人の子供』と信じ込ませる必要があった。
もし、自分を公爵の本当の娘“グステル・メントライン”だと名乗れば、きっとこの損得勘定に敏感そうな男を動かすことはできただろう、が……。
それではこの男にグステルの素性が割れて危険。それは避けたかった。
そこで考えたのが、この『愛人の娘』作戦だ。
先日の再会時、グステルの母は彼女のことを『フリードにもそっくり』と言っていて、それが今回偽の証にも使えると思った。
同じ男を父に持つのなら、母が違えど顔つきは似ているはず。
そしてこの領地に来て年月がそう深くないこの男なら、若い頃は彼女に似ていたという母の、二十年近く前の若かりし頃の顔も、きっと知らない。
グステルに促されたロイヒリンは、彼女の顔をまじまじと見つめる。
「確かに……フリード様とよく似ておいでですね」
この領地の嫡男──グステルに似ていて当然の実兄、フリード・アルバン・メントラインは。きつい顔立ちの青年で、グステルには目鼻立ちが生き写し。ダークブラウンの彼女の瞳も、色味は多少違えど、家族全員同系色。
ただ、母のチェリーレッドの髪を受け継いだグステルとは違い、兄の髪は少し赤黒い。だが、父の髪色は褐色で、今回グステルはこれを母から借りた褐色のウィッグでカバーしている。
ここまですれば、ロイヒリンの目には、グステルがかなり確かな公爵の血筋の者と映るだろう。……まあ、実の親だから当然だが。
じろじろと検分するような眼差しのロイヒリンに、グステルはさらに“架空の愛人たる母”から聞いたという話を並べて聞かせる。
この家を使って父が母(架空)に送金をしてくれたこと、その額と日時。
それらを記したものを「どうぞお確かめください」と渡すと、ロイヒリンは大体のことを記憶していたらしく、なるほどと大きくうなずいた。
「ええ、確かに。記憶にございます。この閣下の秘密のご要望のことは、閣下と私、そしてお相手の女性しか知らぬこと。……なるほど……どうやらお嬢さんは、確かに閣下のご息女であらせられるようだ」
そもそもこの受け渡し場所のことも、命じた公爵と自分しか知らない──と、彼は思っている。
この家は、当時グステルが父の名前で借りていたが、その後は市中でも辺鄙なところにあるとあって、ほとんど借り手がつかず放置されていたようだ。
今日はエドガーに頼み込み、彼の知人を介して借り受けてある。人を挟んだのは、用心のためだった。
それで……とロイヒリン。
「お嬢さんは、私にいったいなんの御用ですかな……?」
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