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93 グステル、走り去る

 


「ど、どうしよう……」


 使者が去ると、ヴィムは真っ青になった。

 あの男がヘルムートを嘲笑ったことは本当に腹が立つが、このままではヘルムートに命じられた任務を果たせない。困ったヴィムは、助けを求めるようにグステルを振り返る。と、娘は思案顔のまま。

 顎に指をかけて沈黙する彼女に、ヴィムは使者がいた時には訊けなかった疑問をぶつける。


「ス、ステラさん! どうしてあの人に手紙がないなんて言ったんですか⁉︎ ヘルムート様から──預かっていたでしょう⁉︎」


 ──そう、実はグステルは母の手紙を所持している。

 その手紙はラーラのもとへ戻るヘルムートが持っていても無意味なもの。何かの時には交渉材料になるようにと、ヘルムートはそれをグステルに託して行った。

 ヴィムの泣きの指摘に、グステルは「ああ」と、やっと彼のほうを見て平然と答える。


「使者の高慢な態度が気に入らなくて?」

「えっ⁉︎」


 ヴィムがギョッと目をまるくして、途端グステルは苦笑。


「……と、いうのはまあ、半分冗談ですが」

「は、半分……?」

「ちょっと、あの方の強気な態度が気になりまして…………」


 言ってグステルは再び沈黙し何かを考えている。

 彼女は使者の横柄さを見て、ある危機感を覚えていた。


(これはちょっと……もしかしたらヘルムート様を待っている場合ではないかも……)


 少し気持ちがざわめいて。と、黙り込んで考える彼女に、ヴィムが気落ちしたように言う。


「でも……侮られるのは仕方ないんじゃありませんか? あの方の言った通り、ヘルムート様の代理とはいえ僕は使用人風情ですし……」


 使者に言われたことを気にしているのか、うまく交渉できなかった自分を情けなく思っているのか。ヴィムはしょんぼりと肩を落としている。

 そんな青年に気がついて、「あら」とグステル。


「なんですか風情って。ヴィムさん、あなたはヘルムート様の代理として使者に対応したんですから、あなたを侮るのは大変失礼な行いなんですよ? ちゃんとした使者なら、侯爵家嫡男の代理人を、あんなふうに貶したりしません。ましてや、ヘルムート様を嘲笑うなんて……というか……侯爵家だろうが子爵家だろうが、市民だろうが。初対面の相手に対する態度がなってない。いったいどういう教育を受けているやら……」


 グステルは男が出て行った玄関を軽く睨みながら、ため息をつき、若者の頭に手を伸ばし、慰める。


「大丈夫、ああいうのは、私みたいな太々しいおばちゃんがなんとかしますから」

「ステラさん……」


 グステルによしよしと頭をなでられて。ちょっと励まされたのか、ヴィムは落ち着きを取り戻し、やっと少し笑顔を見せた。

 どうやら素直すぎるヴィムはもう、若いはずのグステルの『おばちゃん』発言には完全に違和感を失っている。

 ラーラから彼女を見張れと言われたこともうっかり忘れたのか。彼女を見る青年の目は、すっかり頼もしい姉を見るような眼差しであった。


 ──が、青年は現状を思い出してさっと顔色を変えた。


「い、いえっ、あの、そ、それより……い、いったいこれからどうするんですか⁉︎ これでは公爵閣下に面会ができないじゃないですか!」

「あはははは」

「⁉︎」


 訊ねると、グステルはなぜか空虚に笑う。その不穏な響きに、ヴィムは……なんだかとても嫌な予感がした。


「え……ス、ステラさん……?」


 どうしたんですかとヴィムが恐れるような顔で訊ねると、グステルはにやりと彼を見る。

 微笑む焦げ茶の瞳には愉悦が浮かび、同時に強烈な闘志が満ちていた。そのみなぎるもの強さにヴィムは困惑を深め、咄嗟に察した。


 ──これは……明らかに何かよからぬことを考えている顔である。ヒェッとヴィム。


「ス……ステラさん……? もしかして……本当は結構怒ってます……?」

「あらーいえいえ、ふふふ。だって久々に思い切り喧嘩を売られちゃったんですもの、怒るというより、なんだか楽しくって。ふふ、目障りだとおっしゃるなら仕方ありませんよねぇ……」


 グステルは、しおらしく消沈したふうに言って──直後にかっと笑う。


「あの方の目につかぬところでコソコソしてやろーっと♪」

「⁉︎」


 グステルはそう言うと、足取り軽くるんるんしながら宿屋の外へ出て行こうとする。

 その後ろ姿に、ヴィムが慌てた。


「ちょ……ステラさん⁉︎ ど、どこにいくんですか⁉︎」

「ほほほほほ、心配しないでねヴィムさん。ぜぇったい、ただ罵られたままじゃいませんからね! おほほほほほ」




 ……そしてその数時間後。

 青年は、ぁあああああ……⁉︎ と、その光景にうろたえた。

 ここは領都市中のあるあばら家の中。

 もう何年も誰も住んでいないらしい家の中で、その少し薄汚れた壁にヴィムば張り付いて悲壮な顔。そんな青年の目の前で……グステルが──ある中年男に涙目ですがりついている……。


「ロイヒリン様……ど、どうかこの哀れな娘をお助けください……っ」


 う、う……と、嗚咽混じりに言葉をつかえさせ、ホロホロと頬に涙を滑り落とし、さめざめと涙する姿は何も知らない者から見ると手弱女然として哀れみを誘う。

 ──が。

 内情を知るヴィムからすると、あまりにも大袈裟。見ていてハラハラし過ぎて胃がいたい。

 グステルにしくしくとすがられた商人風の男も、とても困惑しているらしく……ヴィムは……ちょっと……いやとても。気が──遠くなった。








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[一言] グステル……恐ろしい子
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