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閑話 令嬢と王子様

 

 冷たい眼差しの令嬢は怒りに震える声で叫んだ。


「……いいこと? ここで生きていたいのなら、私の命令をよく聞きなさい!」


 厳しく、キツく。突きつけるように命じたが──応じる声はない。

 そればかりか、無言で自分をじろりと見据えてくる相手の悠然とした態度に、栗色の髪の令嬢は苛立った。


「っあなた……この私に逆らってここで生きていけると思っているの⁉︎ なんって憎たらしい! この屋敷では私が法なのよ! いうことが聞けないなら仕置きをしてやるわ!」


 怒鳴った令嬢は、憤慨のままに大きく手を振りかぶって。その猛然とした勢いのまま、無礼者めがけて襲いかかった。


「っこうしてやる!」


 イザベルは──襲った。

 自分の寝台にふてぶてしく寝そべる白い獣の尻あたりをがしりと掴み、魅惑的な尾の付け根の少し上のフカフカした白い毛並みの中に、自分の顔を、めいっぱい、擦り付けた。

 ぐりぐりぐり──と。

 唐突に尻を。それから今度は腹の毛のあたりをと、仕置きと称して堪能される三白眼の猫は、もう慣れっこなのか微動だにしない。代わりに口からは、ふー……とまるで、人が呆れて出すような息が漏れ出た。

 だが、イザベルの仕置きは続く。


「ユキ! この子ったら! 何回言ったらわかるの⁉︎ 気持ちいい! っ私のぬいぐるみを噛みちぎっちゃダメじゃない! もう! 何が気に入らないのよ!」


 ユキの尻に顔を埋めたまま、イザベルはギャンギャン喚いているが……。

 そんな彼女と、彼女の奇行にも知らぬ顔を決め込むユキの周りには……イザベルがこれまでグステルに注文してコレクションしていたぬいぐるみのうちの一つが無惨な有様で転がっている。

 かわいそうに……黒猫のぬいぐるみは首から千切られ、中綿も出て、きていた黄色のベストも破れてしまっている。

 イザベルは、悲しみをユキの毛並みに押し付けながら嘆いた。


「意地悪! ユキの意地悪! こんなのステラに見られたらどうするのよ!」


 手製のものをこんなに無惨にしてしまっては、きっとあの娘は悲しむに違いない。イザベルはユキに擦り付けていた顔をあげて苦悩の表情(※毛だらけ)。


「なんでなのよぅ……これで何体目? ねえやっぱりストレスがあるの? ステラがいないから……? それとも食事が気に入らない? 遊び足りない? でも毎日いっぱい遊んであげてるでしょ……⁉︎」


 イザベルは今とても困り果てていた。

 グステルからユキを預かってから。ユキはこうしてイザベルの屋敷で度々いたずらをするようになった。

 こんな問題行動をしているとは、グステルからも聞いたことがない。心配になったイザベルは彼を獣医にも見せてみたが……少し肥満気味とは言われたものの、身体には特に異変はないらしい。

 おそらく突然の環境の変化のせいだろうと、言われたが……。

 イザベルだって、ユキのために頑張っているつもりなのだ。

 食や居場所にも気を遣っているし、猫じゃらしの扱いもしっかりマスターした。世話だって使用人に任せず自分で完璧にこなしている。

 それに毎日手習いの合間には、必ず一時間はユキと遊んでいるのに、ユキは毎日ぬいぐるみを襲う。

 グステルが事前に『ユキの好きなおもちゃです』と作って預けてくれたネズミのおもちゃや魚型の蹴りぐるみには見向きもしない。

 まるで嫌がらせのように、ユキは令嬢のぬいぐるみを噛みちぎる。

 他の人形やぬいぐるみがあっても、必ず、グステルが作った、イザベルが大事に部屋に飾っているものを選んで壊すのだ。


「なんでなのよぉ〜!」


 えーんとイザベル。もしかしてと、眉尻を下げてユキに訊ねた。


「ねえユキ、もしかして、ステラに怒ってるの? あなたを置いていったから?」

「…………」


 しかしもちろん不貞腐れたように後ろを向いた猫のユキからは返事はない。

 ただ、白い尾が不機嫌そうにぱたぱたと動くだけ。

 そんなユキを見下ろして、(毛だらけの顔の)イザベルは、今度は拗ねたように頬を膨らませ、ユキを睨む。


「何よぉ、私がステラに劣ってるっていうの……? 私とだって仲良しでしょ?」


 そんなふうに言ってみても、もちろん猫のユキは返事なんかしない。

 つんと無視する猫の背に、どうしたらいいか分からなくなったイザベルは。落胆した様子でしゅんと息を吐き、すごすごとユキから離れていった。

 寝台の上にあったぬいぐるみのベストを拾い、次いで床に転がったぬいぐるみ本体を拾い上げ、部屋の奥にあるテーブルまで歩いていくと椅子に腰を下ろした。


「……せっかくステラが作ってくれたのに……」


 それは本来は彼女の飾り棚に可愛らしく座らせていたものだが、ユキの暴挙が始まってからは、クローゼットの奥にしまい込まれていた。だが、今日は着替えの時にうっかりクローゼットの扉を閉め忘れてしまい、被害にあった。

 そうしてイザベルは、本日も肩を落として拙い手つきでぬいぐるみの補修。

 ここのところ毎日同じ作業をしているので針箱はテーブルの上にあった。

 時々指先に針を刺しては、あっと驚き目を釣り上げる。


「いた……っ! っもう! それもこれも全部ステラのせいよ! なんで私がこんなこと……早く帰ってきて私のために針仕事しなさいよね! ……ぁ」


 怒って手を振ってしまった瞬間、持っていた針から糸が抜け、イザベルの苛立ちは募る。──が、不意にその顔が泣きそうに歪んだ。


「上手にできない……ステラがいないと! もう! ステラのばかぁあ!」


 令嬢はなんだか悲しくなって思わずぬいぐるみを放り出してテーブルに突っ伏す。

 イザベルはこの界隈ではとても評判が悪い。友はいないし、わがままばかり言うから親も使用人も手を焼いていて、彼女が癇癪を起こしても誰も付き合ってはくれない。

 ──グステル以外は。


 イザベルはその姿を思い出し、いよいよ寂しさが込み上げる。テーブルに縋ったまま、気の強い彼女らしからぬ悲しげな声で泣きじゃくった。


「早く帰ってきなさいよぉっ!」


 ──と、その時だった。

 令嬢の伏した背中に、何やら唐突にずしっと重み。どしっと背中に走った衝撃に、令嬢はギョッっとして。


「⁉︎ な、何⁉︎」


 身を強張らせ、慌てて泣きべそ顔を上げようとすると──肩口に、白い──しっぽ。


「⁉︎」


 イザベルは驚いた。

 自分の背の上に、ユキが乗っていた。

 彼女からはその姿が、しっぽと、白くまるい尻の一部しか見えないが……。再びふー……と、ため息のような息を吐きながら、令嬢の背中に鎮座しているらしい猫は、そのまま彼女の背に落ち着いて、動こうとしない。

 その状況に、イザベルの口が、はわわ……っと、戦慄き、顔色がぱっと薔薇色に染まった。


「ユキが……私の上に……⁉︎」


 いつもは微妙な距離を取り、自分からはけしてそばに来てくれない気ままな猫の稀なる行動に。令嬢の口からは、いやぁああんっと悶絶の声が絞り出された。


「か、可愛いっ! は⁉︎ も、もしかして私が泣いてたから⁉︎ な、慰めてくれてるの⁉︎ う、嘘でしょ⁉︎」


 うろたえ、喜び、イザベルの口から「ユキーっっっ♡」 黄色い悲鳴が漏れる。


 ……なんだかんだいって、結局イザベルはユキが大好きだった。

 令嬢の頭からは、すっかり友不在の悲しみは消し飛び、この後数十分、彼女は自分の上でのんびり過ごす猫のために己が身を犠牲にしてユキの敷物の役目に徹した。

 その間令嬢はずっとプルプルしていたが……顔があまりに幸せそうだったので、それが同じ体制がきついせいなのか、感激のあまりなのかは誰にも分からなかった。


「ちょっと! 誰か来て! ユキが踏んだら大変だから針と針箱を片付けなさい! あ! 絵師……絵師は⁉︎ この光景を誰か……誰か絵に残しておいてちょうだい! は、早く!」


 イザベルはテーブルに這いつくばったままオロオロ家のものをどやしているが……。


 ともあれ彼女の上で、ユキはずっと太々しい態度であった。



 ──ちなみにだが。これはグステルがシュロスメリッサを離れた二日後の出来事である。






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