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御者とこれからの行程について話しているうちにヴィムに先を越されて。ヘルムートがグステルのところへ行った時、もう二人はエドガーの馬車のそばにはいなかった。
いたのは、ちょうど通りの向こうから歩いてきた美しい町娘にしきりに話しかけているエドガー。
娘はまんざらでもなさそうで、そんな彼女を口説こうと友は躍起。やってきたヘルムートには気が付きもしなかった。
そんな友人に白い目を向ける暇もなく、ヘルムートは友人の馬車の中に目当ての人の姿がないことを見て取ると、慌てて近くを歩く通行人を捕まえた。
通行人は、ヘルムートの慌てた様子に驚きつつも、それらしい二人組が慌ただしくどこかへ走り去ったと教えてくれた。
それを聞いたヘルムートは、ここではじめてヴィムがグステルに怒っているのだということに気がついた。
正直なところ、彼はここにくるまで従者の怒りには少しも気がつかなかった。
グステルが心配で、彼女と狭い空間で時を共にするエドガーが妬ましく、申し訳ないが傍でオロオロしている青年のことを考えている心の余裕はなかった。
(……しまった……もっと配慮するべきだった……)
ヴィムは気弱で気立もいい青年だが、怒ると結構キレ具合が激しい。まだ若いのだ。
感情のコントロールがまだまだ未熟な十六歳の青年は、時に主人を思って突っ走ってしまう。
そんな彼が、今なぜグステルを連れて行ったのかは察しがついて。ヘルムートは、周りが見えていなさすぎた自分を悔やみつつ、二人を捜索。
幸運にも民家の影で話をする二人を見つけたが──……。
まずはギョッとした。
なぜかグステルが地面に正座で座り、両肩を落としてヴィムに向かって両手を合わせている。
グステルのスカートには土がつき、剥き出しの地面には石だって転がっている。それを見たヘルムートは、いったい彼女に何をやらせているんだと咄嗟に飛び出そうとしたが……。
そこで彼女の口から出てきたのが、
『もうちょっとだけでいいのでエドガー様の平和で平穏な馬車にいさせていただけませんか……!』
というショッキングな懇願。
思わずヘルムートは息を呑んで身を凍らせる。
(そんなに……エドガーのほう馬車がいいと……?)
その訴えがあまりに悲しくて、周りが一気に真っ暗になったような気がした。
そこで彼の脳裏に思い出されるのは、先ほどエドガーに声をかけられて嬉しそうだった町娘の顔。
友の言葉は甘く、女性に対する賛辞が溢れ、聞いている娘はとても楽しそうだった。
(……やはり……皆、愛想のいい者を好むか……)
思わず拳を固く握りしめてしまい手のひらが痛んだが、荒れる胸よりもマシだった。
グステルと再会して、彼なりに頑張っているつもりだが、彼はもともと寡黙な性質。
愛想がいいとはとてもいえず、饒舌になれるのは大切なものが絡んでいる時だけ。
エドガーの軽薄さには呆れるものの、ああやってどんな娘でもすぐに喜ばせられる陽気な性格が時に羨ましくもある。
(……グステル様も、エドガーの馬車の中で先ほどの娘のように微笑んでいらしたのだろうか……)
そんなふうに考えると、胸に激しい嫉妬が渦巻くが、反面、諦めも感じた。
今、彼にとって大事なのは、グステルがこの長旅をできるだけ心地よく過ごしてくれること。
自分の気持ちを押し付け、なぜエドガーのほうがいいのですか⁉︎ などと……感情のままに振る舞うことではない。
ヘルムートは物陰で密かにため息をこぼす。
(彼女がそちらのほうが気楽なら……)
落胆しつつも仕方ないかと納得したヘルムートは、そこでふと、思い出して己の上着の胸元に触れる。その下にある膨らみに、青紫の瞳が寂しく笑う。
(……君もなかなか出番がないな)
青年は苦笑して。子をあやすように、自分を宥めるように上着の膨らみをトントンと軽く叩き、なんとか気持ちを切り替えた。
もちろんそれで嫉妬や悲しさが消えたわけではないが、王都についてしまえば、またいろいろと困難が予想される。ならば、今はせめて、このままグステルには好きにしていてもらいたい。
──ただ、と、ヘルムートは憮然と瞳を険しくする。
今、民家の壁の向こうで、グステルを冷たい地面になど正座させている己の従者のことは、ぜひ叱っておかねばならなかった。
青年は民家の影からヴィムを睨むようにして足を進め、二人のところへ踏み込もうとした。まさにその時だった。
ヘルムートの耳にヴィムのおろおろとした問いが飛び込んでくる。
『つまり……あなたは……ヘルムート様のことがお好きなんですか?』
その単刀直入すぎる問いかけに、驚きのあまり足が止まる。
(っ⁉︎)
自分不在の場でいったい何を言ってくれているんだあいつは! と、恥ずかしくなり慌てたが……。
問いに対するグステルの反応が気になりすぎて。ヘルムートも思わず息を殺して彼女の答えを待ってしまった。
そこにもたらされた彼女の答えは。
『す──好きですよ……もちろんあんな親切で素敵な方、好きに決まっています』
『⁉︎』
……その言葉を聞いた瞬間の、無上の喜びときたら。
ヘルムートは、感動のあまり愕然と立ち尽くす。
……はためには石のように固まった青年の姿は異様だが……彼の気持ちはふよふよと二人の将来──結婚式まで飛んでいた。
──が、青年はハッとする。
(っ俺は何を⁉︎ ば、馬鹿なのか⁉︎ き、気が早すぎるにも程がある! それになんて勝手な妄想を……! 不埒な! グステル様に無礼ではないか!)
しかし己を叱咤しても望む気持ちは止められず、想像は膨らむ一方で……。
青年はそんな自分に真っ赤な顔で一人おろおろし……。
つまり。
その間にグステルはヴィムに解放されていた。
お読みいただきありがとうございます。
ヘルムート…書いてみると、思った以上に動揺してましたね笑
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