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今日はやたら人にあちらこちらへ連れていかれる日である。
ヴィムから解放されほっとしたのも束の間。
突然現れて、その場から自分をさらうようにして歩き始めた青年の背を、グステルは困ったように見つめていた。
一瞬止めようと思ったが、諦めた。
いや、諦めたというより、受け入れねばならぬと観念した。
(……怒ってるんだろうなぁ……)
エドガーの馬車に乗ったことは、きっと彼にも責められるだろうなとは思っていた。
あんな避け方をしてしまえば、彼が不快に思って当然。
ヘルムートからすれば、友人や家の者たちの前で顔を潰されたようなものである。
(傷つけて、しまった、わよね……?)
彼が向けてくれている好意を考えると、当然そうだ。これにはさすがのグステルも、しゅんと顔をしぼませる。
それもこれも、自分の彼に対する余裕のなさが原因だと分かっている。ゆえにグステルは、彼の手を振り解こうとは考えなかった。
とにかくここは、真摯に謝る他ない。
と、うなだれ下に落ちたグステルの目に、青年に引かれる自分の手が映る。
硬く自分の手を握る大きな手と、それを握り返すこともできず、半端な形のまま固まった自分の手。
それを見ていると、とても恥ずかしい。
(……もっと平気だと思ってた……)
グステルは、今世では年上のヘルムートの呼び方を“坊ちゃん”から改めたものの、心の中ではまだ彼のことを年下だと考えている。
だから彼に手を握られても、子供に手を繋がれるのと同じで、きっとなんてことないのだろうと、思っていた、の、だが……。
実際こうして彼と手を繋ぐと、大きな手のひらの感触が思いがけないほどに、照れくさい。
(い、いや、照れている場合ではないけれど……)
心の中で自分を叱咤したグステルは、恥ずかしさを紛らわせるように周囲を見た。
彼は自分をいったいどこまで連れていく気なのだろう。
二人はすでに宿場町の通りの裏手に入り、宿屋や民家の傍を抜けて、森のなかに入ってしまった。
グステルとしては、もう観念してどこでも彼についていくつもりだが、それにしてもだんだん人気のないほうへ進んで行く。
流れる景色に少しだけ不穏なものを感じはじめたところで、大きな木の影でやっとヘルムートが足を止めた。
宿場外れの森の奥。
緑の木立の先に宿が立ち並ぶ通りがチラリと見えて、そこに時々人影が揺れるが、そちらからも、こちらからも、互いの会話が聞こえるような距離ではない。
おそらく通りからは、木々の枝に阻まれてグステルたちの姿は見えていないだろう。
そんなことを考えていると、不意にグステルの手からヘルムートの手のひらが離れた。
名残惜しそうに離れていく手にはっとして見上げると、まだこちらに背中を向けている青年が沈んだ声でつぶやく。
「……複雑です……好きと言っていただけて嬉しいのに…………」
言ったきり、ヘルムートはまた沈黙。
やっと口をきいてくれた彼の言葉にグステルは一瞬ほっとしかけて、その言葉に目を瞠った。二、三考えて、はっとした顔が赤くなる。
「あ……き、聞いて……おられたのですね……」
動揺し、思わず声がうわずった。
彼の言葉が、先ほどヴィムに叱られた際の会話を受けてのものだとはすぐに分かる。
と、青年が、すみません、とため息をつく。
「盗み聞くつもりはなかったのですが、あなたをお迎えに上がった時、二人の姿が見えたので……」
ヘルムートは、この宿場に着いた時、先に停車場にとまったエドガーの馬車へすぐ向かおうとした。が、彼は御者に呼び止められている間に、怒れるヴィムに先を越されてしまう。
その説明に、グステルは痛恨という表情。ヴィムとした会話の内容を思い出し、顔から火が出る思いである。
「あの……」
と、グステルは吐き出すように言った。
「……差し支えなければ……ど、どのあたりからお聞きになったのかを、教えていただけますか……?」
大いなる失態の予感に怯えつつ、それでも冷静さを失わぬよう努めながら尋ねると……ヘルムートは、よどみなく答える。
「……エドガーの馬車が平和だというところからです」
「ぅ……っ」
それを聞いたグステルは、堪らず目を瞠ってよろめき、そばにあった木にすがった。
ということは……あの直後、ヴィムから『あなたは……ヘルムート様のことがお好きなんですか?』と問われたことも、その問いへのグステルの返事もすべて聞かれていたということになる……。
(……し……まっ……た…………)
あまりの恥ずかしさに塵になってしまいそうだった。
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