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エドガーがここ公爵の別邸へきたのは、ラーラに頼まれてのこと。
そう明かした途端、友人ヘルムートが見せた表情には、エドガーはとても驚いた。
まずは瞳を見開いてから、一瞬怪訝に眉を顰め。それからぽかんとした表情で自分を見た男は。もしやこの瞬間、エドガーがその名前を出すまで、その大事な大事なはずの妹の存在すら忘れていたんじゃないかと疑いたくなるような反応を見せたのだ。
「……、……ラーラ……? ……なぜ……ここでラーラが出てくるんだ……?」
まったくわからないという顔の友にはつい呆れてしまい、さすがのエドガーも声を高くする。
「……そりゃあ、お前がラーラの誕生日にも家に戻ってこないからだろうが!」
そう言ってやると、ヘルムートはやっと、あ……という顔。
エドガーからここに突然現れた事情を聞き出してやる……! と、意気込んでいた気迫はどこかへ消え去っていた。
「だ、だが……贈り物はきちんと……」
「それでもなぁ……これまでラーラの誕生日なんて、お前何があっても邸にいただろう? それが今回は、事情を知らせる手紙も謝罪もないとくれば、ラーラだって気になるだろう。しかも、それが別の女のせいだとなればなあ……妹としては複雑でも当然だ」
お前、女心に疎すぎるぞとたしなめられたヘルムートは沈黙。
しかし彼はここで初めて自分が妹に手紙を書いていなかったことに気がついた。
それくらいのこと……と思われるかもしれないが、この兄妹にとってこれは大事だ。
心配性のヘルムートは、邸を開けるときはいつも弟妹たちの近況を知らせてもらうためもあって、三日に一度は必ず長女のラーラに手紙を書いていた。
「……しまった……忘れていた……」
ヘルムートは痛恨の極みという顔で身を折り、わなわなと頭を抱える。
「ここ数週間、ステラと再会してからはずっと頭が彼女のことでいっぱいで全部忘れていた……」
「……、……お前……夢中すぎて面白いな」
呆然とした顔で漏らされたあまりに素直な告白に、友には率直な感想。
が、ヘルムートはひたすら苦悩している。
「な……なんたる失態だ……! いや……執事からの手紙で、邸には異常なしと報告を受けていたゆえ……つい……」
実家の状況を知らせる手紙には弟妹たちは普段通りと書かれていたし、彼女たちには両親もついている。それで安心していたところもあったのだが……。
ヘルムートは、自分の変化に気がついて戸惑った。以前なら、それでも弟妹には欠かさず手紙を書いたはずだ。
書かねば気が済まなかったのだ。
「そ、それでラーラが俺を心配してお前をよこしたのか……?」
だとすると、エドガーに怒ってしまったのは大変申し訳ないことである。そんな思いで顔を上げると。友はまだ何かいいたげな顔。
「まあ、そうなんだ、が……。思うにお前、時期も悪かったな。今、ラーラは王太子殿下とあまりうまくいっていないんだろう?」
そう指摘され、ヘルムートがハッと息を呑む。
「……ラーラと殿下の間で何かあったのか⁉︎」
慌てて立ち上がり友に詰め寄ると、冷静なエドガーは、ああ、と、納得したような顔で彼を見る。
「なんだ、お前例の件は知らされてなかったのか」
「⁉︎ 何をだ⁉︎」
「なるほどなぁ、お前のことだから、あの件を知ったら王太子らに相当怒ってるはずだと思っていたんだ。おかしいと思った。……あのな、お前がうちに来たすぐあとから、殿下とラーラはどうもギクシャクしているらしい」
エドガーは、ヘルムートにラーラがグステル・メントラインのせいで王太子に約束を反故にされた件を話してやった。ちなみにこれは、エドガーもラーラから聞いたわけではない。彼がヘルムートの動向を調査している最中に、兄妹の家の使用人から聞き出したことである。
おそらくラーラもそんな不名誉な話はエドガーにも、そして兄にも言いたくはなかったのだろう。
その話を聞くと、ヘルムートは眉間に深いしわを刻み鬼のような顔、が。
次いでエドガーが、
「そんな時にお前からも蔑ろにされるもんだから、ラーラはすっかりおかんむりでさ」と、続けると、ヘルムートの顔がまたさっと後悔に墜落。
「あああ……っ!」
「俺のところにも連絡をよこして、兄がどうなっているか教えて欲しい、早くしてくれ、まだですか⁉︎ ……と……。思うに、あれは相当苛立っているぞ」
「…………す、すまん」
事情を聞いたヘルムートは、項垂れたまま友に謝意を述べた。反省しきりの友に、エドガーは「俺はてっきり」と、両手を広げていう。
「こんな時にお前が秘密裏にメントライン家の別邸に奥方を尋ねにいくというから、お前がきっとラーラのために乗り込みにいくんだと思っていたんだ。母親を通じてグステル・メントラインに釘を刺すとか、何かしらの交渉をするとか。俺としてはラーラに頼まれたのもあるが、お前、弟妹たちのこととなると暴走しがちだからさ、これは見張っとかねーと危険かなと思って──……」と、言って、エドガーは友の顔をまじまじと見る。
「……が、どうやら違ったみたいだなぁ……」
「…………」
その言葉から、友の呆れを感じ取って。言われた通り、すっかり妹のことを忘れていたヘルムートは……項垂れた顔からほとほと気まずい汗を滴らせている。
「す、すまん……迷惑をかけた……」
「いや、俺は別に。ラーラのことは心配だが、お前のその状態は好きだぞ、面白いし」
「…………」
エドガーはいつも通りけろりとして返してくるが、こたびばかりはヘルムートもその軽口に文句を言えなかった。あ、ちなみにだなとエドガー。
「どうやら、お前からのラーラへの手紙が途絶えたことを、父君は相当喜んでるらしいぞ」
兄馬鹿が治ったのかとホッとしているらしい、と、付け加えられたヘルムートはもう返す言葉もない。
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