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「確か王都でも評判の若者たちね。それがなぜここに?」
奥様こと、アムバハイデ公爵夫人は、壮年で顔には多少しわもあるが、肌艶もよく歳のわりには若々しい夫人である。
使用人の報せに怪訝そうに眉を持ち上げ、夫人はその両家について考える。
エドガー・アーベラインの訪問はまだ分かる。
アーベライン家とメントライン家の領地は、間にいくつか小領も挟まるが、そう距離は離れていない。
しかし、ハンナバルト家の令息が不審だった。
その領地はこのメントライン家の領地からはかなりの距離。
ここは王都の西で、ハンナバルト家の領は王都の南東。両家は交流もない。
それでも夫人がハンナバルト家のことを知っているのは、現在その家の娘が自分の娘と対立関係にあると知らされているからである。
──と、そこで夫人の顔がハッとした。
その娘と対立関係にある家の息子がここを訪ねるとは……もしや王都で娘に何かあったのだろうか。
夫人は不安に駆られ、イヤリングを握っていた手を鏡台に置いてうろたえた。
「……グステル……」
心配そうにつぶやいて……。
しかし夫人は、目の前の鏡の中に自分の顔を見つけ、思い出したように顔をムッと強張らせた。
娘と同じ色の、赤い髪。
夫人はそれを睨みながら吐き捨てた。
「……知らないわ、あんな薄情な娘!」
ふんと鼻を鳴らし、改めて鏡に向かい荒々しい動作でイヤリングを両耳につける。
──実は。公には隠されていることだが、夫人は、二年も前に救出された我が子とまだ再会を果たしていなかった。
当時から、彼女はすでに公爵と冷戦中で、この別邸で夫とは離れて暮らしていた。
それでももちろん、二年前に自分の娘が見つかったと聞いた時には、彼女はすぐに王都に駆けつけたのだが……。
そんな彼女を、今現在に至るまで、その娘自身がずっと拒み続けている。
『自分が誘拐されたのは、母がきちんと面倒を見ていなかったせい』
娘はそう夫人を恨み、会いたくないと言っているらしい。
それを聞いて、夫人は深く傷ついた。
そして同時にやられたと思った。
(……そんなことをグステルに吹き込んだのは夫に違いない……)
夫婦は、幼い娘が消えてから、長年その問題で言い争ってきた。
互いにグステルがいなくなったのは相手のせいと罵り合い、結局こうして別居するに至った。
もちろん娘と先に再会した公爵は彼女に言うだろう。
『すべての責任は母にある』と。
そして娘もそれを信じたらしく、彼女はいまだに母との再会を拒み続けている。
会いに行っても顔も見せてくれないし、再三手紙を送っても返事は戻ってこなかった。
幾度か娘の外出を使用人から聞き出し、突然会いにもいってみたが……。しかしそれは護衛に阻まれた。
娘は誘拐されたせいで他人にひどく怯えていて、厳重に守られているゆえ、とのことだが……。
それでも夫人からしてみると、娘は母親にくらいあってもいいはずだ。
それがこうも拒まれると、夫人もだんだん意固地になっていって、夫も娘も恨めしくて。
もういっそ、自分を貶めた夫も、それを信じて自分の言い分に耳を貸そうとしない娘も、こちらから盛大に捨ててやろうかと思いもする、のだが……。
失った頃の幼いグステルの顔を思い出すと……。
夫人はどうしても、公爵と離縁ができない。
公爵と別れてしまえば、もう娘と二度と再会が叶わなくなるかもしれない。そう思うと、彼女たちに腹立たしさを感じてはいるものの、思い切ることができなかった。
夫人は憤懣やるかたないといった様子で息を吐き、そして使用人に尋ねる。
「……ねえ、王都からは何か新しい報せは来ている?」
口では『あんな娘など』といいながらも、やはり気にはなる。
しかし、使用人は「特に何も」と答える。すると夫人は、いよいよその唐突な訪問者たちが怪訝だ。
「では何故若君たちが私を尋ねてきたの? しかもわざわざ別邸にまで。ここには私しかいないと知っているのかしら……」
夫人が怪訝な顔をするのも仕方ない。
公爵と別居中の彼女が住むこの別邸には、彼女と使用人しか住んでいない。それなのに、面識もない貴族の子息が訪れる理由がわからなかった。
「こんな辺鄙なところまで来るからには、きっと何か思惑があるはずよ……」
そしてそれはおそらく娘と、彼女の意中の王太子にも関係したことなのだ。
夫人がそう疑惑の眼差しで思案していると。考え込み、沈黙が長引きそうな主人を見て、使用人の娘がじれたように言った。
「もう! いいではありませんか奥様! 若君たちは奥様にご挨拶なさりたいそうです! あまりお待たせしては失礼ですわ! さっきチラリとお姿を拝見しましたが、どちらもたいそう素敵な御令息です! みんな給仕したくてそわそわしているんですよ!」
「まあ……」
その言い分に、夫人は思わず目を丸くする。
興奮して訴える使用人の娘の顔は好奇心に満ちている。どうやらすっかりその御令息らに魅了されてしまっているらしい……。
夫人は呆れを滲ませて。とはいえ、彼女にも使用人らの気持ちはわからなくもなかった。
彼女たちはもとは華やかな公爵領で過ごしていたものたち。
それなのに、夫人ができるだけ夫から離れて暮らしたくて別邸に移り住んだせいで、彼女に仕える娘たちもこんな田舎に連れてこられたのだ。若い娘たちはいつでもとても娯楽に飢えている。まあ、つまりとても退屈しているのだ。
そこに、都から見目の麗しい貴公子がやってくれば、彼女たちが色めき立つのも無理もなかった。
夫人はため息をこぼす。
「やれやれ、私が別邸にきたときは、皆『これで奥様の悲しみものどかな景色に癒されるし、もう夫婦喧嘩を見なくて済む』と喜んでいたくせにねぇ……。……ま、いいわ」
夫人は鏡台の椅子から腰を上げ、目の前で期待に満ちた眼差しで自分を見ている娘にため息混じりに命じた。
「私も退屈していたところよ、お客人を丁重にお迎えして差し上げなさい。……せいぜいそのグステルの恋敵の兄とやらを、じっくり値踏みしてやりましょう」
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