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それから、グステルはできるだけ淡々と出立の準備を進めた。
そんな彼女に、あの日ヘルムートは全面的な協力を約束しつつ、少しだけ待つようにいった。
まずは公爵家の状況を調べてくれるそうで、彼はグステルに、絶対に一人ではいかぬよう、彼に内緒で出発しないよう、ひどく心配そうに重々念を押して帰っていった。
そんな彼に、グステルはとても申し訳ないと感じた。
本来彼は、自分たち親子から多大な被害を受けるヒロイン側の人間。それなのに、ヒロインたる妹を守る傍らで、悪役令嬢になるはずだったグステルまで助けねばならぬとは。
(……なんだかあのお坊ちゃまの人の良さにつけ込んでいるような気がして……若者の同情心を利用しているようで……おばちゃん居た堪れない……)
だが、そうは思うものの。正直彼の申し出はとてもありがたかった。
現在、ただの町民として生きるグステルでは、公爵たる父にはそう簡単に会えそうにない。
ましてや、父のもとに“グステル・メントライン”がいるのなら、父にたどり着くのは余計に困難である。
グステルとしては、いくらあの薄情な父でも、さすがに実子は見分けがつくと信じたいが……。
もしかしたら、彼が、今手元にいる偽物を本気で“グステル”と信じているという可能性もないではない。その場合、嘘をついて父に近づいたのは、その偽物の“グステル・メントライン”ということになる。
ただ、その偽物が修道院で王太子と出会って“グステル”と名乗ったということを考えると……そこにはやはり作為的なものを感じてしまう。
娘が単に公爵令嬢になりたいだけならば、父と出会えばいい。そこで天下の王太子をターゲットにする必要はない。と考えると、やはりこの件には、公爵家の利権が大いに絡んでいるのではないだろうか。
……まあともかく。
この辺りの真相を明らかにするためにも、グステルは父に会いに行く必要があった。
ただ……その前に。
彼女は万が一に備え、ユキや店のことも考えておかなければならない。
ユキはずっとここで暮らしてきた猫。家から離れ、旅に連れ歩くのは難しい。
それにグステルは、もしかしたら父に顔を見せた瞬間、そのまま囚われるなどという事態も考えられる。
その時、店はともかく、ユキを路頭に迷うようなことにさせるわけにはいかない。
だからグステルは、彼のことをイザベルに頼み込んでみた。
何事も素直には受け取ってくれない令嬢が、自分の頼み事をどう受け取るかは気がかりであったが……。
いざ頼み込んでみると、イザベルは瞳を輝かせた。
口ではあれこれ文句を言っていたが、いそいそるんるんユキの世話道具を買い出しに出て行った様子を見る限り……どうやら全然迷惑ではなかったらしい。
これは本当に有り難かった。
あのちょっぴり意地悪な令嬢は、人間には当たりが強いが、しかし動物やぬいぐるみにはとても優しい。だからきっと大丈夫。……まあユキのお世話代金はたんまり取られたが。それは当然と、グステルは大いに納めさせていただく所存である。
(……イザベル様がいて下さって、本当によかった……)
彼女の今の実家の状況を考えると、グステルは父に門前払いされてもおかしくない。
彼はすでに新しい手駒“グステル・メントライン”を手に入れている。
ならばグステルが本物と名乗り出たりしたら、いったいどんなことになるかわかったものではない。
単に追い払われるだけならいいが……と、グステルはため息。
「……お父様の野心の程度によっては……私、消されちゃうかもねぇ……」
大昔に別れた娘などに、父はもう愛着など持っていないだろう。それどころか、手元に使い勝手のいい新しい駒がいるのなら、父がそちらを守って当然だ。そのために、不要なグステルはどうなるか。
こんなことを考え始めると、さまざまな感情が次々と湧いて、ためらいや虚しさが生まれるが、今は行くしかないと思った。
前世は庶民であり、現在も町人として身を立てているグステルには、公爵という身分を持ちながら、さらに権力を得ようとする父は理解できない。とても軽蔑する、が……。
それでも断ち切れぬ情というものがある。
少なくともグステルは、自分に今世を与えた父が、極悪公爵として獄に入ることを望んでいない。
駒とされた新しい娘も、どんな事情があるのかは知らないが……。
想像してグステルは、青ざめてブルッと身を震わせた。
「うら若いお嬢ちゃまが……自分の名の下に死を賜るなんて寝覚めが悪すぎる……」
偽物の彼女は、自分が家を出たから“グステル・メントライン”となった。
それではまるで、悪役令嬢になりたくないグステルが、彼女を身代わりにしたみたいではないか。
このまま見捨てては、自分のせいでどこかの少女が死ぬのだ。……それは、とても看過できない。
と、その時荷物をまとめていたグステルの足首に、何か柔らかな感触がすりっと触れる。
「あ、ユキ」
床の下を覗くと、椅子に座った自分の足のそばに、しなやかな身体の愛猫。まん丸の瞳でこちらを見上げ愛想よくニャアと鳴く彼に、グステルの目尻が下がる。
グステルは、すぐに手を伸ばしユキを膝に抱き上げた。
気まぐれな彼は珍しく嫌がりもせず彼女の膝の上に収まって。その柔らかく温かな背中をゆっくり撫でながら、柔らかな毛並みを堪能する。
──そうすると、どうしても“あの子”が思い出され、恋しくて胸が痛くなった。
「……ゆき、やっぱり……放って置けないよね……」
どこかで今、自分として生きる女の子。会わねばという気持ちが余計に強くなった。
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