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「……なぜ、私がこんなにあなたが好きなんだと思いますか?」
「──は……?」
率直な言葉にまずはびっくりして。グステルは思わずぴたりと動きを止めた。
青年を仰ぎ見ると、彼はぽかんとしているグステルの両の瞳をしっかり捉える。
まっすぐな眼差しにグステルの瞳はいよいよ困惑に見開かれたが、そんな彼女に、ヘルムートはもどかしげに訴えた。
「ちゃんと私をよく見てください。こういってはなんですが……あなたの瞳は“運命の天敵”だの“物語の筋書き”だのという、およそ現在には必要のないものに覆われていて、私をきちんと見てくださっていないように思えます」
そういうヘルムートの顔は何かを諭そうとするように冷静。けれども、瞳はどこか不満げで、拗ねているようでもあった。
そんな青年の言葉にグステルは戸惑う。
──確かに一理ある言葉に思えた。
物事にはいろんな視点があるのだから、グステルが物語を通して世界を見ることが悪いとは思えない。
だが、それがいいか悪いかは別として。グステルは、前世で読んだ物語上の出来事を心配し、恐れ、彼を避けたいと思っている。──それは、今の彼を見ていないということになるのかもしれなかった。
なんと返せばいいものか迷い、ただ息をつめて彼の顔を見上げていると、青年は穏やかな眼差しでいった。
「しっかり“今”目の前にいる私を見てください。あなたの目の前の男は、今妹がああだこうだといっていますか?」
「……、……いって、ません……ね……」
それは認めざるを得ない。
ここにくるとき、彼の口からヒロインラーラの話題が出るのは、土産にぬいぐるみを買おうとするときだけだった。そこにはシスコンのシの字も感じられない。
「私が思うに、」
ヘルムートは静かな声で続ける。
「運命は、もうとっくに変わっています。──あなたが七つの時に」
「七つ?」
その言葉に、グステルは不可解そうな表情で首を僅かに傾ける。
いわれた頃の自分にいったい何があっただろうかと、思い出すように彼女の目は虚空を見たが──。と、そんな彼女の頬にそっと近づいてくるものがあった。
えっと思った時には。頬に少しひんやりした大きな手が添えられていて。グステルは驚き、肩を跳ねさせて自分の頬に触れているヘルムートを仰ぎ見た。
瞬間、グステルが(あ……)と瞳を瞠る。
不意に青年から──何か香りのようなものが漂ってきたような気がしてどきりとした。清々しく惹きつけられるような香りは、彼女が彼に抱いていたイメージのようなもの──幼い香りとはだいぶ違っていて。
見つめてくる青紫の瞳も、まるで自分から視線を逸らさないでほしいと訴えているかのようである。
その瞳を見てしまったグステルは、じわじわと落ち着かない気持ちに囚われる。グステルの頬は異常に熱くなっていた。
「ぁ……の……」
ヘルムートの指は微かに触れている程度なのに、まるでそこに自分の感覚がすべて集まってしまったかのよう。おまけに何か耳元が騒々しいと思ったら、それは自分の中に響き渡る心臓の音なのだ。
グステルはそんな自分の状態に大混乱。
彼女の自身への認識としては、前世で一通りの恋愛ごとは経験し、死まで経験した。
そうして生まれ変わり、もはや色恋のようなものには惑わされぬという隠居のような気持ちで暮らしていて──。だからまさか、自分がこんなことで、若者のようにうろたえようはずがないと思っていた。……のに。
しかし彼女の意に反し。グステルは今、いっそ清々しいほど見事にヘルムートの接近に動揺している。
グステルの耳の奥では、先ほど彼がいった『好き』という言葉が何度も何度も響いていた。