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(どうしよう……これいいんだろうか……)
グステルは頭を悩ませつつ、水で清めた青年の傷口に消毒液を塗る。
向かい側に座る彼は別に傷自体は痛くも痒くもなさそうだが……。
どうやら彼は、グステルが彼の手当てをしていることが嬉しいようだった。彼の手を取り、消毒液を染み込ませた綿を傷口にトントンと当てると、彼は何が嬉しいのかにこにことそれを眺めている。
なんだかその気持ちがダダ漏れで。グステルは彼の視線がこそばゆくてたまらなかった。
自称精神年齢シニアのグステルも、だんだん不安が増してくる。
このままでは、彼に順調に絆されてしまいそうな気がする。
疑惑も謎も残ったまま、彼に懐かれて、気を許していいのだろうか……。
(悪役令嬢予定者が、運命ねじ曲げてヒロインのお兄様を懐かせて……いいの……? これヒロインに何か影響があるんじゃ……)
グステルは次第にラーラが心配になってきた。
ヘルムートはヒロインラーラの偉大なる守護者である。
彼の助けもあって……いや、シスコンの彼はラーラの恋路を結構邪魔していたような気もするが……まあそれは物語のスパイス。
ともかく、彼は幼少期より父の嫡子でないラーラを家庭内で助け、グステルのような悪党からも守護するわけだ。
その彼が、敵たるはずの自分に近づいて、この奇怪な状況はヒロインからその守護者を奪うようなことにはならないのだろうか……。
と、ここでグステルは、ハッとする。
「あら……⁉︎ そういえばヘルムート様……シュロスメリッサにはもう随分滞在なさってますが……ご帰宅はいつ⁉︎」
「それは……特に決めてはいませんが……」
唐突な質問に驚いたのか、ヘルムートは目をまるくしてグステルを見る。その曖昧な返事を聞いたグステルはなんだか一層ラーラが心配になった。
「あ、あの、ラーラのお兄様がヒロインのそばをこんなにながく離れて大丈夫なのですか⁉︎ ヒロインはヒロインであるがために、悪役令嬢がいなくてもいろんな困難が降りかかると思うのですが……」
「…………」
そろそろ戻ったほうがいいのではと進言すると、ヘルムートは綺麗な顔を少し暗くする。
「……ラーラは実家におり、身の安全はある程度確保できております。それに彼女ももう成人しています。いつまでも兄の保護を必要とするような歳ではありませんよ」
「え……ええっ⁉︎」
その真っ当な言葉を聞いて、グステルは思わずギョッと叫んでしまった。
「ど、どうされたのですかヘルムート様⁉︎ そ、その発言はちょっとラーラのシスコンお兄様らしからぬ発言かと……⁉︎ あのヘルムート様はどこへ行ったのですか⁉︎」
「……どの私ですか?」
慄きながら尋ねると、冷静な顔で心底疑問そうに返される。
「どの⁉︎ どのって……ラーラと王太子殿下の初デートにまで平然とくっついていったシスコン極まりないヘルムート様ですよ! 確か……三度目の時までついていって、さすがに怒ったラーラ嬢に『お兄様ったら心配しすぎよ!』と、ポカポカ胸を叩かれて、『そんなラーラも可愛い』とか痛いことをいってデレデレしては、居合わせた王太子殿下に引かれていた、あのヘルムート様です!」
物語上で語られたヘルムートシスコンエピソードを語って聞かせると、青年は冷静な顔を崩さぬまま平然と宣言。
「………………そういうのは、十二の時に卒業しました」
「そ、卒、業⁉︎ じゅ、十二⁉︎」
グステルはその申告に愕然とした。それは、本来の物語とは大いに違う。本来彼は、物語の始まりから終わりまで、もれなくずっとシスコンであるはずなのだ。
この事態にグステルはさらに動揺を深める。
「こ、これ……だ、大丈夫なの⁉︎ 物語世界として大丈夫なんですか⁉︎」
「……」
物語の筋書きの変化に慄くグステルは、青年が何か物言いたげな瞳で自分を見つめていることにはまだ気がついていない。
だが、ああだこうだと頭を悩ませているらしい娘を見ていると、ヘルムートは次第に胸の中が焦げ付いてくる。
彼女に早く思い出してほしい。
十二歳、彼がその歳の頃に、いったい何があったのか。早く。
そんな焦燥感に胸を突かれ、つい、想いが喉から溢れる。
「グステル様」
「!」
不意に本名で呼ばれ、驚いたグステルは目をまるくしてヘルムートを見つめる。
そんな彼女に、青年は静かに問いを投げかける。
「……なぜ、私がこんなにあなたが好きなんだと思いますか?」
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