19
グステルは緊張した面持ちで、青年につかまれた自分の手を眺めていた。
なんとなく彼のほうが見られない。
天敵のはずの彼という人に戸惑っているのももちろんあるが。
家出してからは、ずっと何事も一人でやってきたから、こんなふうに大切に扱われるのは落ち着かない。しかも、自分は(前世を足せば)彼よりだいぶ年上。年下の彼に世話されて、若干情けなかった。しかも、血塗れで。
そんな悶々としたグステルの気持ちを冷やすように、ひんやりした水が手の甲の上をすべっていく。
青年が水桶の上で水差しを傾け、傷口を清めてくれている。
すると傷に滲んでいた血は次第に薄まっていった。
チラリと見ると、その傷を痛ましそうに見る青年の眼差しが、なんだか真剣すぎて、不思議で、とてもこそばゆかった。
傷口はヒリヒリ痛んだが、どちらかというと、そんな彼のほうが気になってしまい、グステルはそんな自分に大いに戸惑った。
「あの……」
見るからに責任を感じているふうの彼に、グステルはおそるおそる声をかけた。
「私なら大丈夫です。本当にこれくらいいつものことなんですよ」
グステルが言うと、ヘルムートは手当てをしながらぽつりと言う。
「……そのようですね」
彼が視線を落とすグステルの手の甲には、先ほどの傷以外にも、猫によるものだろう古傷の痕もあるし、少し荒れてもいた。それは当然一人で生きていくために荒れたのであって、手入れをする余裕もないため。
そんなグステルの手を、ヘルムートは黙って見ていたが。
不意に視線を上げて、薄く微笑む。
「……獣に与えられた傷は、小さくとも放っておくと病を引き起こすこともあるのですよ」
やんわりと手当てはしなければダメだとたしなめられて。これにはグステルは困ってしまった。
まあ、確かに青年の言うことにも一理ある。
猫に引っ掻かれて熱が出たりする人も稀にいると、聞いたことはある。
(でも本当にこれくらいの傷は日常茶飯事だからなぁ)
愛猫ユキは、とてもかわいい猫だが少々気難しい。そしてビビリである。
怒るとすぐ手が出るし、機嫌よく遊んでいても急に噛むこともある。まあ、それが猫らしいといえば猫らしいくかわいいのだが。
だから、そんな彼と暮らしていると、これくらいは平気だし、むしろ被害が自分だけでよかったと思っている。
けれども目の前の青年は。どうやら、グステルにかばわれたことを甚く気に病んでいるらしい。
彼が申し訳なさゆえに、傷を軽視しているグステルを叱っているのだなと、それだけはなんとなく分かって。
なんだか彼は色々と不思議で不可解な存在だが……ここはひとまず黙って彼に従っておくことにした。
労る気持ちは本当のようだから。
(……この方ひどいシスコン属性だしな……妹君と私が同世代だから彼女と重ねて心を痛めていらっしゃるのかもね……)
誘拐だなんだの誤解の件も、きっとそうなのだろうとグステルは思った。
妹を大事にしている彼が、妹と同じ年頃の幼い女児がいなくなったことを知って、『これがもし妹だったら耐えられない』的に、自分にも過剰に同情を向けられたのだろう。そう考えると、まあ、(わからないでもないかな)と思った。
ついしみじみとヘルムートの顔を眺めて。と、ここでグステルはふと気がついた。
(そういえば……この人、さっきまで私のこと“メントライン嬢”って呼んでたのに)
しかし、イザベルが現れたあとは、彼はグステルのことを『お嬢さん』と呼んだ。
グステルは、この町では誰にも自分の本当の身の上を明かしてはいないから、もしあそこで家名でなど呼ばれていたら、大変厄介なことになるところだった。
(…………)
グステルは、自分のささやかな傷を手当てしてくれている青年の横顔を不思議な気持ちで見つめた。
彼はまだ、グステルの『別人だ』という主張に納得してくれているようには見えない。ということは……あれはおそらく、彼なりの配慮なのだろう。
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