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183 月夜の焦燥

 あれは、本当に大丈夫なんだろうか……。

 城門前に置いてきた男のことを思うと、ヴィムは、緊張し過ぎて喉が干からびたように乾くし、胃のあたりがシクシクと痛んだ。

 何はなくとも、ただそこに立たせているだけで、かならず問題を起こしそうな人物なのである。

 そんな兄を、いつもなんとか制御しようとしていた娘のことを思うと、青年は痛いほどに後ろ髪をひかれてしまう。が……。


 そんな不安そうな足取りの青年を、彼の前を歩く主は感情を押し殺した口調でたしなめる。


「……ヴィム、今は優先順位を考えなさい。あの方なら大丈夫だ」


 その鬼気迫る声が腹にずしんと重く低く響き、青年は、つい怯えたように肩を狭めた。


「で、でも……頭に血の上ったフリード様は、危険人物すぎやしませんか……? そ、それに……あんな付けヒゲだけで……あのお二人の顔が似ていること、隠せますか……?」


 あんな付けヒゲ、とは、先ほど門前で大荒れだったグステルの兄が顔にはりつけていた、長くフワモコの物体のこと。所々くるくるとカールした繊維の集合体は、フリードの厳めしい顔に滑稽なほどに似合っていなかった。

 あの場にそぐわぬ代物は、現在こちらで静かに怒り狂っているヘルムートが彼に渡したものである。


 だが、けしてふざけてそうしたわけではない。

 当然ながら、フリードは妹であるグステルとは顔立ちがよく似ている。

 今回王城に連行されたグステルは、変装もしていない。二人を目にした誰かが、そのことに気がつかぬとも限らない。それは、絶対に防がなければならなかった。


 グステルは、ずっと、自分で築き上げた街での生活を守っていくことを望んでいる。

 小さな身体で独り立ちし、やっとの思いで手にした居場所は、彼女にとってはさぞ大切なことだろう。

 その思いと苦労が想像できるからこそ、ヘルムートも彼女の願いを共に守り続けたい。

 だが彼女は、意志が強い反面、潔くもある。

 もし何かを守るために必要とあらば、その大切な暮らしをもあっさり投げうってしまう気性が分かるだけに、ヘルムートは、その苦しい選択をさせぬための尽力を固く決意している。

 もし、グステルの身分が明らかになるにせよ、それは、誰かに暴かれるようなことであってはならない。

 それは、必ず、彼女自身の選択でなければならない。──絶対に。


 しかし、この急な事態には、ヘルムートもいささか不意を突かれてしまった。

 イザベルらによってもたらされた急報に駆けつけた彼らが、フリードの人相を隠すためにとっさに用意できたのは、あの祭事用の付けヒゲだけだった。

 王城では、謁見の際、覆面や仮面は許可されない。が、付けひげならば、貴族男子の装いのひとつとして許されてきた流れがある。……まあ……若干、装い、というより、メルヘンよりの、緊迫した場には奇異に映る一品ではあるが。


『そんな些事にかまっていられない』


 ……というのが、ヘルムートのバッサリした見解。

 多少子供だましな代物でも、フリードの人相さえ半分隠れるのならばそれでよし、と、いうのが、彼の決断。

 もちろんそのフワモコな代物を見て、当のフリードは一瞬『なんだこれは』という訝し気な顔をしたが、そこはヘルムートが説得。

 こと、シスコン魂においては、彼のほうが経験豊か。どこを突けば妹思いの青年が折れるかは、彼はよく熟知している。


「で、でも、明らかに不審ですよ……あそこまで猛烈に怒っているお方が、あんな滑稽な……」


 状況が不安過ぎて嘆く若者に、しかしヘルムートはやはり淡々としている。


「……声を落とせヴィム。大丈夫だ。あそこまでお怒りのフリード様の顔から、誰が付けヒゲなどはぎ取れる……?」

「そ、それは……それはそうですが……も、もし国王陛下がおでましになられたら⁉ 陛下に『取れ』と言われたら、さすがのフリード様だって……」


 不安そうに言い募る従者に、ヘルムートは前を向いたまま同意。


「確かに。いくらフリード様でも、陛下のお顔を見れば冷静になり、顔を見せろと言われればヒゲを取るだろう」


 ──が、と、青年は一瞬足を止め、ヴィムを振り返った。


「お前なら、あのように傍若無人に怒り狂った人間を国王陛下に会わせるか?」


 真顔の問いかけに、ヴィムは、うっという顔。


「……、……、あ……会わせませんね…………」


 確かに、と、結局ヴィムは微妙そうな顔でそう返すしかなかった。

 主が言う通り、もし自分が王家の侍従なら、あんな火竜のように吼えて怒りを訴える大男の前に、主君を立たせられない。怖すぎる……。

 と、前方に向きなおって再び先を急ぎ始めたヘルムートは固い口調で言う。


「ヴィム。考えすぎるな。今はグステル様の身の安全を確保するほうが先だ。それ以外に優先させるべきものは何もない」


 その強い断言に。ヴィムは、でも、と、さらに言いかけて、口をつぐむ。

 月明かりに浮かぶ主の後ろ姿には、静かな焦燥と増悪がにじんでいた。

 もちろんそれは、ヴィムに対するものではない。

 連れていかれた彼女への心配と不安。そして、それを実行した者たちへの限りない怒り。その感情が入り混じった背中は、怖いくらいに殺気立っていた。

 その姿を見ると、従うしかないという諦めも感じるが、ヴィムの不安は大きくなるばかり。

 彼だってグステルを案じているが、主が今からなそうとしていることは、国家への大いなる不敬。反逆と責められても仕方のないようなこと。どうあっても従者の不安はぬぐい取れなかった。


 そんな若者の不安を背に感じながらも、ヘルムートはただひたすら前を見て、王城の幕壁沿いを急いだ

 目指すのは、もちろんグステルがいる場所である。


(……嫌な予感がする……)


 胸の内壁をわしづかみでえぐりとってくるような不安が、絶え間なく彼を急き立てている。その衝動は、フリードの後ろで王城を睨んでいるだけでは、とてもおさまるようなものではない。

 できることならば、今すぐにでも彼女の無事な顔を見たい。そうしなければ、取り返しのつかないことが起こってしまうような気がしてならなかった。


 彼女を召し出したのが王家であるならば、きっと非道な行いはしないはず。

 しかし、彼女は常々『王太子殿下には会いたくない』『怖い』とこぼしていた。あの胆力のある彼女がそれをもらすということは、相当な恐怖を抱えていたはず。

 先日城下でその男から逃げ出し、物陰に逃げ込んで身を小さくしていた姿を思い出すと……ヘルムートは今でも心臓を握りつぶされそうな苦悩に襲われる。

 血の気を失った頬は冷たく、身は割れれしまいそうなほどに震えていた。恐怖のあまりか呼びかけにも一切反応しない。

 そんな状態であったグステルが、その原因となった男がいる場所に、なんの準備もなく連れていかれた。

 もしや今この瞬間も、またあの時のような恐怖の底にいるのではないかと考えると……。

 ヘルムートはとてもではないが、夜明けを待って、などという悠長な構えではいられない。


「……フリード様には、あの場でできることをしていただく。それでグステル様の無事が確認できるならばよし。しかし、我々は我々のできることをせねば」


 目的を確実に遂げるには、策は多い方がいい。

 それに、現状この夜間に、フリードのような正攻法では、ただちにグステルにたどりつくのは難しいと彼は考えた。

 おそらく、王家が今宵、彼らに即刻正門を開くことはない。

 ならば彼に残されているのは、多少なりと危険な橋を渡る方法だけ。

 ゆえにこの男は、迷わず彼女の兄をおとりにすることを選んだ。

 門前でフリードが騒げば騒ぐだけ王城の者たちの目はそちらに向く。いかに堅牢な王城といえど、それが人間の手でつくられ、人の手で守られている限り、隙は必ずどこかにある。


(──いや、生み出させるのだ、絶対に!)

 

 ヘルムートは爛々とした双眸で城壁を睨む。

 この彼女の身内への無礼なら、あとからいくらでも謝罪する。

 発覚した際の責任も、必ず自分が負おう。

 だが──まずは、なんとしても彼女のもとへ駆けつけたかった。

 青年の胸には、王太子エリアスに対する怒りが炎のように燃え上がっていた。

 その人物が、そうしようとしてグステルを窮地に追いやっているのではないと分かっている。

 それでも、彼が絶えず幸せでいてほしいと固く願う彼女に、恐ろしい思いをさせるあの男が、どうしても許せなかった。……それがたとえ、妹の想い人でも。


 歯噛みし闇を睨むと、上下の歯のこすれる圧が頭蓋にギリリと響いた。震えがくるほどの渇望を押し殺し、ヘルムートは先を急ぐ。


(……なんとしても、彼女のもとへ……)





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