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180 グステルの攻防

 


 金の髪はきらめくように美しく、青い瞳はおだやかな春空の色。

 角のない柔和な顔立ちは、教会の女神像のように優しく整っているが──その表情が焦燥に満ちている今、そこには青年らしい情熱的な一面ものぞく。


(……な、ぜ……?)


 そんな彼の腕のなかで、グステルは、意味が分からずただ困惑のまなざしを青年に向ける。

 自分を見つめる王太子エリアスの瞳に浮かぶのは、彼女が予想したような、悪役に向けられて当然の嫌悪でも、自分に無礼を働いた娘に対する怒りでも、民に向ける慈愛や気遣いでもない。

 唯一のものを、やっと手にすることができたという安堵と高揚。

 求める者の目で自分を見る青年に、グステルは、思い切り動揺した。


 ──相手が違う。あなたがその目を向ける相手は、別にいるはずじゃないか!


 しかし、そう口にしようとしても、なぜか声が出ない。

 思わず呆然としていると、エリアスが不安そうに訊ねてくる。


「大丈夫ですか? どこか痛むところは⁉」


 そう確かめてくるエリアスの表情は、痛ましいほどに真摯で。普段のグステルならば、きっとどんなに戸惑っていても、『そんなに心配しないでほしい』と、すぐさま返しただろう。

 しかし、喉も身も凍ったままのグステルにはそれができない。──が、なぜか……喉から声が出た。


「殿下……エリアス様……お会いしたかった……」


 その、自分の口から出た熱い言葉に、グステルはポカンとした。

 熱い言葉、熱い吐息も、彼女のものではない。

 にもかかわらず、そのどちらをも収めることが叶わず。それどころか、彼女の驚きは表情にも浮かばなかった。

 代わりのように、手がするりと勝手に動くのだ。

 その指先は、自分を抱き留めた青年の頬にそっと触れ、グステルの口元はかすかな笑みを浮かべた。


「……殿下……」

(あ……あ……な、何これ⁉)


 身体の感覚は確かにあるのに、なぜか制御できない。止めようとする彼女の意思は四肢に届かず、指の一本すら自由にならなかった。

 この状況に動揺していると、ふと、持ち上げた手の甲にぬくもりを感じた。

 まるで強制的に見せられている映像のような視界の端に、王太子の頬に伸ばした手のひらに、王太子の手が重ねられているのが見えた。


(⁉)


 そのぬくもりに、グステルは戦慄する。


 ──乗っ取られている。

 ──乗っ取られ、かけている!


 そう察したグステルは、慌てるが、やはりそれは彼女の顔には浮かばなかった。

 表に浮上してきた“彼女”は、すっかり王太子エリアスに魅了され恍惚としていて、グステルの怯えを顧みることなどなかった。

 こんなに恐ろしい思いをしているというのに、彼女の体温はどんどん上がっていく。まるで、“彼女”の王太子に向ける情念に、グステルの感覚が押し負けるように。

 グステルは、今や確かに我が身の主導権を奪われつつあった。

 このままでは、“自分”が何を口走るか、何をするか分からない。


(──そうだ! 王妃……!)


 自分が王太子に近づくのを止めようとしていたその存在を思い出し、グステルはままならない視界の中に彼女を探す、が──その頼みの綱の王妃は、視界の端で、困惑のまなざしで、息子と“彼女”を見ている。


 このとき王妃を戸惑わせていたのは、その男女が互いを見る目。

 それは、強く求め合っていることが一目で分かるまなざしであった。

 もちろん、話が違うではないかと思いもした。

 そこで彼女の息子の腕に抱かれている娘は、先ほど、王太子との仲をはっきりと否定したはず。

 そのさっぱりとした言葉には、確かに嘘はないと思ったのに。

 これでは王妃は、まるきり彼女に騙されたことになる。

 しかし、それでもこの豪胆な王妃が口を挟むことをためらうほどに、その二人は互いだけの世界にいた。

 紅潮した顔に涙を浮かべて息子を見つめる娘と、その視線を受け止め、愛おしそうに微笑んでいる王太子。

 情熱的な光景に、王妃も今は沈黙せざるをえなかったのである。


 ……しかし、これはグステルからすると由々しき事態。

 彼女にここで納得されてしまうことは、あまりに危険。

 

(っ、どうしたら……)


 気持ちは焦るが、それでも身体は取り戻せなかった。

 愛する者を目の前にした“彼女”の情念が強すぎる。

 取り返しのつかない事態を予感して、グステルは強く恐怖した。


 ……と、そのときだった。

 視界の端で、困惑したような王妃に駆け寄る者があった。

 その者は、王妃の傍らで言った。


「……陛下、門前でメントライン家の子息とハンナバルト家の子息が、面会を求めて騒いでおります。いえ──騒いでおるのは公爵家の子息のほうだけですが……」


 何やらげっそりした顔の兵士の報せに、王妃は怪訝そうな顔。


「メントラインとハンナバルト……? 子息というと……公爵の息子フリードと、確か……ヘルムート・ハンナバルトか……?」


 王妃がそうつぶやいた瞬間、その名が聞こえたグステルがハッとする。


(──お兄様……ヘルムート様‼)


 その瞬間、ヘルムートを想ったグステルの感情は大きく膨らみ、それは、王太子を見上げ、とろけるような顔をしていた彼女の顔面にせり上がった。

 まるで水中から海面に急浮上したように、やっと“表情”というものだけを取り戻して表に戻った娘は、大きくあえぐようにハッと息を吸う。

 とたん、その表情からは王太子に向けていた恋情が掻き消え、大きな苦痛が浮かんだ。

 顔は取り戻したものの、身体はいまだ主導権を握られたままのようだった。そこから生じる身体と精神の軋轢がグステルを苦しめた。


 と、そんな彼女の苦悶の表情を見て、彼女を見つめていたエリアスが戸惑った。


「どうなさったのですか⁉ 苦しいのですか⁉」


 手を握って呼び掛けると、しかし娘は苦しそうに『で、んか……』と言い残し、そのままぎゅっと目をつむってしまった。

 固く閉じられたまぶたに、エリアスは動揺したが……。

 それ以降は、この夜、彼がどんなに呼びかけても、彼女の瞳がふたたび開くことはなかった。



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本来のグステルやべぇなが
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