176 母のやきもき
どうでしょう? と、自分を見つめ返してくる娘に、王妃はちいさく眉を持ち上げた。
王妃の予想では、一国の王太子をたぶらかそうという彼女は、もっと厚かましく不埒な娘。(※厚かましくはある)
しかし実際に対面してみると……娘は予想よりもはるかに礼儀正しかった。
しかも驚くべきことに、娘は彼女を一目で王妃と見抜き、にもかかわらず、臆することなく構え、微笑みさえ浮かべている。その落ち着き払った様子は堂々としていて好感も持てるが……反対に、警戒心も沸いてくる。
(……これは一筋縄ではいきそうにない)
もし、この娘が王妃と、王太子をめぐって渡り合おうとすれば。きっとそれは単純に、息子から遠ざかるよう命じ、対価を与えればよいというものではなさそうだった。
王妃は怪訝。
(いったい……この娘はどういう素性のものなの……?)
実は、グステルが考えた通り、彼女を探していた王太子や王妃は、まだグステルの詳しい素性は調べられていない。
これには、この一件に関わる二つの勢力の事情が絡んでいる。
その勢力とは、グステルとの再会を熱望する王太子と、それを助ける配下たち。
そして、その王太子をとめるべく動く王妃と、その命令を実行する者たちである。
グステルを連れ出した王妃側の騎士は、『家主に迷惑をかけたくなければ』と、グステルを脅し、かなり詳しいことまでつかんでいるふうを装ったが、それは彼女を大人しく従わせるための方便である。
あの男も長年王宮で働いている。グステルを見て、一目でこれはなかなか難しい相手と察し、彼女が他人のためになら動くであろうことを見抜いた。
そんな彼らが現在握っている情報は、すべて王太子側の騎士たちから聞き出した又聞きのもの。
グステルたちの拠点に出入りする人間たちが、普通の一家ではなさそうだということは情報を得ているが、家主については単に、“どこかの青年がその家を借りている”という表面的な理解しかしていない。
この点は、大家に対応したヘルムートが、きっちり素性を隠していたこともあり露呈しなかったわけだが……。
ゆえに王太子の配下たちは、その青年がどこの誰で、グステルとどんな関係であるかなどという情報は持っておらず、王妃側の騎士たちも、そこは聞き出しようがなかったのである。
なにせ王太子の騎士たちは、捜索時点では、グステルの素性の追求を優先しなかった。
彼らにとって、これはあくまでも、その町娘に『会いたい』と願う主人のための行動。
主のまなざしはどう見ても町娘に対して好意的で。
彼らはできるだけその“お相手”に無礼がないように立ち回ったし、焦がれる様子を見せる主のために、早く会わせてやりたいと考えていた。
そのため、相手の素性云々というところは後回しとなり……そんな彼らから、緊急にかすめとるようにグステルを連行した王妃も、当然まだ彼女についてはほとんど何も知らないというわけだった。
これは、グステルたちにとっては本当に幸運なこと。
本来なら、組織力もあり強大な王国騎士たちなら、街であの騒々しく目立つ兄フリードと共にいたグステルのことは、必ず調べられてしまったに違いない。
きっと、その素性についても不審に思われ調査の手が伸びていたことだろうが……。
しかしそれは、彼女と再会を熱望する王太子と、そんな息子に先んじなければという母の焦りが、詳しい調査を阻んだ形となった。
ゆえにまだ彼女について情報のない王妃は、改めて、現在己の息子を虜にしているというその娘を眺めた。
ステラと名乗った町娘は、その視線を実に悠然と受け止める。
力んでいるわけではないが背筋はすっと伸びていて、しぐさも町民という割には丁寧で育ちの良さがうかがえる。
きれいにまとめられ、耳から後ろを肩に流した髪はあでやかさで甘いチェリーレッド。
目鼻立ちはくっきりとしていて、瞳は目じりが吊り上がっている。
ともすれば、それはけばけばしくきつい顔立ちに見えそうなものだが……内面的な問題なのか、表情は柔和で尖ったところはまったく感じられない。
「顔をあげなさい」と王妃が命じると、そのこげ茶の瞳はしっかりと王妃を見上げた。終始後ろ暗いところなど一つもないと言いたげな、力強く真っすぐな瞳であった。
──なるほどと、王妃。
もちろん身分という大きな問題はある。だが、それを抜きにするとしたら。もしこの娘を王太子が自分の伴侶にしたいと連れてきたら、自分は許可するかもしれないと彼女は予感した。
現在彼女が王太子の妃として考えている娘は三名いる。
長く王太子と親密であったハンナバルト家のラーラ。
大臣たちが推す宰相家の娘。そして王太子自身が助け出した令嬢メントライン家のグステルである。
皆、楚々としてそれぞれ美しい娘たちである。
しかし。
今目の前にいる娘には、その三名にはない力強さがあった。
普通、突然騎士に囲まれて連行されるなんてことがあれば、若い娘はうろたえて当然。
しかし、この娘はその非常事態にも冷静さを失っていない。この胆力は称賛に値する。これは時に重圧のかかる王族の妃という座には、まずあってしかるべき資質である。
……おそらく、この娘なら務まるだろう。
そう感じさせる輝きが確かにあった。
ただ……少し違和感があるのは、この娘には“若者らしさ”が少しも感じられないということ。
どんな娘──たとえその者が貴族の令嬢でも、王妃をはじめて目の前にすれば誰もが瞳に緊張を宿し、背筋を板のように固くした。
それなのに、この娘にはおどおどしたところがすこしも見られず表情もずっと柔らか。
(そもそも最初の涙はなんだったの……? 泣き笑いに見えたけれど……)
普通に考えて、目上の人間を見て涙が出るほどに笑うというのはかなり失礼だ。
しかしこの娘はそれを、その柔和な表情と態度とで違和感なく流してしまった。その手腕には、なんだか少々狡猾さ……というか老獪さを感じてしまって。どうやら……気さくに見えて、この娘は自分の内面を探り出されるのを注意深く拒んでいるらしいなと王妃。
興味をくすぐられた王妃は、では……と、改まってグステルに訊ねる。
「あなたはそんなつもりはない、すべては誤解だといいたの? 王宮では今、あなたが王太子の新しい恋人なのだと信じる者でとても賑やかなのだけれど」
その問いかけに、娘はやはり緩やかに笑う。
「いやはや困りました。男女が揃えばすべて恋愛でくくろうとするのは世の常なのでございましょうか。もしかしたら、殿下は憎しみからわたくしめをお探しなのかもしれませんのに」
「……ふむ、憎しみねぇ」
その表情は、嘘をついているようには見えなかったが、『憎しみ』というところにはとても共感できなかった。
彼女の息子の様子は確かに誰かに恋焦がれているようであった。何故憎しみなどと口にするのかと訊ねると、娘はここに来るまでの経緯をとうとうと語る。
「……王都城門前でそのような経緯ではからずも殿下をわずらわせることとなってしまいまして……そのご無礼については大変申し訳なく思っている次第ですが、それだけでございます。皆さまが心配なさるようなことは何一つありません」
「……」
グステルは、そう自信をもって断言し、その件について何か処罰があるのなら謹んで受けるつもりだと申し出た。が……現在の王太子の様子を知る王妃からすると、これは『それだけ』ということには思えない。
(……つまり……これは太子の一方的な一目惚れ……? 片思いというものなの……?)
それはそれで王妃にとっては由々しき事態である。