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168 不文律と思い込み

 


 その日は結局、ヘルムートがグステルのもとを再訪することはなかった。

 慌ただしく帰っていった彼の身に、いったい何があったのだろうと心配していると、陽が落ちそうな頃ヴィムがやってきた。

 彼が預かってきたヘルムートの手紙で、グステルはその事情を少しだけ知ることができた。


「……ああ、妹君関連ですか、なら仕方ないですね」

「……あれ?」


 ため息をついたものの、それはどちらかというと安堵で。落胆も見せずあっさり納得したグステルに、ヴィムはきょとんとしている。


「えっと……それだけですか?」

「ん?」


 不思議そうにしげしげと顔色をうかがわれたグステルも、不思議そうにヴィムを見る。


「ええと? だって、ヘルムート様ですからね?」

「です、けど……」


 ヘルムートは彼女に『また来る』と約束していたが、結果、それは破られることとなった。そうせざるを得なくなった主としても、これは不本意だったはずだが。ヴィムは、ヘルムートに会えなくなった彼女が、とてもがっかりしてしまうのでは、と、かなり心配していたのだった。

 彼は長年何事においてもラーラを最優先にするヘルムートを見てきていたが、ゆえに、女性が“自分のことを第一に考えてもらえなかった場合”の基準も、無邪気なラーラに準じていた。

 すなわち“悲しむ”“ムッとする”“すねる”で、ある。


 けれどもグステルはといえば、あっさりと事を呑み込んで恨めしそうな顔一つしない。

 ヴィムのそんな小さな戸惑いが、なんとなくわかったグステルは小さく笑う。

 彼女からすると、ヘルムートがヒロインラーラの為に、愛情と時間と労力を割くのは当然で、それがこの世界の不文律だと思っていた。

 だってこの物語世界は、ラーラの為に回っている。そこを超えて、自分を優先してくださいとは厚かましすぎて言えない。

 もちろんグステルだってヘルムートには会いたいが、その焦がれるような気持ちを自分の中に、静かに、大切に、溜めておくことくらいはできる。……それくらいには、自分は大人だと、彼女は理解している。


「ヴィムさん、そういう気持ちの表現方法は、人それぞれなんですよ。私は力一杯感情を表現できるラーラ様もとっても素晴らしいと思います」

「でも……ヘルムート様は困っておいでの時もあるんです……」

「そりゃあ、感情は目には見えませんからねぇ、行き過ぎ、やりすぎのラインも見えませんもの。誰だって、そのラインをうっかり超えて、相手を困らせてしまうことはありますよ。──でも。そういう時は、誰かが叱って、やりすぎですよって教えて差し上げればいいのでは?」

「叱る、ですか……」


 つぶやいたきり、考え込んだヴィムの難しい顔を見ながら、グステルは。そういえば自分も昼間ヘルムートを、彼がかわいらしすぎて叱れなかったんだわと思い出した。

 人間、愛情を傾ける相手にはどうしても甘くなってしまうのよねと、一人苦笑。


「それで……ヴィムさん。ラーラ様は、大丈夫だったのですか?」


 ヘルムートからの謝罪の手紙をたたみながら、グステルはヴィムに訊ねた。

 その手つきがとても大切そうなので、ヴィムはなんとなくとても申し訳ない気持ちになった。

 あっさりとしてはいても、彼女が主のことを大切に想っているということは、こうした些細なしぐさからよく伝わってくる。

 ヴィムは思った。ここは少しでも、自分が彼女の助けになろうと。

 青年は張り切って背筋を伸ばす。


「ええと、はい、なんでも気晴らしがしたかったとのことで、一人で書店にいらっしゃったそうです!」

「そうなんですか、なんにせよ、ご無事で何よりです」


 グステルもつい安堵のため息を漏らす。もし、ラーラに何かあれば、ヘルムートがどれだけ胸を痛めるか分からない。


「きっとラーラ様は、王太子殿下と例のお嬢ちゃまの件で苦しんでおいでなんでしょうね……ヴィムさん、ヘルムート様には“こちらは大丈夫なので、傍にいてさしあげてください”とお伝えください」


 その表情は責任を感じているのか少し硬い。

 ただ、グステルは小さな引っ掛かりを覚える。


(でも……単に気晴らしがしたいのなら、お付きをまく必要はないと思うのだけど……)


 彼女が頼めば、お付きはきっと彼女の邪魔はしないだろう。書店の前で待たせておいて、自分だけで入店すればいいだけだ。

 その点をグステルは不思議には思った。

 しかし、この時点でのグステルには、圧倒的に欠けている視点があった。

 それは、物語の絶対的正義、正ヒロインが、敵にならいざしらず、味方である兄やヴィムたちに対して“嘘をつくかもしれない”という視点。

 だが、それもしかたない。

 グステルは前世で、この物語の読者であった。

 その時、ラーラに感情移入して物語をたどった彼女は、無意識にも、完全なるヒロインの味方。どうしてもラーラが悪いことをするはずがないと思い込んでいるふしがあった。

 彼女にとってラーラは、不完全なところもありつつも、物語を通して成長していく、明るくひたむきで善良な乙女。

 まさかそのヒロインが──ヴィムのような純朴な存在に嘘をついているとも、その挙句に自分たちの拠点にまで乗り込んできて、イザベルと喧嘩していたなんてことは露ほどにも思わない。

 ラーラの内面が少しずつ変わりつつあるなどとは考えもしなかったし……もし変わっていくにせよ、その方向が悪い方向に向かうなどとは思わない。

 ましてや、今やそんな彼女の怒りの矛先が、出会ってもいないはずの自分に向いているなんて。

 考えもしなかったのである。


(うーん……早くなんとかしてさしあげたいわねぇ……)


 ラーラの窮状に思いをはせて、腕を組み難しい顔をしているグステルに。するとヴィムが両手の拳を握って志願。


「あの! 僕、ヘルムート様に代わりにいろいろお助けするように言われてきたんです! ステラさん! 何かお手伝いできることは──」


 と、青年が意気込んで言った瞬間。力んだ拍子にヴィムの腹が派手に鳴った。

 ぐぅっ、きゅるるる……と、可愛らしい音が辺りに響き、途端青年は真っ赤になって腹を押さえる。その音を聞いたグステルは、あららと眉尻を下げた。


「す、すみません、今日は忙しくて……」

「まあまあ、なんで謝るんですか? ね、ヴィムさん、少し寄っていかれません? マフィンがありますよ」

「いいんですか?」


 グステルが家の中を示して誘うと、ヴィムはくったくなく瞳を輝かせる。

 実は、ラーラの行方が知れなくなったせいで、本日のハンナバルト邸は大わらわ。

 使用人たちは、料理番も半分捜索に駆り出されて、使用人たちの分まで料理を作っている余裕がなかった。そのうえヴィムは、早くこの報せをグステルに持っていこうと慌てていたので、昼食も夕食もとるどころではなく、ずっと空腹を我慢していた。

 マフィンと聞いてウキウキしながらそのことをグステルに告げると、グステルは自分が悪いわけでもないのに申し訳なさそうな顔。

 食堂の椅子に座らせた青年の前に、ありったけの料理を並べつつ、グステルは神妙な顔で同席者らに言い渡す。


「──さて。それではちびっ子(ヴィム)のお腹を適切に満たしつつ。我々は今後についての見通しを立てていきたいと思います」


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