167 ラーラの決意
大荒れのイザベルにてこずっていると、そこに例の双子の婦人たちが帰ってきた。
二人とも両腕で大きな荷物を抱えている。どうやら買い出しに出ていたらしい。
ちなみに彼女たちの名前は、ルテとブレンダ。
二人は、グステルが着替えもできずにイザベルをなだめているのを見ると、すぐに交代を申し出てくれた。
話によれば、彼女たちは以前ヘルムートの弟たちの世話を担当していて、その前も別のお屋敷で子供の世話をしていたらしい。子供の癇癪には慣れているとのことで、グステルはありがたくも半ば強制的にイザベルとひっぺがされて。現在彼女が私室として使わせてもらっている二階の一室に追い立てられてしまった。
しかし部屋に入ってしまってから、静かな空間にほっとする拍子に気が付いた。
「……あれ? そういえば……結局あのお嬢ちゃまはどこのどなただったの……?」
荒れるイザベルをなだめるだけで精一杯で、そのことはすっかり忘れていた。
あの令嬢ふうの客は、一体何者で、どうしてこの家に現れたのだろう。
グステルは首を傾げたが。けれども、その後も、あの不思議で可憐な訪問客のことをイザベルに訊ねようとすると、彼女は般若のような顔をする。
不愉快だからその話題を出すなとわめかれては、グステルもそれ以上のことは聞くに聞けない。
(……うーん……仕方ない。あのお嬢ちゃまのことは、イザベル様がもう少し落ち着いてからにするか……)
結局、彼女がその正体を知るのはもう少し先のこととなった。
そしてその謎の訪問客たるラーラはといえば。
彼女もまた非常に不愉快な思いを抱えたまま家路についていた。
彼女の想像とは少し違ったが、やはりその出会いは不愉快極まりないものだった。
(なんて無礼な人なのかしら! こちらは礼儀正しく接したというのにあんな対応ってある⁉)
ラーラは胸が痛くなる。
(なぜなのお兄様……王都にも領地にも、もっと素敵な女性は大勢いるはずよ? それなのに、なぜよりによってあんな粗野な人をお選びになったの……?)
これはもう失望というほかない。
女性としては、自分だけをずっと特別扱いしてくれていた兄が、よりによってあんな女に夢中になるとは。
兄が愛しているのなら身分差は気にはならないが、最低でも、相手は、兄と同じくらい自分を慈しんでくれる人でなければならないとラーラは考えていた。
そうでなければ、今はとても納得ができない。
ラーラは今、かつてないほどの孤独を感じていた。恋しい王太子との縁は今にも切れてしまいそうで、苦しくて、心細くてたまらない。
そんな時に、ずっと自分を守っていてくれた兄を奪っていこうというのなら、その相手は、その分ラーラに気を使うべきなのである。
(っそれなのに……、あんな子だなんて……)
ラーラは脳裏にイザベラを思い浮かべる。途端ラーラ薄い腹の中がムカムカと荒れる。
自分を見た瞬間に、横柄に眉間をゆがめたあの娘。
ラーラが恋人の妹だと知っているはずなのに、そこには迎えてやろうという優しさも気遣いも何も感じられなかった。むしろ敵意が感じられて、あれはまるで、ラーラを邪魔ものだと思っているみたいだった。
ラーラは、手にしている日傘の柄を強く握りしめる。
「……お兄様は、きっと騙されているんだわ……」
あんな娘と、自分の素晴らしい兄が愛し合っているなんて信じられなかった。
もしその愛情が本物であれば、愛する者の家族にあんな態度はとるわけがない。だってあの娘のあんな態度を知れば、兄はきっと怒ってくれるはず──と、考えて。ラーラは一抹の不安を覚える。
もし、ラーラに対するイザベルの無礼な態度を見ても、兄が彼女の肩を持ったら……。
(そんなはず……そんなはずないわ……)
あの娘は、兄の怪我のことにも気が付いていなかった。そんな子に自分が負けるなんてこと、ありえなかった。
(……そうよありえない。妹の私ですら、お兄様の怪我にはすぐに気が付いたのよ? それを、恋人が気が付かないなんて……お兄様のことを大切に想っていない証拠よ!)
ラーラはそのことに対して腹立たしく思ったが、反面、安堵と優越感も感じた。
恋人ですら気が付いていなかった怪我にも、自分はちゃんと気が付いた。これは兄へ愛情が、あの娘より自分のほうが上ということ。
(その程度の気持ちの人に、お兄様を任せるなんて絶対いやだわ……)
自分に負けないくらい愛情を持っていてこそ、兄の相手にはふさわしい。
愛がないのなら、おそらくあの娘の目的は、兄が将来父から受け継ぐはずの地位や財産で。
(お金のために近づいたのね……)
それは、貴族社会ではあまりにもありがちな話で。イザベルに反感を持ったラーラをすっかり納得させてしまった。
であれば、あの二人の交際は、絶対に許しておけないとラーラ。
そんなことを容認すれば、きっと兄は不幸になる。
(私が、なんとかしなくては……)
そうでなければ、兄が可哀そうだと思った。
兄は長年、勉学や父の手伝いで忙しい傍ら、ラーラや弟たちを大切にし続けてくれていた。ずっと自分の恋愛は後回しにして世話を焼いてくれていたのに、やっと恋をしたかと思ったら。その相手の正体があんな娘とは。
(きっとお兄様はあの子の本性を知らないんだわ……)
その思いを固くしたラーラは、邸に向かって歩きながら、どうすればあの二人を引き離すことができるのかを考え続けた。
そうしてラーラが、冷たい考えを巡らせながらハンナバルト家の邸に戻ると。何故か邸がとてもざわついている。
そのざわめきを聞いてラーラは、そういえば、自分が家人たちには何も言わずにあの娘に会いに行ったのだと思い出した。
「まあラーラ様! どこに行っておいでだったのですか⁉」
「あら、どうかしたの?」
彼女らが慌てている理由は分かっていたが、ラーラは近づいてきたメイドに素知らぬ顔で首を傾ける。
当然、相手は困った顔。
「どうかしたのじゃありませんよ! お買い物に行くと言ってお出になられたのに、ゼルマにも何も言わずに店から姿をお消しになったから、みんな心配したんですよ! ゼルマも、それにヘルムート様も必死でお嬢様を探しておいでなんですから!」
「あら」
メイドのその言葉に、ラーラは足を止める。
「……お兄様も……探してくださっているの?」
「当り前じゃありませんか!」
「……そうなの……」
つぶやくように言いながら、ラーラは少し気持ちを明るくした。
多分、兄は今日もイザベルに会いにいっていたはず。それなのに、恋人を放り出して自分を探しに戻ったのだと知ってとても嬉しかった。
と、ラーラはイザベルの不機嫌そうな顔を思い出す。
(もしかしたら、あの子、それであんなにイライラしていたのかしら?)
その考えに、ラーラは多少気が晴れる。
(よかった、やっぱりお兄様は私が大事なのね……)
ならば、きっと、今彼が夢中になっている恋が破局したとしても。自分が懸命に兄を慰めれば、彼はすぐに立ち直ってくれるに違いない。……ラーラは、そんなふうに考えた。
少しだけ軽くなった足取りで、彼女は自室に戻りながら傍らについてくるメイドに言う。
「なんといっても、偽りの恋だものね。むしろ早く救い出してあげなくちゃ。ね? そうよね?」
「? はぁ……」
ラーラの問いかけに、何も知らないメイドは不思議そうな顔。
が、そんなことはお構いなしに。ラーラは彼女に、自分が戻ったことをすぐに兄に知らせるように頼んだ。
「あ、私のことは“すごく疲れているみたいだ”って言ってきて? ね? お願い」
行きかけたメイドを呼び止めて、そう甘えるように言った令嬢に。メイドはいよいよ怪訝そうであった。




