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161 兄の想い人①

 

 周到な主と同じく、ヘルムートの配下たちも皆結構な強者揃い。

 武芸に長けた者がいれば、知性を買われたものもいる。

 皆、ハンナバルト家に対する忠心も高く、優秀な者たちばかりだ、が……。


 ただ、彼、彼女らには共通する弱点があった。

 それは。


 彼、ないし彼女らが全員、とてもとても、ラーラに弱いということである。


 もちろんその原因はヘルムート。

 常にラーラを優遇し、優先してきた男の配下となれば、その者たちが影響を受けてラーラに甘くなっても当然といえる。

 つまり、彼らは彼女に懇願されると、なかなか断ることができない。

 配下たちからすると、ラーラは、嫡男ヘルムートと共に守り続けてきた令嬢。

 ハンナバルト家の女主人たる侯爵夫人が彼女と不仲である手前、皆、あまり表立って口にはしないが……ラーラの安寧を願わぬ者はいない。

 ゆえに他の人間には固く情報を漏らさない彼らではあったが、彼女に甘えた顔で『教えてくれるわよね?』と、こてんと小首を傾げたりされようものなら、必ず一人はラーラの懇願に負ける者が出た。

 そして、これまでのハンナバルト家ではそれが許されてきたのだ。

 例えそのせいでどんな被害があったとしても、彼らの主たるヘルムートは『ラーラに頼まれたなら仕方ない……』と、諦める傾向にあり。ラーラの懇願に負けた配下を許し、責任は必ず兄がとった。そればかりか彼は、それを両親たちには隠ぺいし、当のラーラを叱ることはけしてしなかった。

 ──ただ、これはヘルムートが無条件にラーラを甘やかしているわけではなく、彼が妹の善良さを信じてのことである。

 実際これまで彼女が無理を通そうというときは、必ず弱い立場の者や、愛する王太子や友のために何か行動を起こそうとするときだった。

 それゆえヘルムートも、兄として喜んで身を切ってきたわけでは、あるの、だ、が……。


 どうやら此度は、少々事情が違う。


「………………」


 いつものように、兄の配下たちを攻め情報を得たラーラは、無言でその家を見上げた。


 王都の外れにある、一軒家。


 豪邸というわけではないが、普通の家族が住むには十分な大きさだ。

 地代が高い傾向にある王都で、多くの庶民が住むような簡素な木造の家ではなく、ちょっと小金がある商人一家が住んでいる……と、いったふうの、しっかりとした石造りの家。

 目立つ家ではないが、きちんと手入れが行き届き、小ざっぱりとした庭までついている。

 その家を見て、ラーラはとてもムッとした。

 明らかに、はした金で買える家ではない。


「……」


 ひとしきり、睨むようにその家を眺めたラーラは、思い切ったように、その家の扉の前に進んでいった。扉についた鉄製のノッカーを握り、一思いに打ち付ける。

 カツッ、カツッ、と、二度ほど音を鳴らすと、ドアの向こうで何かが近寄ってくる気配。

 ラーラは緊張しながら深呼吸をひとつ。扉が開かれる瞬間を静かに待った。

 情報が間違っていなければ、ここは兄が例の情人のために用意した家である。


(……私のことは放っておくくせに……お兄様はその子のために、こんな家まで用意して住まわせている……)


 ラーラはか弱そうな見た目で、甘えたところもある娘だが、ヒロインらしく行動力は意外にある。

 ゆえに彼女は今回、自分のことをあんなに大事にしてくれていた兄の気持ちを、ここまで変えさせた娘の顔をぜひとも見てみたいと思ってやってきた。

 兄は今日も早朝からすでに邸に姿がなかった。ラーラの予想では、きっとこの家でその女と共に過ごしているのだ。

 そう思うと、とても悔しく、寂しい。

 以前は朝起きると、すでに早朝の鍛錬を終えた兄が居間や食堂でラーラたち弟妹を待っていてくれて。兄はあれやこれやと彼女たちの面倒を見てくれた。

 今や、そんなあたたかな時間すら、家族でないものに奪われている。

 こうして被害を受けているのだから、自分には、その娘がどんな人間なのか検める権利があるはずだ、と、ラーラは強く思い込んでいた。

 彼女は息を詰めるようにして扉が開くのを待った。もうすぐその娘が自分の前に現れるのだと思うと、つい、握り合わせた両手が硬くなる。


 どうしても許せない。

 間違っていると思う。何かがとても、間違ってしまっている。

 なぜだか分からないが、ラーラはここのところ、すっかりそんな思いに憑りつかれていた。


 ……もしかしたら。

 王太子と再会し、抗いがたい運命を感じて恐怖したグステルと同じように。

 もしくは、そんなグステルを見て、物語の正道を感じとって惹かれた王太子と同じように。

 彼女もまた、本能的に物語の異変と、本来の“天敵”の出現を感じ取っているのかもしれなかった。

 もはやその“天敵”たるグステルは、運命に逆らうことを決意し、彼女に敵意などはなかったが……。


 それは、ラーラには知りようもないことだった。


 そうして思い詰めた娘が戸板を睨んでいると、扉の向こう側で鍵が開く音がした。

 カチャッという音に、つい身構える。指先はすっかり冷たくなっていた。

 そんなラーラの前で、扉はゆっくりと開く。


「っ」


 その瞬間、ラーラは思わず息を呑んだ。

 大きく開け放たれた戸口に現れたのは……一人の娘。

 ラーラを見て、怪訝そうに眉間にしわをよせたその顔を見た途端、ラーラが目を瞠った。


(……この、子、が……⁉)


 思いがけなさすぎて。瞬きも忘れて唖然と立ち尽くしてしまった。

 そこに立っていたのは、亜麻色の髪の娘。

 黄色いストライプの洒落たワンピースを着て、どこか高慢にラーラを見下ろしている。

 この気の強そうな顔を、ラーラは、もちろん知っていた。

 しかし、すっかり動揺してしまったラーラは、咄嗟にその名が思い出せない。


(こ、この子の名前は、確か……)


 懸命にその名を頭の隅から引っ張り出そうとして、やっと閃くものがあった。

 そう、確か……“イザベル”だ。


「イザベル……アンドリッヒ嬢……?」


 ラーラは困惑の眼差しのまま、その名を呼んだ。

 憎らしい兄の情人の前では、絶対に堂々としていようと決意してここに来たが……できなかった。

 彼女はつい先日まで、ラーラの家に滞在していた令嬢。

 ヘルムートの母が、地方の子爵から預かっていた娘である“はず”なのである。


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