151 グステル、ヘルムートを襲う
「え……グ、グステル様……⁉」
ヘルムートは、自分の前に仁王立ちする娘にぎょっとした。
話し合いを終えた応接間の中は二人きり。
グステルの兄フリードは、いない。
なぜならば、彼は愛する妹に、
『お兄様、お腹がすきました。王都で一番おいしいお菓子を買ってきて。買ってきてくれたら、肩もみしてあげるわ』
──と、真顔で言われ。邸を速攻で飛び出していった……。
イノシシのような勢いで部屋を出て行った男に、その時ヘルムートは唖然としていたが──彼はハッとして前を見る。
するとそこにはグステル。
扉に近いほうの長椅子に座っていた彼の前に立ち、無言で自分を見る娘には、ヘルムートはいったい何事かと戸惑う。
彼を見下ろすグステルの顔は、非常に硬い。そのチョコレート色の瞳の中には、何やら苛立ちにも似た葛藤が覗く。
もどかしそうな様子は、なにやら迷っているようだが、どうにもそれが不穏に思えて。
そんな彼女に見据えられた形となったヘルムートは、緊張を顔に張り付かせて、彼女の次の言葉を待っていた。
(私は何か、グステル様を怒らせた……? もしや、邸に何か不備があったのか……?)
ヘルムートは不安に駆られながら、心の中でしょんぼり。一生懸命に理由を考える、が。
その時不意に、グステルがくっと顔をゆがめて叫んだ。
「っダメだ! やっぱり我慢できない! ヘルムート様……っ失礼つかまつります!」
「⁉」
何やら慇懃な言い回し。いきなり破裂したように発せられた彼女の言葉にヘルムートが驚いていると。グステルはそんな青年をキッと睨み、思い切ったように彼に向かって手を伸ばしてきた。
その唐突さに、ヘルムートは身をすくめる。
グステルの手は、まるで襲い掛かるように自分のタイを取り、シャツのボタンを外しはじめた。
これには青年は唖然。
まさか、彼女がこんな行動に出るとは思っていなかった。
ヘルムートは、息を呑んでほんの一瞬思考停止に陥る、が。
しかし、敏い彼は、グステルの手が第三ボタンを外したところで、彼女の意図に気が付きハッと再起動。
「あ! だ、だめですグステル様! いけません!」
ヘルムートは、慌てて自分の襟もとを開こうとしている彼女の手を取る、が、遅かった。
白いシャツを開いた途端、グステルが大きく息を呑んだのが分かった。
──そこに露わになったのは、彼の肩に巻かれた白い包帯。
「…………やっぱり……」
途端、絞り出すように言って、グステルは泣きそうな顔でヘルムートを見る。
「あの時のお怪我……だいぶ、深かったんですね……?」
「…………」
確認されたヘルムートは、困り果てた顔。
できればずっと隠しておくつもりだった。
それは、前回グステルがアルマンに襲われたときに彼が彼女をかばって受けた傷。
あれから王都で治療を受けて治りかけてはいるが、傷が深く、まだ全快とはいえなかった。
グステルはその傷のことをとても気にしていて。再会する前の手紙のやり取りから、現在にいたるまで、何度も彼に傷の具合を尋ねたのだが、しかし、彼はずっと『大丈夫です』と傷の具合をごまかし続けていた。
けれどもグステルは、あの時剣を振り下ろしたアルマンの勢いを考えても、それがそう簡単に癒える傷であったとは到底思えず。
しかしヘルムートは頑なに隠すしで……。
ゆえにグステルは、ついにはしびれを切らし、こうして実力行使に打って出た。
口で尋ねても教えてくれないのなら、直接見て確かめてやる! ……とは、グステルもなかなかに思い切ったことをしたものだが。
大丈夫大丈夫と繰り返すだけの彼に、『ああそうだったんですね』と、それだけで終わらせることなんてどうしてもできなかった。
「…………」
「グ、グステル様……」
ヘルムートの包帯を見たグステルは、悲痛な顔で肩を落とした。
あれからもう結構日数が経っている。それでもまだ包帯が取れていないならば、傷の深さもおのずと知れる。グステルはうなだれて声を絞り出した。
「申し訳ありません……痛かったですよね……本当に……本当にごめんなさい……」
自分のせいで彼に怪我をさせたとグステルは悔やむが、そんな彼女を見たヘルムートは大いに慌てた。
グステルに開かれた胸元もそのままに、彼は頭を落とした彼女の肩に両手を添える。
「大丈夫です、もうさほど痛くありません。だ、だから……そ、そんなに泣かないで……」
「ご、ごめんなさい、む、無理みたいですぅぅっ!」
ヘルムートは慌てて慰めてくれるが、グステルは悲しくて悲しくて。とても涙が止まらなかった。
もしやと不安には思っていたが、自分は精神年齢が高いのだから落ち着いて真実に向かい合おうと決心しての行動だったのだが……。
実際に彼の身に白い包帯が巻かれているさまを見てしまうと。その罪悪感は痛烈に彼女の心臓を貫いた。
そもそも、彼女は、子供や思いを傾けるものに対しては情が深い。おまけにこうして後になってその傷の深さを知らされると、自分がなんとも無力に思えて悔しかった。
彼女はぽろぽろ涙をこぼしながらヘルムートに尋ねる。
「傷は、まだ痛みますか? 治療はちゃんと受けておられます? あ、あと……どれくらいで治りそうなんですか……?」
「……その……」
苦しそうに尋ねられたヘルムートは、彼女の嘆きを知って一瞬躊躇する。
確かに傷は痛みもするが、これは、彼が彼女を守りたかった結果。
こんな傷など、彼女が無事ならばなんの問題でもないし、むしろ怪我をしたのが自分であって幸いだったと今でも思っている。
もし、この怪我を負ったのがグステルなら。彼はきっと、あの男を獄につなぐ程度のことでは──彼女の兄が彼女に内緒であの男に受けさせた拷問を見過ごす程度では──済まさなかっただろう。
しかし、グステルは、泣きながら彼をキッと睨む。
「ほ、本当のことを教えてください! でないと、私──ヘルムート様のこと、全部脱がせちゃいますよ⁉」
「う……わ、わかりました……」
言って再び自分に襲い掛からんと手を構えるグステルを見て。その悲しみようを見て。
観念したヘルムートは、自分の怪我の状態について、彼女に詳しく説明させられることとなった……。
だが、もちろん彼は、怪我の状態がいくら悪くとも、グステルの身の無事には変えられないのだと切々と訴える。
それでも悲しそうな娘を見て、彼女がいかに自分を心配しているかを感じたヘルムートは、実はじんわりと嬉しかったが。
悲しそうな彼女のために、彼は緩もうとする頬を必死でこらえた。……その顔が、また、とてつもなくいかめしかったらしい。