150 妹は冷たくも尊い
「そんなもの。隠密部隊を配して、さっさとやつらをひそかに捕えてしまえばいいだろう」
「……お兄様はちょっと黙っていてくださる?」
あまりにも軽く言い捨てる兄に、グステルの頬はぴくぴくと痙攣。
冷たく睨まれたフリードは、「それより……」と、妹にかまわれようとした次の言葉が封じられ、沈黙。これには兄は心のなかで落胆。
愛情表現に不慣れな強面はそのままふてくされ、恨めしさのあまり妹を睨み返したような表情となる。その顔を見たグステルも、警戒感が露わ。ピシャリと冷気のただよう兄妹たち。──に、そばに座っているヘルムートはハラハラした。
彼はシスコン経験者として、なんとなくフリードの不器用さを察し、気の毒に思った。
しかし青年のそんな心配も知らず、不器用な兄は不満全開で妹を睨む。
「……なぜだ? 悪党は捕えろ。処刑できぬなら幽閉だ。叔母も手下も獄につなげ」
手下、とは、おそらくエルシャのこと。
フリードはあくまでも尊大に言いはなつが、やはりそこはグステルが厳しい。
彼の妹は、瞳に呆れを滲ませながら、こんこんと説く。
「お兄様……それはあまりにも脳筋なる暴論です。それで、王太子と仲良くしていた公爵令嬢が急に消えて、騒ぎにならないとお思いですか? 殿下自らお救いになったと思われておいでの令嬢ですよ? まちがいなく国家が動きます。それが捜索のあげく、メントライン家に娘が幽閉されているとなったら、当家はどうなります? それこそ対処の難しい事態に発展します」
しかし、妹に“脳筋”と称されてもなんとも思わなかったらしい兄は、けろりとしている。
「見つからなければいいではないか」
「……お兄様は……ちょっと国家権力を甘く見過ぎかと」
グステルは呆れた。
国が王権を掲げて本気で捜索しにきたら、王国の臣下たる公爵家が、どうこばむというのだ。
公爵たる父が健在ならまだしも、病に倒れた彼の代理はこの何かとおおざっぱな兄。
グステルは、なんだか頭が痛くなってきた。
現状もそうだが……この嫡男が、いずれ大勢の領民を抱えるメントライン家の領地を継ぐのだと思うと、頭痛は余計にひどくなる。
(…………わたし、本当に帰ってきてよかった……)
これも父が倒れて、母が別宅に去ったゆえの弊害だろうか。
叔母に、両親の教育や管理の及ばぬ土地に行かされたことで、兄も物語上の人格とはすっかり変わってしまった。
自分を敵視していないらしいのは大変ありがたいが……兄の次期領主としての思考や能力は、あまりにも筋肉に振り切ってしまっている……。領地経営に熱心だった父に教育されれば、こうはならなかったはず。
この兄の、なんでもパワーで乗り切ろうとするところは本当に、早急に直してほしいところである……。
グステルは、兄の再教育の必要性を痛感。
(こんなに大雑把で……よく他の領で騎士などやれているわね……)
その領地は、こんな兄を受け入れていて本当に大丈夫なのだろうか、ものすごく迷惑をかけているのではないか。
いや、それともその領地こそが、兄をこんなふうにした諸悪の根源なのか……?
「もしや、ものすごい脳筋な領主様だったりするの……? あ……や、止めよう……変な妄想をして保護者的ストレスを味わっている場合ではなかったわ……」
どこぞに、筋肉至上主義の愉快な公爵領でもあるのかと想像してゾッとしたグステルは。頭を振ってその考えを振りはらう。
兄の指導はおいおいでいい。まずは、現在王都で進行中の叔母たちの悪事をなんとかしなければ。
グステルは、深いため息を一つ。表情を曇らせて、自分の手に視線を落とした。
「……グステル?」
ふと、様子の変わった妹に気が付いたフリードがその名を呼ぶ。と、グステルは凪いだ瞳を動かさぬまま、それに、とつぶやく。
「……いくら悪事を働こうとも、あの方は私たちの叔母なのですよ。……お父様の妹君でいらっしゃるのです」
それを思うと本当に気が重い。現在床に伏している父だって、本当は、実の妹の行く末に心を痛めているはず。あまり、父に心労をかけたくはなかった。
やるせなさそうに言葉にされた事実を聞いたフリードも、うっと怯んで沈黙。
現在、この男にとって“妹”というワードは非常に重い。自分が目の前にいる娘に感じる愛しさと尊さを重ねてしまうと、叔母に対しても、簡単に『捕えろ!』とは言いにくくなった。
「ぐ……」※フリード。いろいろ想像して涙目。目頭をつまんで天井を仰ぐ。
「(無視)まあ……もちろん相手の出方次第では、最終的には捕えるしか方法はないと思います。彼女の改心を期待したいところですが、人はそうたやすくは変わりません。目標とする企みを邪魔されれば余計です。我々を恨めば、きっと心が濁って改心する気も起らない」
ですから、と、ため息交じりに言ったグステルは。姿勢を正して、兄と、ヘルムートを交互に見渡した。
「──ここはやはり、利によって叔母様を動かすべきかと思います」
「……」
そう提案するグステルをじっと見つめていたヘルムートは、その瞳の中に、どこか不敵なものを見て、ほっとする。
ずっと、どこか沈んだ顔をしていた彼女。
おそらくいろいろなことに責任を感じ、つらい思いを抱えているのだろう。
けれども。
こうして何かを企む表情には力強いものがあった。
困難でも前に進もうとする横顔はたくましく、ヘルムートは惚れ惚れとする。自然瞳は恍惚とし、口元には笑みが浮かんでしまう。
(……彼女は、切り開こうとしている……私も、負けてはいられないな……)
ヘルムートは、密かに胸に決意を刻む。
彼自身も、妹のことで難しい立場にあるが、勇気づけられる思いだった。
──ただ。
「り? りってなんだ? ん?」
何もわかっていない男が、ここに一人。