130 王都
そんなこんなのカオスな珍道中でも、馬と御者はしっかり仕事をしてくれて。グステルたちはなんとか王都にたどりついていた。
しかしどうやら王都に入るための城壁門付近で何かがあったようで、門前に人だかりができていてそれ以上馬車が前に進めない。その報告を受けたフリードが様子を見に馬車をおりて行ったとたん、ヴィムは緊張の糸が切れたようにうなだれた。
嘆く若者に、グステルがあらあらと苦笑。
彼女は「よっこいしょ」と、重そうに座席に身を起こしてため息を吐き、それから手を伸ばして青年の頭をなでた。
正直まだ動くとつらかったが、子供を慰めるためになら我慢ができた。
「ごめんなさいねぇヴィムさん。私の企みに付き合わせてしまいましたね」
申し訳なさそうにしながらも笑っていうグステルに。ヴィムは(やっぱり……)と、恨めしそうな顔。
「おかしいと思ったんです! ステラさんったら……! 嘘をついてフリード様を四つん這いにさせるなんて……正気ですか⁉︎ あ、あの方、あなたのお兄様なんですよ⁉︎」
涙目で叱りつけてくるヴィムに、グステルは、表情を緩めてへらりと笑う。
──もちろん。
すべてはわざとなのである。
しかしグステルは首を振った。
「ヴィムさん、違いますよ。私、別に嘘をついたりしたわけではないんですから。兄の菓子のせいで本当に気分は悪いですし、胃だって悲鳴をあげています。鼻血だって本物です。だってあんなにたくさんの甘いもの……気持ちが悪くならないほうがおかしいです」
……まあ、それはそうである。
グステルが食べさせられた甘味は相当な量だった。と、グステルがニヤリと笑う。
「まあ、でも確かに鼻血は狙っていました。私、昔からナッツ類を食べすぎると鼻血が出る体質なんです」
いって彼女はおかしそうに肩を揺すり、するとその拍子に彼女の鼻からは一旦止まっていた血がまたタラリ……と滴ってきて。驚いたヴィムが慌ててグステルの鼻の下をハンカチで押さえた。
そんな彼に礼をいいながら、しかしグステルはやはり笑っている。
「ふふふ……おまけに兄は紅茶も出してきたでしょう? カフェインも一緒にとるとてきめんなんです。兄の持ってきた菓子を見て、これは絶対出るなと思っていました」
最初に休憩した宿場は、周りに森が多く木の実が豊富。それゆえか兄が買い集めてきた菓子類には木の実類がふんだんに使われていた。きっとあのあたりの名産品なのだろう。
「それにね、私鼻が弱いから、一度鼻血が出ると血管が傷ついて数日はちょっと力んだだけでも鼻血が出やすくなるんですよ、ね? ほら、こうして笑っただけでも出るでしょう? あはは」
「ス、ステラさんったら……」
ヴィムは、鼻血も止まらぬまま笑い、飄々と説明するグステルに呆れ果てている。
そんな彼には申し訳なかったが、グステルはどうにも笑いが止まらなかった。
自分が鼻血を出したとたん、あれだけずっと仏頂面だった兄が大慌てだった。
あの様子から察するに、兄はきっと女性が鼻血を出すところを見たことがなかったに違いない。
フリードは他領で騎士をしているとはいえ、家出したグステルとは違って貴族生活が長い。
優雅に暮らす令嬢たちや、楚々と振る舞う侍女たちにばかり囲まれていては、そんな機会はもちろんないだろうし。しょっちゅう鼻血を出してしまうグステルにとっては羨ましい限りだが、案外鼻血など人生で一度も出したことがないという人も多い。
「まあともかく……これで兄もしばらくは妹の扱いには慎重になるはずです」
グステルも別に、兄を踏んづけたくてあんなことをしたのではない。
ようやく王都にたどり着いた。
これから先、彼女はハンナバルト家や王家も関わる繊細な問題に挑まねばならない。
そこにはもちろん公爵家の命運も関わってくるのだから、そんな重要な時に脳筋な兄に振り回されてはいられないではないか。道中で、ある程度兄を御せる状態になっておかねばならなかったのだ。
それに、と、グステルは、少し笑いをおさめて息を吐く。
(……それに……お兄様の真意も知りたかったし……)
ラーラを主人公とする物語では、グステルと兄は最後まで不仲。
しかも兄は、今も彼女を見るときはいつも仏頂面。高慢に顎を上げ、冷たい眼差しで見下ろされるばかりでは、『愛している』なんていわれても、本気かどうか、味方であるのかがわからなかったのだ。
まあでもと、グステルは頬を掻く。
(あの様子なら……一応本当に私を大事に思ってくれている……の、かしらね……)
彼女が腹痛を訴えた時の兄の驚きようは、けして演技などではなかった。
本気で自分を心配し、オロオロと涙する姿を思い出すとなんだかとても身がこそばゆかった。
「? ステラさん?」
「あ、ええと……いえ、その……ある程度兄のことは制御できそうなので、これならヘルムート様にもご迷惑をかけずに済むかなと……あはは」
不思議そうなヴィムに、つい誤魔化すように笑って。と、その時、急に馬車の外が騒がしくなった。
停車していた馬車が大きく揺れ──どうやら御者らが慌てて馬車を移動させようとしているらしい。「急げ」という掛け声が方々から聞こえ、グステルは不思議に思って馬車の窓を開ける。
「あの、どうかしたんですか?」
そこにいた家人に声をかけると、彼は慌てた様子で馬車を押しながらいった。
「そ、それが……前方の城壁門から王太子殿下が……」
「……え?」
家人の言葉に、グステルがハッとする。
気がつくと、周りの人々が驚いたような顔で城壁門の方を見ていた。
彼らの視線をたどるとその先に、護衛騎兵たちに囲まれた大きな馬車。
──車窓に、金の髪の青年が座っているのが見えた。